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反核ゼミ

1.ミクロの世界への誘い(1)
2.ミクロの世界への誘い(2)
3.ミクロの世界への誘い(3)
4.ミクロの世界への誘い(4)
5.アインシュタインの手紙 
6.英国生まれの原爆原理 
7.原爆1発分の濃縮ウラン 
8.プルトニウム原爆の可能性
9.危険なプルトニウムの製造
10.爆縮式プルトニウム原爆
11.米国の戦略に未来はない
12.原爆を手にした警察官
13.核帝国主義のルーツ
14.原爆と科学者
15.最初の原爆の投下目標

16.核政策のルーツを探る(1)
17.核政策のルーツを探る(2)
18.核政策のルーツを探る(3)
19.核政策のルーツを探る(4)
20.
原爆投下(その1)
21.
原爆投下(その2)
22. 原爆投下(その3)
23.
原爆投下(その4)
24.
原爆投下(その5)
25.原爆投下(その6)
26.原爆被害の隠ぺい(1)
27.原爆被害の隠ぺい(2)
28.原爆被害の隠ぺい(3)

 

核兵器をなくす
『反核ゼミ』15
最初の原爆の投下目標



軍事政策委員会

 前回、1944年9月の米英首脳の会談の覚書「ハイドパーク協定」が日本に原爆投下をすることを記した最初の文書だと書きました。書いた後で、『原子科学者通信』の最新号(5月6月合併号)にタコマパーク・エネルギー環境研究所のA・マキジャニーが、「核兵器の目標の始まりから60年」という論文を書いているのを読んで、1943年5月5日に開かれたマンハッタン計画の軍事政策委員会が、ドイツではなく日本を投下目標にする議論をしていたことを思い出しました。マキジャニーはこの会議の重要性を前から主張していました。

 この軍事政策委員会のメンバーは、科学研究開発局長のバーネバー・ブッシュ、国防研究委員会議長のジェームス・コナント、W・R・パーネル海軍提督、ウイルヘルム・スタイヤー大将、それにレスリー・グローブス将軍の5人でした。前回紹介した科学行政官のブッシュとコナントがルーズベルト大統領と科学者の間に立って、ここでも要の役割をしています。山崎正勝、日野川静枝編著『原爆はこうして開発された』1990年青木書店)によると会議の議事録は次のようになっています。

「最初の原爆をどこに投下するかが議論され、全般的な見地から、最良の使用地点はトラック島の港に結集している日本艦隊だということであった。スタイヤー将軍は東京を提案したが、爆弾は、もしそれが不発に終わった時、簡単に引き上げることができない十分深い水中に落ちるようなところで使用すべきだということが指摘された。日本人が選定されたのは、彼らがドイツ人とは異なり、それ(不発爆弾)から知識を獲得しそうにないからであった」

 すなわち、ドイツに使用して不発弾になると、開発している原爆の核分裂物質に使われる可能性が高いと判断して、南太平洋のトラック島(現在のミクロネシア連邦)の日本艦隊を目標に選定したのでした。マキジャニーは『原子科学者通信』の論文で、この決定からちょうど60年が今年の5月であることを強調し、「恐怖(テロ)の兵器を振り回す国では、テロ問題の解決にはならない」と述べて、ブッシュ政権が「核態勢見直し報告」で7つの国を核攻撃の目標にしていることを暗に批判しています。

実験的性格の最初の投下

 マキジャニーが、この会議で最初の投下目標をドイツにすることが除外されたことを強調しているのに対し、山崎正勝さんは、最初の原爆投下は実験的性格が強かったことに着目しています。1943年5月5日の国防研究委員会の議論を伝えるために6月24日ブッシュ議長はルーズベルト大統領と会談しました。ブッシュのこの会談覚書に、複数のドイツの目標についても話し合ったこと、ブッシュが、対日使用は「最初の爆弾」だけで、実験が成功した後には、対ドイツ戦勝利のために原爆の使用する可能性を排除したと誤解されないようにしたことを指摘しています。ただ、ルーズベルトが、ドイツを目標に考えていたかどうかはわかっていません。

ドイツ原爆の脅威消滅

 1944年1月になって、イギリスのゴーイングによる公式報告書『英国と原子エネルギー』が出されて情勢が大きく変わりました。この報告書は「1944年の初めまでに、イギリスの情報専門家たちは、ドイツ人たちが原子エネルギーについて熱心にはとりくんでいないこと、連合国は、ドイツ人たちによる原子爆弾も放射性分裂生成物も、ともにその使用を恐れる必要がないとの確信できた」と述べています。この報告書で放射性分裂生成物について述べているのは、ドイツが原爆を作れなくても、ウランの核分裂で生成される放射能の強い物質を「放射能兵器」としてばらまいて使う可能性が議論されていたからです。

 ドイツの原爆製造の可能性が消えたことは、マンハッタン計画の性格が、防衛的なものから、攻撃的な事業に変わったことになります。しかし、科学行政官やグローブス将軍たちはマンハッタン計画に従事している大多数の科学者たちに、ドイツの原爆の脅威が消滅したことは知らせませんでした。グローブス将軍は、ロスアラモスの科学者たちの「ドイツの原爆計画に先を越されてはならない」という熱意を冷却させないために、故意に伏せたと語っています。そして、科学者たちと行政のパイプ役であるはずの科学行政官は科学者たちに盲目の服従を求める役割をしました。唯一の例外が、前回紹介したように、イギリスからチャドウイックとともにロスアラモスに来ていたジョセフ・ロートブラットで、事実を知った彼はマンハッタン計画から身を引いてイギリスに帰ったのでした。  

「原水協通信」2003年6月号(第712号)掲載


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