第23回 原爆投下(その4)広島原爆の残留放射線
原爆の残留放射線
先回は広島原爆が爆発した瞬間に被爆者があびた初期放射線について話しました。初期放射線は便宜的に1分以内に到達した、中性子線とガンマ線を指しています。これに対して、1分以後に放射された放射線を残留放射線と呼んでいます。残留放射線には、誘導放射能によるものと、放射性降下物によるものがあります。
誘導放射能
初期放射線の中性子が地上の建築物や土壌などを構成している原子核に衝突して吸収されると、その原子核は放射線を出す原子核に変わります。これを誘導放射化といいます。誘導放射化は中性子線が大量に到達した爆心地に近い地域で問題になります。
誘導放射化の例を考えます。鋼鉄などにわずかに不純物として混じっているコバルトの原子核は100%コバルト59です。コバルトの原子番号は27ですから、コバルト59の原子核は、陽子が27個、中性子が32個集まって作られています。コバルト59の原子核が1個の中性子を吸収すると、陽子と中性子をあわせた数(核子数)60個で構成されたコバルト60になります。コバルト60は、半減期5年3ヶ月の放射性原子核で、電子、電子ニュートリノ、ガンマ線を放射してニッケル60の原子核に変わります。放出された電子のことをベータ線と呼び、電子を放出する原子核の壊変をベータ崩壊といいます。
放射能の半減期
コバルト60の原子核の半減期5年3ヶ月というのは、沢山のコバルト60の原子核がベータ崩壊をしてニッケル60に変わり、コバルト60の原子核の個数が、はじめにあった個数の半分になる時間のことです。半減期の2倍の10年6ヶ月経つと、コバルト60の原子核の数は半減期ごとに初めの半分になって、はじめの個数の4分の1になります。原爆が投下されて58年6ヶ月を経た現在では、コバルト60の数は約2200分の1に減っています。測定技術が進歩して、現在でも、爆心地から1800㍍の地点で被爆した鉄の中にわずかに残ったコバルト60から放出されるガンマ線を測定することができます。この測定結果から、原爆が爆発した瞬間に、その地点にどれくらい初期放射線の中性子がやってきたかを逆算することができます。
こうして、爆心地から1800㍍の地点に到達した中性子の個数は、アメリカのコンピュータで計算したDS86と呼ばれる線量評価よりも数十倍以上も多いことがわかったのです。
原爆の爆発直後には、アルミニウム28(2・3分)、マンガン56(2・6時間)、ナトリウム24(15時間)など、括弧内に示したように半減期がきわめて短い誘導放射化された原子核沢山作られ、これらの原子核から、強い放射線が放出されました。そのため、原爆が爆発した後に、救援活動などで爆心地近くに入った人たちが、これらの誘導放射性物質からの放射線を体外からあびる外部被曝とともに、放射性物質を、呼吸や飲食などを通じて体内に取り込んで、体の中から放射線をあびる内部被曝をしました。
放射性降下物
広島原爆のガンマ線で作られた火の玉には、①ウランの核分裂でつくられた核分裂生成物(「死の灰」)の原子核約4×1024個と、②核分裂しなかったウラン235の原子核約1.5×1026個、それに誘導放射化された原爆機材の放射性原子核 約(2.5)×1024個が含まれています。放射性原子核の全体の個数は、初期放射線として放出された中性子線とガンマ線の個数よりも多く、放出するエネルギーも初期放射線のエネルギーの約2倍になります。
火の玉は、急上昇して温度が急激に下がるので、放射性原子核を含んだ原子や分子に水蒸気が付着して強い放射能を持った水滴になります。これが「きのこ雲」と呼ばれる原子雲です。高空に達した原子雲は崩れて広がっていき、成長して重くなった水滴は「黒い雨」になって降下します。これがもっとも典型的な放射性降下物です。
黒いすすと放射性微粒子
「黒い雨」は井伏鱒二の小説でもよく知られた現象です。私は、京都原爆訴訟で原告の小西建男さんからはじめて、「黒いすす」が降ったことを聞きました。小西さんは、広島の爆心地から南東方向に位置する比治山の南端にある兵舎で被爆しました。小西さんは、潰れた兵舎から這い出し、砂埃が晴れて空を見ていると、「照りつけていた真夏の太陽が突然隠れて暗くなり、しばらくすると黒いすすが雪のように降ってきた。身体に付着したので、こするとべったり伸びて付着した。」と証言しました。原子雲を形成する水滴が、朝の太陽に照りつけられた南東部分は水分が蒸発し、「黒いすす」になって広がり、やがて降下してきたのです。
「黒い雨」、「黒いすす」の他に、目に見えない放射性の微粒子も降ってきたと考えられます。これらすべてが放射性降下物です。
原爆が投下された8月6日の広島は、南東の風が吹いていたので、原子雲は北西方向に移動して行きました。太陽光線の陰になった北東から南西にかけては「黒い雨」が激しく降りました。
被爆者や、8月6日当日に救援活動に入った人々はこうした放射性降下物の影響を受けました。体の表面や頭髪や衣服に付着した放射性物質から持続的に放射線を体外からあびる外部被曝を受けました。さらに、救援活動や死体の処理などで放射能を帯びた埃などを吸入して内部被曝をしました。
核戦争のための研究結果は被爆者に適用できない
アメリカは、即効的な殺傷力の強い近距離の初期放射線だけに強い関心を持って、АВСС(原爆傷害調査委員会)を設置して広島や長崎の被爆者の調査をしてきました。残留放射線の影響は部分的にしか考慮せず、とくに残留放射能による内部被曝の深刻な影響は今でも隠し続けています。これが「劣化ウラン弾の影響はない」という背景になり、日本政府の被爆実態とかけ離れた被爆者行政にもつながっているのです。
「原水協通信」2004年3月号(第721号)掲載