原水爆禁止世界大会

原水爆禁止世界大会

 1945年8月6日、9日-広島・長崎に原爆が投下され、2つの街が一瞬にして、「地獄」に突き落とされました。広島、長崎ではその年のうちに約21万人もの尊い命が奪われました。しかし、原爆を使用したアメリカは、広島・長崎への原爆被害が世界に伝わることを恐れ、厳しい報道管制をおこない、実態は日本国民にも、アメリカ国民をはじめ世界の人びとにも知らされませんでした。

 1954年3月1日、アメリカが太平洋ビキニ環礁でおこなった水爆実験によって日本国民は三度の原水爆による被害を受けました。ビキニ水爆被災事件をきっかけに、広島・長崎の被害、放射能による惨禍を広範な国民が知り、核兵器の廃絶を求める「原水爆禁止署名」が全国でとりくまれ、1年余で当時の有権者の過半数3400万に達しました。

 こうした原水爆禁止を求める大きな国民の声を背景に、1955年8月、広島で第1回原水爆禁止世界大会が、翌56年には、長崎で第2回原水爆禁止世界大会が開かれました。以来毎年、世界の人々と連帯して世界大会が開催されてきました。いまや核兵器廃絶は世界の大きな流れに発展しています。