ENGLISH 旧サイトへ
原水協(原水爆禁止日本協議会)
被爆者との連帯 ビキニデー 平和行進 世界大会

被爆70年ヒバクシャ遊説inヨーロッパ:フィンランドースウェーデン

感動と共感の旅
日本原水協代表理事・齋藤 紀

はじめに

 核兵器の非人道性と原発の危険性を伝え現地の平和運動との連帯を探る旅でしたが、全行程を通じ深い感動と共感を得るものとなりました。

フィンランド(ヘルシンキ)訪問

 10月5日、ピースステーションと名付けられた建物で遊説活動の一歩が始まりました。山田さんの被爆証言には「被爆した時の気持ちは」「現在の広島の様子は」など初めて知ることによる質問があふれました。私は原発事故を伝えました。原発問題は実はフィンランドにおいて焦眉の争点となっており、北西部ピュハヨキに福島原発事故後、世界で初めての原発新設(ハンヒキビ原発)計画が進められているからです。しかもロシア国営企業のロスアトム社が原子炉を供給することになっており、国民としても複雑な懸念をもっていました。

 10月6日は政府機関のフィンランド放射線・核安全局を訪ね幹部数人と懇談しました。福島原発事故による産業被害、十数万の避難者や関連自殺の発生を報告しました。幹部の一人は「我々の役目は原発建設の是非の判断ではなく安全確保に努めることだ」と発言しましたが、私は「第一線にいる専門機関の役割は重要であり国民の命を守ることが求められている。福島の事故から真の教訓を学んでほしい」と伝えました。


「核兵器全面禁止のアピール」署名にサインする徴兵拒否の青年たち

 10月7日は徴兵を拒否した青年たちが学ぶ職業訓練の学校を訪ねました。ここでも山田さんの証言は青年たちの胸を打つものとなりました。じっと聴き入る彼らの目には涙が浮かび、やがて話が終わると部屋中に拍手がわきました。彼らの真摯な姿に胸詰まる思いでした。

 10月9日、シリアなどからの難民も含め、自主的に教育の機会を与える学校を訪ねました。山田さんの証言には家族や友達の死が出てきます。山田さんは「初めの頃、二度と話をしたくないと思った。しかし話さなければならない、核兵器はなくさなければならない」ときっぱりと述べられました。終わってからある一人の青年が私たちに「家族」は日本語でどう書くのか尋ねてきたのです。紙片を受け取ると立ち去りました。戦争も大事故による死も家族という存在がもっとも傷つき、もっとも悲しむことをその青年はきっと分かっていたのです。彼はどこかの難民だったのでしょうか、ここでもまた私は胸の高鳴りを禁じ得ませんでした。


スウェーデンの高校で国連クラブの生徒たちと

 さてスウェーデンにおける当面の重大問題は、スウェーデンがNATO(北大西洋条約機構)のホスト国になるかどうかでした。加盟国でなくてもホスト国となればNATO加盟国との本格的な合同演習や射爆場の提供などに道を開くことになるからです。10月8日(スウェーデン初日)、イエーテボリ中央図書館で開催された集会は驚きでした。「安保法制はなぜ可決されたのか、アメリカからの圧力はなかったのか、憲法は変えられたのか、安倍政権の強さはどこにあるのか、徴兵制はあるのか」などの質問が続いたのです。まさに日本の進路に関わる問題が俎上にのせられたのです。

 10月10日、現地活動家との交流会でともに語ったことはNATOとの関わり(ホスト締結)やアメリカとの関わり(安保法制)において核兵器の配備・輸送が排除されていないということでした。また彼らの口から繰り返し出たことは、安保法制をめぐる日本の動きは自国の動向と類似しているということでした。翻って言えば安保法制の動きは単にアメリカとの関係ではなくNATOとの接近をも意味するということかもしれません。わが国の平和闘争のもつ国際性を深く認識させるものでした。

 胸を熱くさせた青年たちの瞳と涙、上気した顔立ちを忘れまいと思っています。支援をいただいた方々に心から感謝いたします。

このページの最初へもどる あるいは GensuikyoのTop Pageへもどる

 
PDFWEB署名