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原水協(原水爆禁止日本協議会)
被爆者との連帯 ビキニデー 平和行進 世界大会

被爆70年ヒバクシャ遊説inヨーロッパ:スペイン―フランス―イギリス

核保有国・依存国で 広げた核兵器ノーの声 ー 核兵器廃絶と戦争法廃止に共感広がる
日本原水協事務局次長・土田弥生

被爆証言がスペイン全国に


バルセロナ市長(右端)に被爆写真を贈呈する代表団

 代表団が最初に訪れたのはスペインのバルセロナ。ここカタロニア地方のスペインからの独立をめぐって政治的熱気があふれた街で、初日から被爆者はインタビュー攻めにあいました。スペイン全国テレビをはじめ約10社のメディアで被爆証言が報道されました。戦争法にも関心が高く、被爆者への最初の質問が「戦争法についてどう思うか」「どうすれば廃止できると思うか」だったことには驚きました。

 同日夕刻にはサン・クガ市で集会に参加。約70人の活動家や市民が集まりました。サン・クガ市長をはじめ、自治体関係者が多く来ていたことにも驚きでした。参加者は「ヒロシマ・母たちの祈り」のDVDを見て、涙していました。核兵器をなくそうという代表団と市民の気持ちがひとつになり感動の集会でした。

核基地前でノンノン・ニュークリア


フランス核基地前で被爆証言する木村さん

 次に訪れたフランスでは、パリから車で片道3~4時間のレンヌへ行き、そのレンヌからさらに3時間かかるフランスの核基地まで行き、パリまで戻ってくる強行軍でした。

 核基地の前で集会を開き、「ノンノン・ニュークリア」と声をあげました。ここにはフランスが保有する核兵器の90%があり、潜水艦に配備されたり貯蔵されたりしています。最低で見積もっても、広島型原爆の3万倍の破壊力があるそうです。しかし、基地の近くにはのどかな田園と住宅の風景がありました。ここでも被爆者の「人類は核兵器と共存できない」との訴えは、基地の町ばかりでなく、フランスのテレビを通じて全国に響き渡りました。

 またパリの中心部にあるノートルダム寺院の近くのシャトレ広場で、うれしい連帯の行動がおこなわれました。「アベ政治を許さない」の行動です。パリ在住の日本人や韓国人、フランス人たちが集まり、聴衆も増え、50人を超えました。マイクを握る人たちが、核兵器、戦争法、憲法9条、沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設など安倍政治を鋭く批判。「安倍はやめろ」のシュプレヒコールが起こりました。

イギリス国会議員に被爆証言を聞かせる


イギリス国会前での集会

 代表団は最終地イギリスへ電車でドーバー海峡を渡りました。CND(核軍縮運動)の友人たちが手作りの料理で歓迎してくれました。イギリスでは最近労働党の党首になったジェレミー・コービン氏が「核兵器は使わない」「トライデントの廃棄」などの発言をおこない、政治に新風を吹き込んでいました。同じ労働党からは「彼の発言は国家に対する脅威である」との攻撃もあるようです。この新しい動きに活動家たちは元気でした。

ロンドンにある国会議事堂(通称ビッグ・ベン)は有名ですが、今回代表団は初めて中に入りました。奥まったところにある委員会室でCND主催の会議がおこなわれました。参加者の中に10人の労働党やスコットランド国民党の国会議員がいました。政治に働きかけることがねらいだったようです。

多くの国会議員が被爆者の証言に感謝を述べ、長年の労をねぎらいました。それとともに、イギリスから核兵器をなくしていく固い決意が語られました。CND議長のデイブ・ウェブさんは、もっと多くの国会議員に被爆証言を聞かせ、働きかけを強めると決意を語りました。

草の根の運動の連帯を誓う

 3か国駆け足の訪問を通じて代表団は、やはり草の根の運動が大事ということを痛感しました。核兵器をなくす世論と運動をつくり政府の政策を変えさせることが突破口だと確信しました。この活動を核保有国・依存国で展開できたのは嬉しい限りです。

 フランス平和運動は「国民は安全保障のために核兵器を必要だと思っている」と困難をうかがわせましたが、それならなおのこと、フランスへ原爆被害展示組写真・パネルを送ろうと代表団一同気概に燃えました。

 また、戦争法に対する日本国民の怒りのエネルギーを海外でも感じました。そして、世界の多くの人が戦争法廃止の世論に連帯してくれていることを知り、激励されました。核兵器廃絶と平和をめざしてともに活動してきた友人たちの友情に感動し、さらなる連帯を誓い合った旅でした。

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