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反核ゼミ

1.ミクロの世界への誘い(1)
2.ミクロの世界への誘い(2)
3.ミクロの世界への誘い(3)
4.ミクロの世界への誘い(4)
5.アインシュタインの手紙 
6.英国生まれの原爆原理 
7.原爆1発分の濃縮ウラン 
8.プルトニウム原爆の可能性
9.危険なプルトニウムの製造
10.爆縮式プルトニウム原爆
11.米国の戦略に未来はない
12.原爆を手にした警察官
13.核帝国主義のルーツ
14.原爆と科学者
15.最初の原爆の投下目標

16.核政策のルーツを探る(1)
17.核政策のルーツを探る(2)
18.核政策のルーツを探る(3)
19.核政策のルーツを探る(4)
20.
原爆投下(その1)
21.
原爆投下(その2)
22. 原爆投下(その3)
23.
原爆投下(その4)
24.
原爆投下(その5)
25.原爆投下(その6)
26.原爆被害の隠ぺい(1)
27.原爆被害の隠ぺい(2)
28.原爆被害の隠ぺい(3)

 


核兵器をなくす 『反核ゼミ』19
アメリカの核政策のルーツを探る (その4)

 広島・長崎への原爆投下は、核兵器の脅しによってソ連を従わせて、戦後世界をアメリカ主導で支配する出発点になりました。ソ連の崩壊の後には、「ならず者国家」とか、「テロ支援国家」というレッテルを貼って、軍事力によって世界を支配し、世界中の富を収奪する体制を維持しようとしています。その軍事力の中心が核兵器で、2000年の「自国の核兵器の完全な廃絶を達成するという明確な約束」に反して、未臨界核実験を頻繁に行って「使いやすい」核兵器の開発を続けています。
 こうしたアメリカの核政策の出発点になる原爆投下の最終的な決断は、米英ソ首脳のポツダム会談にのぞむために、オーガスタ号に乗って大西洋を航海していたトルーマン大統領とバーンズ国務長官の間の協議が鍵を握っているとされていますが、秘密の会話の資料が少なく、歴史家も苦労しています。

原爆投下の事前通告
 海軍次官で、原爆投下を勧告した「暫定委員会」に海軍を代表して参加していたラルフ・バードは、事前の警告なしに原爆を使用することに異議を唱えていました。1945年7月1日、バードは、ポツダム会談に向かう直前のトルーマン大統領をホワイトハウスに訪ね、ポツダム会談の後に、日本と接触することを提案しました。バードのメモによると、ヤルタ協定に従ってソ連が対日参戦すること、原爆使用について日本に情報を与えて警告すること、天皇と無条件降伏後の日本国の扱いに何らかの保証を与えることを日本に伝えれば、日本が、天皇の地位を保持して戦争終結の出口を求めているので、戦争を早く終結できるという趣旨でした。しかし、バードの提案にたいし、大統領は、その問題は慎重に検討済みだと取り合いませんでした。

無条件降伏の修正を拒否
 ポツダム宣言が発表されるまでに、トルーマン大統領に、日本に対し降伏条件を明確にするように働きかけたのはバードだけではありませんでした。国務長官代行のジョセフ・グルー、ハーバード・フーバー元大統領、ローゼンマン大統領法律顧問、マクロイ陸軍次官補、統合参謀本部議長レイヒ提督、スチムソン陸軍長官、という人たちが、わかっているだけでも十数回大統領に進言しています。
 こうした助言をトルーマン大統領が最後まで受け入れなかったのは、国務長官のバーンズの影響だとされています。バーンズは権謀術策に優れた政治家としてトルーマン大統領に絶大な影響力を持っていました。まだ国務長官になる前に、「暫定委員会」に出席してバードの意見を封殺したのは、大統領の代弁者と自認していたバーンズでした。バーンズは「暫定委員会」が原爆の使用の勧告を決めた日、スチムソン陸軍長官が暫定委員会議長として大統領に委員会報告をする前に大統領に勧告について話していました。

東郷外相の秘密電報
 1945年6月22日、日本では最高戦争遂行会議が開かれ、天皇が、戦争の作戦立案は継続しなくてはならないが、「ただちに戦争を終わらせる計画を立てておく必要」もあると述べていました。これを受けて東郷外相がモスクワの佐藤大使に宛てた至急電が7月12日アメリカに傍受され、大西洋の中間点にあったオーガスタ号のトルーマンとバーンズに届けられました。翌13日には、天皇裕仁が和平交渉に直接関与していることを示す東郷外相発の至急電が傍受されました。その電文は「和平への大きな障害は、米英の無条件降伏要求であり、その限りでは、大日本帝国は祖国の名誉と存亡をかけて全力で戦闘を続ける以外に道はない」と述べていました。そして、戦争終結へ向けてソ連の支援を要望する天皇の親書を携えた特使(近衛文麿)をソ連政府が受け入れるよう要請していました。
 大統領と別便で7月16日、ポツダム入りしたスチムソン陸軍長官は、この至急電を知って、直ちにマクロイ陸軍次官補とまとめたメモをトルーマン大統領に届け、天皇に関する明快な「保証」を含めた警告を与える好機であると助言しました。

チャーチル利用の作戦
 アメリカの統合参謀本部議長のレイヒ提督は、米英合同参謀本部の決議を通して、イギリスのチャーチル首相から、トルーマン大統領を説得してもらう異例とも言える作戦を実行しました。合同参謀本部の議論では、無条件降伏が天皇制の解体を意味するならば、海外の日本の占領地にまで停戦を徹底させる者がいなくなり、イギリスとオランダの領土、さらには中国の各地で何ヶ月も何年も戦闘が続くかもしれない、という軍事的な観点も加わえました。これを受けてチャーチル首相は7月18日にトルーマン大統領に降伏条件の明確化について働きかけましたが、大統領は、パールハーバー以後の日本人に軍の名誉などあり得ないと反論しただけでした。
 バーンズを除いて、ポツダム会談に随行した米政府高官と参謀本部議長らは、イギリス首相も含めて、降伏条件に天皇に関する「保証」を明記することの意味を理解していました。

拒否を予想した宣言
 バーンズ国務長官は、7月2日にスチムソンが大統領に提案したポツダム宣言草案にあった「日本国民の総意を代表する平和志向で責任ある政府が疑いの余地なく樹立され‥‥‥‥平和を愛する国々が確信を持てれば、現在の皇室の下で立憲君主制ということもありうる」という文言を削り、7月18日に統合参謀本部が大統領に勧告した「さらなる侵略行為が行われないというしかるべき保証を前提として、日本国民は自らの統治形態を自由に選択することができる」という文言も拒否しました。
 1945年7月26日、発表された日本に降伏を求めるポツダム宣言は、
「以下が我々の条件である。我々はそれを逸脱することはしない。選択の余地はない。我々は少しの猶予も許されない。
 日本の国民を欺き、世界征服に乗り出すよう誤り導いた者たちの権力および影響力は、永久に排除されねばならない‥‥。
 そうした新たな秩序が確立されるまで‥‥日本領土の要所は占領される。
‥‥日本の主権のおよぶ範囲は、本州、北海道、九州、四国、および我々が決定する小さな島々に限定される。日本の軍隊は、完全な武装解除ののち、各自の家庭に戻り、平和的かつ生産的な生活を営む機会を許される。」と述べて、天皇に関わる「保証」の文言は削除されています。客観的に読めば「世界征服に乗り出すよう誤り導いた者たち」に天皇は含まれます。宣言の起草者たちの予想した通り、日本はポツダム宣言を黙殺しました。トルーマン政権にとって、ポツダム宣言は原爆投下への「序曲」であったのです。

 

               

 

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