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新春インタビュー

生きているうちに廃絶を 小林愛子さん(広島被爆者、張本勲さんの姉)

 明けましておめでとうございます。2019年は、被爆75年・2020年に向けて、核兵器禁止・廃絶の声と行動を大いに飛躍させる年です。野球解説者の張本勲さんの姉で、小中学生を相手に被爆体験を語り、「ヒバクシャ国際署名」を900人以上から集めている小林愛子さん(兵庫県加古川市在住)に核兵器廃絶に向けた意気込みや今年の抱負をうかがいました。

あの日、姉弟で 原爆から逃げて

 広島で原爆に遭ったのは、私が小学1年生の7歳で、弟が5歳になったばかりでした。8月6日は、中学生の兄と小学5年生の姉が勤労奉仕で朝早く出かけ、家にいるのが母と私と弟の3人でした。 突然、ピカッ、ドーンという音がし、ガラスを見ると、真っ赤に染まっていました。1秒だと思うんですよ。ピカッ、ドーンは。

 母が私と弟に被さってくれました。窓ガラスがガタガタと飛び散って、母の背中とか足とかに刺さって、家はぺちゃんこになりました。母が「早よう逃げんさい、勲を連れて」と言うので、私が「お母ちゃんも一緒に逃げよう」と言ったら、お母ちゃんは、「お兄ちゃんとお姉ちゃんが家に帰ってきて、お母さんがいなかったら、路頭に迷うから、早く勲を連れて逃げなさい」と。

 それで、何時間逃げたのか、薄暗くなってきました。原子爆弾が落ちた方とは、逆へ逃げたと思います。広島の方向を見たら、火がぼうぼう燃えていました。 人間というのは、本当に恐ろしくて、怖くて悲しいときには、声もでません。涙もでません。その証拠に、何時間も逃げる間中、弟は一度も泣いていないんですよ。私も泣いていない。一回も私に話もしたこともない。私も話していない。あまりに怖すぎて意識がないんです。

 今思い出しても涙が出るのは、見知らぬおじさんに助けられたことです。土手で座っていたら、どこからか自転車でやってきて、見たこともないような白飯のおにぎりを私たち2人にふるまってくれたのです。配給で食べ物が満足にないときに、たまたま米屋だったのか農家だったのかは分かりませんが、本当に日本の人は優しいと思いました。そのときはじめて弟が「おじちゃん、ありがとう」と言ったんです。私もお礼を述べ、気絶して一晩か二晩くらい寝たように思います。

 気がついたら、弟と私は、ぶどう畑の前に立っているんです。そこにお母ちゃんとお兄ちゃんがいたのです。そこではじめて4人で抱き合って大泣きしました。どうやって2人をぶどう畑まで連れてきたのかも、自分たち2人で来たのかも、今ではわかりません。

 ぶどう畑で母と兄と再会できたのかは、73年経ってもよく分かりません。家族4人で喜びあったものの、姉の点子(てんこ)がまだ帰ってきていません。弟と広島市内を探し回りました。学校の体育館や昔の講堂など、屋根の残っているところに兵隊さんが負傷者を寝かしていたので、それを見て回ったのです。 探し始めて2日目、「点子ねえちゃん、点子ねえちゃん」と呼ぶと「はーい、はーい」と声が聞こえました。

 しかし、全身火傷で、目も口もつむっていて、肌も溶けていて。うっすらと残っている記憶では、兵隊さんに頼んでぶどう畑まで姉を運んでもらったんだと思います。母や兄と会えたので。 弟の勲が何年も前にテレビで、「おねえちゃんの口にぶどうを一粒ふくんでやったんやという思いがある。忘れられない」と言っていました。私は姉が「暑い、暑い」と言う声を忘れられません。翌日だったと思います。母が姉のそばで泣いていたのを覚えています。そのときに、姉は亡くなったのだと思います。

若い人たちは希望

 私の姉は小学5年生で亡くなりましたが、原爆投下によって広島で亡くなったのはその年の末までに約14万人でした。私の姉と同じような罪のないたくさんの子どもたちが殺されたのです。子どもたちの未来のために、戦争は絶対にやってはなりませんし、核兵器は絶対になくさないとだめです。

 私は小中学校で話すとき、「今、このときから、戦争や核兵器に反対しましょう」と言います。先日、中学校で300人を相手に証言し、「私は核兵器廃絶のためにすごく運動しましたよ」と言ったら、「小林さん、すごい。僕たちも核兵器をなくすためだったら、これから署名運動します」と言ってくれて、私は「ありがとう」とお礼を述べて感動しました。

 若い人たちが「ヒバクシャ国際署名」など核兵器廃絶の取り組みに関わっていることはとても嬉しくて感心します。もちろん、今の若いみなさんは昔の戦争を体験していませんが、私の話を聞いて戦争や核兵器が恐ろしいことを分かってくれるのです。これからも一緒に核兵器廃絶の取り組みを頑張りましょう。

安倍政権には喝!

 被爆75年、2020年には被団協の国連行動に元気でいられたら参加したいです。

 いちばん言いたいのは、日本政府はなんですかということです。節子サーローさんに会わないのはおかしいです。核兵器禁止条約にも署名しません。日本がそれではだめです。原爆を落とされたんですよ。

 弟もそう言うかもしれませんが、安倍総理は「喝」なんです。私は「喝」と言いたいです。

(「原水協通信」2019年1月号より)


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