第21回 原爆投下(その2)広島への原爆投下
広島の照準点は相生橋 1945年8月6日午前8時過ぎ、第509混成航空群のB29「エノラ・ゲイ」は、第1目標の広島上空に高度約9500メートルで東北東から接近しました。広島市上空は晴れていて、爆撃手は、市の中心部で太田 […]
広島の照準点は相生橋 1945年8月6日午前8時過ぎ、第509混成航空群のB29「エノラ・ゲイ」は、第1目標の広島上空に高度約9500メートルで東北東から接近しました。広島市上空は晴れていて、爆撃手は、市の中心部で太田 […]
原爆から放出された放射線 前に述べましたように、広島原爆のウラン235の連鎖反応でつくられた中性子とガンマ線の大部分は、原爆容器や火薬の原子核に吸収されました。吸収されずに原爆容器の外に放出された中性子の個数は約1兆5 […]
原爆の残留放射線 先回は広島原爆が爆発した瞬間に被爆者があびた初期放射線について話しました。初期放射線は便宜的に1分以内に到達した、中性子線とガンマ線を指しています。これに対して、1分以後に放射された放射線を残留放射線 […]
原爆を「新型爆弾」 日本政府は、広島がそれまでの空襲被害とはまったく異質の壊滅状態になったという報告を8月6日の午後には受けていました。翌朝未明には、トルーマン米大統領の声明を傍受して、広島に投下された爆弾が原爆である […]
山で反射された衝撃波 8月9日午前11時過ぎ、長崎原爆の爆発でつくられた「火の玉」の表面から離れた高圧の空気は衝撃波になって広がっていきました。長崎では、広島と違って、山が高く爆心からの距離が近かったため、衝撃波(空気 […]
日本軍の原爆災害調査 アメリカ大統領トルーマンの「原爆投下声明」を傍受した日本軍と日本政府は、広島に投下されたのが原爆であることを確認するため理化学研究所の物理学者仁科芳雄博士を含む調査団を広島に派遣しました。また、陸 […]
隠ぺい政策の下で情報収集 1945年9月、連合国最高司令官総司令部(GHQ)は原爆被害の報道を禁止すると同時に、原爆の影響を調査し、放射線被害の情報収集を始めました。 その頃、日本の科学者や医学者を網羅する日本学術研 […]
厚労省の原爆症認定基準 現在、原爆手帳を持つ被爆者は28万人弱。厚生労働大臣によって原爆症と認定されているのはその0・8%に過ぎません。この数字は、多くの被爆者が59年後の今も被爆の後遺症に苦しんでいる実態をまったく反 […]