第13回 核帝国主義のルーツ
イラク戦争への道
3月20日、ついにアメリカのブッシュ政権は、世界世論に反して、イラク戦争を始めました。この戦争は、平和的方法で大量破壊兵器の問題を解決する道を断ち切り、先制攻撃によって主権国家の政権を倒し、多数の非戦闘員を犠牲にするすという、国際法と国連憲章を踏みにじる無法なもので、21世紀最悪の暴挙の一つとして歴史に記録されるでしょう。
このような野蛮なパワーポリティックス(軍事力を背景にした政治・外交)の権化のようなアメリカのやり方の根源はどこにあったのかということを、アメリカ外交史の研究者らは明らかにしようとしてきました。『破滅への道程』(原著の直訳は『破壊された世界—原爆と大同盟』)の著者マーチン・シャーウインは1940年から44年の後述するハイドパーク協定までの、米英の首脳会談に焦点を当てています。また、1947年から53年までアメリカの国務省で対ソ外交を担当したジョージ・ケナンは、ソ連が実際には抱いていない「軍事侵略への渇望」を抱いていると考えたこと、そして、核兵器を主柱とする極度の軍事化によって、ソ連を脅して戦後の世界政治の覇権を握ろうとして、実際に広島と長崎に原爆を投下したことの2つが、アメリカの世界戦略の大きな分岐点で、今日の核帝国主義への道の入り口になったと見ています。
大統領の秘密体質と権限の集中
アメリカ大統領ルーズベルトは、原爆に関する政策に関しては、イギリスの首相チャーチルとだけ相談し、原爆に関わる科学顧問や原爆開発の責任者のスチムソン陸軍長官ら側近にも知らせずに原爆政策を決定していきました。前回紹介したケベック協定(米英戦時原子力協定1943年8月)は、原爆を戦後の対ソ外交の取り引き手段として使うことを意図したチャーチルの構想にルーズベルトが同意して結ばれたものでした。しかし、この協定も大統領側近にはまったく知らされていませんでした。
ルーズベルトは「国際連盟」のような国際組織に依存して平和を維持するという考え方に否定的でした。そればかりか、原子力が戦後の国際協力を不可欠にするよりも、威嚇力になる点で効果的になると考えていました。「原子爆弾の管理および使用に関する国際協定を作るために、原爆が作られている段階でその開発の存在をソ連に知らせるべきだ」というニールス・ボーアの提案をルーズベルトがチャーチルとともに拒絶したのは、ボーアに会う前に彼等がすでに結論を出していたからです。
ハイドパーク協定
1944年9月18日、ハドソン河畔のハイドパークで行われた米英首脳会談における秘密の覚書「ハイドパーク協定」は次のような内容でした。
1.原子力の管理と使用に関する国際協定を目指すために、これを世界に公表すべきという提案は、受け入れることができず、極秘にしておくべきである。しかし、原爆が完成した暁には、熟慮の後、おそらく日本に対して使用されることになるであろう。その際、日本に対して、降伏するまでこのような爆弾による攻撃がくり返される旨の事前の警告を与えるべきである。
2.原子力を軍事目的と商業目的のために開発することを目指す英米両国政府間の完全な協力は、合意によって停止されない限り継続される。
3.ボーア教授の活動を調査し、同教授が情報を特にソ連にもたらさないことを保障するための措置を講ずる。(原文では、「原子力」はすべて、英国の原爆開発の暗号名「チューブ・アロイズ(合金管)」となっています。)
この協定は、ボーアの提案を真っ向から否定するものでした。原爆が国際関係の基礎を変えるものとなるので、戦後の核兵器競争をさけるためにソ連と交渉すべきだというボーアの提案は葬り去られ、戦後半世紀にわたる米ソ核対決の時代につながる決定でした。リチャード・ローズは、ピューリッツア賞を受賞した著書『原子爆弾の誕生』の中で「その9月に世界がどれほどのものを失ったかはかり知れない」と書いています。ボーアの提案を受け入れていたら戦後の世界はまったく違ったものになったでしょう。
イラク戦争を推進し、支持する支配者たちは、世界世論によって追い詰められています。彼等を引きずりおろすことに成功すれば、人類社会は横暴なパワーポリテックス終焉の時代に向かうでしょう。
ルーズベルトの急死
1945年4月12日、ルーズベルトが急死し、副大統領ハリー・トルーマンが大統領になりました。トルーマンは大統領になるまで原爆開発を知らされていませんでした。また、新大統領を補佐する原子力問題顧問たちも米英間の合意を知らないままでした。ただ、日本に対して、戦争終結前に原爆を使用するという方針だけが明確になっていました。ルーズベルトよりもソ連に対して懐疑的な見方をしていたトルーマンは、いっそう強硬な対ソ政策をとったので、米ソの同盟関係は急速に悪化していくことになりました。こうした中で、原爆使用の可否ではなく、日本に対して原爆をどのように使うかだけが問題になっていきました。
「原水協通信」2003年4月号(第710号)掲載