「被爆者とともに、核兵器のない平和で公正な世界を — 人類と地球の未来のために」をテーマに8月4日から9日まで3年ぶりに 2つの被爆地で原水爆禁止2022年世界大会を開催します。さらにオンラインも併用し、全国と世界を結びます。
いま、被爆国日本の原水爆禁止の世論と運動は、核兵器のない世界を実現させる上で、特別に重要な役割を持っています。
岸田内閣は、ロシアのウクライナ侵略を機に、日本をアメリカの核戦略態勢に組み込み、アメリカとともに戦争する国づくりをすすめています。“戦争か平和か”、“核兵器の禁止か核破局の脅威か”、国民一人ひとりにその選択が問われています。
世界大会への支持・賛同、広島・長崎での大会とあわせて、全国の主要都市で開催するオンライン大会への参加、核兵器廃絶の国際共同行動「平和の波」、核兵器禁止条約参加を求める署名、対話、国民平和大行進など、ともに行動するよう全国のみなさんに心から訴えます。
大会への皆さんの参加をお待ちしています。
1945年8月6日、9日-広島・長崎に原爆が投下され、2つの街が一瞬にして、「地獄」に突き落とされました。広島、長崎ではその年のうちに約21万人もの尊い命が奪われました。しかし、原爆を使用したアメリカは、広島・長崎への原爆被害が世界に伝わることを恐れ、厳しい報道管制をおこない、実態は日本国民にも、アメリカ国民をはじめ世界の人びとにも知らされませんでした。
1954年3月1日、アメリカが太平洋ビキニ環礁でおこなった水爆実験によって日本国民は三度の原水爆による被害を受けました。ビキニ水爆被災事件をきっかけに、広島・長崎の被害、放射能による惨禍を広範な国民が知り、核兵器の廃絶を求める「原水爆禁止署名」が全国でとりくまれ、1年余で当時の有権者の過半数3400万に達しました。
1945年8月6日、9日-広島・長崎に原爆が投下され、2つの街が一瞬にして、「地獄」に突き落とされました。広島、長崎ではその年のうちに約21万人もの尊い命が奪われました。しかし、原爆を使用したアメリカは、広島・長崎への原爆被害が世界に伝わることを恐れ、厳しい報道管制をおこない、実態は日本国民にも、アメリカ国民をはじめ世界の人びとにも知らされませんでした。
1954年3月1日、アメリカが太平洋ビキニ環礁でおこなった水爆実験によって日本国民は三度の原水爆による被害を受けました。ビキニ水爆被災事件をきっかけに、広島・長崎の被害、放射能による惨禍を広範な国民が知り、核兵器の廃絶を求める「原水爆禁止署名」が全国でとりくまれ、1年余で当時の有権者の過半数3400万に達しました。
こうした原水爆禁止を求める大きな国民の声を背景に、1955年8月、広島で第1回原水爆禁止世界大会が、翌56年には、長崎で第2回原水爆禁止世界大会が開かれました。以来毎年、世界の人々と連帯して世界大会が開催されてきました。いまや核兵器廃絶は世界の大きな流れに発展しています。
過去の世界大会の記録はこちら
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