祝 日本被団協 ノーベル平和賞受賞
核兵器禁止条約参加署名
署名共同よびかけ人から
お祝いのメッセージ
日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が10月11日にノーベル平和賞を受賞したことを受けて、「唯一の戦争被爆国 日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める署名(禁止条約参加署名)」共同よびかけ人の皆さんから寄せられたメッセージを紹介します。(五十音順)
赤井 純治(新潟大学名誉教授)
被団協のノーベル平和賞受賞おめでとうございます、心からの祝意を表します。
リアルタイムで、被団協へのノーベル平和賞受賞の様子をテレビで見ていました。よかった、万歳! という思いとともに、少ししてこれは当然だと..。どの団体よりも先にノーベル賞が妥当と思っていましたから。今の核をめぐる情勢、グテーレス国連事務総長も、中満泉軍縮担当上級代表(国連事務次長)も8月世界大会で、また各国代表も、被爆地広島・長崎の市長・県知事らも繰り返し今の核使用への危機感、核戦争の恐れ、核抑止論は成り立たないことを強く発信しておられる中で、当然の評価と思います。この危険への緊急の警告の意味も持っています。これまでの核廃絶への献身的な貢献・奮闘・頑張りに大きな祝意を示し、お祝いすると同時に、このノーベル賞は、私たちに、このメッセージをどう受け止めるか、を鋭く問うています。
核共有〜非核3原則を壊すことを持論としている石破首相や維新の会への痛烈な批判です。いま選挙戦の最中ですが、現政府が、核兵器禁止条約に背を向けるならば、核廃絶を目指し、核兵器禁止条約を批准する新たな政府をつくるべく、それを実現する確固とした志をもつ政治家を選ぶべく、一大争点とすべし! です。
石破首相は、党首討論で、ウクライナがなぜ攻められたかと問い、核を持ってなかった、核を放棄した(ブダペスト覚書)からだと主張。<これで、日本の危機を、ナチス風に煽っています>。ならば、全世界の国が全て核を持つべきだということになります。これは国連の、また全世界の趨勢と真逆! 誤認・誤情報で何回となく核が発射されそうになったり、誤って発射事故(沖縄)、落下したことも複数回ある、これらの危険の上に安全は絶対にあり得ないことです。人類の破滅必至です。被爆者の思いをこれほど逆撫ですることはありません。
TVで田中被団協代表委員も、近い将来に核戦争が起こるのではないか、とコメント。しかし、これを受けてNHKのコメントは、核廃絶への影響はと問い、現実には難しいでしょうと結び、世論を否定的な方向に誘導しています。このようなメディア状況に対抗するには、いま自らの大量宣伝と大量対話です。これはいま実施中の、被爆80周年に向けての、「非核日本キャンペーン」そのものです。この中で、被爆の実相を広めるとともに、政府に禁止条約参加・批准を求める署名を飛躍的に伸ばすことが求められています。原水爆禁止運動の原点は署名。3200万を集めた初心に、私もかえりたいと。今、全体で300万余まで集まってますが、これを最低1000万以上にして、国民全体の確固とした世論としたい、と訴えています。私の専門の研究会(地団研)の合言葉で、「まず実践」という言葉がありますが、私は、キャンペーンの中での個人目標として3000筆を設定、いま860筆です。
今回のノーベル賞報道の時、高校生平和大使が同席していました、13日の夜7時のニュースでは高校生1万人署名を報道、被爆者の方が高齢になられ、若い人が後を継がないと続かない状況が少し広まりつつあります。これは、今の平和民主勢力の運動にとっても大課題の、世代継承にも関わります。
私は、日頃、若い世代の、発信・うねりが、今の大軍拡の動きを止め、平和の方向へ流れを変える引き金になる、これが必須と思っていて、都知事選の時の一人街宣に習って、一人で署名も一つの初心ではないか、平和行進の西本敦さんの思いにも通じるところがあるのでは、と。大学前と高校生がたくさん乗るJR駅前で、ほとんど一人、2人の時も2回、合わせて10回程やりました。その都度、色々ドラマも…。これらは、Facebookに書いています。これらの中で、ある高校生に署名をしてもらい、対話し、科学者集会の本をプレゼントしたり、その後、かなり中味の深いメールのやり取り中です。こういう事例をたくさん作るならば、きっと本物の良い結果につながるだろう、と。
ノーベル賞受賞をエネルギーに、「非核日本キャンペーン」を強める、その内の一つ、署名も加速させたいと思います。
安斎 育郎(立命館大学名誉教授/立命館大学国際平和ミュージアム終身名誉館長)
半世紀近く日本被団協と共同してきた私としては、我が事のように喜ばしい被団協のノーベル平和賞受賞でした。山口仙二さんや谷口稜曄さんに伝えたいですね。ノーベル平和賞には「よくできましたノーベル賞」と「がんばりましょうノーベル賞」がありますが、日本被団協のノーベル平和賞は前者で、後者の「がんばりましょう」は、私たちや次世代の若者たちも含む後継者への激励メッセージです。核兵器使用の非人道性を世界に訴えた被爆者たちの声を受けて、非核の世界をめざしてアイデア豊かに頑張りましょう。核兵器禁止条約批准国をどんどん増やして条約の規範力を圧倒的に高めましょう。来年は核兵器の原理である相対性理論がアインシュタインによって発見されて120年、それが原爆として開発・実験・使用されて80年、そして、その原理の発見者であるアインシュタインが「ラッセル=アインシュタイン宣言」を発して70年です。被団協受賞に力を得て、日本原水協の運動をますます発展させ、「核兵器なくせ!」の被爆者の声をいっそう世界にとどろかせましょう。
池谷 薫(映画『蟻の兵隊』監督)
日本被団協のノーベル平和賞受賞を心から祝す。
被爆者自身が多くの犠牲を払いながら成し遂げた偉業の数々… それがようやく認められた。広島の被爆二世として素直にうれしいが、それだけ核戦争の危機が迫っている証拠ともいえよう。
ニュースを聞いて核廃絶に生涯をささげた坪井直さんに思いを馳せた。8年前、現職の大統領として初めて広島を訪問したバラク・オバマ氏と笑顔で握手を交わした執念の被爆者である。
あのとき坪井さんは苦渋の決断を迫られていた。アメリカに謝罪を求めるのか否か。「謝罪しないなら来るな」か「謝罪しなくてもいいから来てほしい」か… 坪井さんは厳しい批判を覚悟のうえ、後者を選択した。憎しみの「情」を捨て、核廃絶を一歩前に進める「理」を選んだのだ。
日本政府よ、坪井さんのようにこの受賞を真正面から受け止めよ。そして、唯一の戦争被爆国として直ちに核兵器禁止条約に参加し、核廃絶運動の先頭に立て。いつまでもアメリカの顔色を伺っている己を恥じよ。
僕の作品に「蟻の兵隊」という戦後も戦争を続けさせられた元中国残留日本兵の悲劇を追った映画がある。「蟻の兵隊」の教訓は国家はでっかい嘘をつく… その嘘をつく国家に主人公の奥村和一さんは個人の尊厳をかけた闘いを挑んだ。
坪井さんら被爆者の闘いも、まさに個人の尊厳をかけた闘いである。
国家がやることを睨み付けながら、核廃絶への道を堂々と歩みたい。
坂手 洋二(劇作家/演出家)
日本被団協のノーベル平和賞受賞。これを機に、被ばくの実態を世界にさらに広く深く知ってもらうことを、より強く押し進めたい。人間を殺傷する武器の廃絶。人類が知り、背負うべき放射能被害の実態と、その恐ろしさ。被害を受けた一人一人が受け止めてきた「特別なこと」が、全ての人間にとって向き合うべき「大切なこと」であると、世界じゅうが何度でも繰り返し認識していくべきである。そう考えてくれる方々が、世界中にいる。それを再確認できた。
住江 憲勇(全国保険医団体連合会名誉会長)
今回のノーベル平和賞受賞おめでとうございます。
素より無毒化、無害化不可能な核技術を人類が弄ぶことは許されない。軍事的抑止論の行きつく先は核武装、核戦争であり、これは即ちヒト社会の持続可能性が0(ゼロ)となることである。
武本匡弘 プロダイバー・環境活動家 NPO気候危機対策ネットワーク代表
「Reason for Hope 」
受賞発表のその瞬間、あまりの嬉しさに言葉がみつからないほどでした。
とまらない歓喜の涙、そして「絶望の中にこそ必ず希望はある」と、いつも活動を共にしていただいている被ばく者の皆様からの言葉…今かみしめています、ありがとうございます!
この受賞をきっかけに、日本政府は率先して被ばく者の長年の運動の意味を捉え、真摯にこれに向き合う事を強く求めたいと思います。
今まさに全人類的課題である「平和の危機と気候危機」
ところが気候変動による被害、災害等がこれほど深刻であるにもかかわらず、国内ではなかなか大きな動きにならないという現状があります。
過去数十年のうちに人類は地球環境を劇的に変えてしまい、自然界は衰退しています。今のままでは人類の破滅は避けられないという厳しい状況です。
しかし、気候危機に立ち向かう行動の真っただ中にいて「危機感だけでは人は動かない」という事を体感しています。
そんな中、長きにわたり核廃絶・平和への願いを声高々に挙げ続け、粘り強く運動を継続して来られた方々の姿はどれだけ私たちに勇気を与え、進むべき道筋を示唆してくれていることでしょう。
地球とその未来が核のない恒久平和を基礎にしてこそ存在できるという真実。
これが私たちの「Reason for Hope」なのです。
永田 浩三(ジャーナリスト・武蔵大学教授)
日本被団協のみなさん。このたびのノーベル平和賞の受賞おめでとうございます。ニュースが飛び込んできた時、わがことのようにうれしくて、ずっと泣いておりました。
思えば、原爆投下から10年近くの間、被爆者が声をあげることは、ほんとうにたいへんなことでした。わたしはそのことを『ヒロシマを伝える 詩画人・四國五郎と原爆の表現者たち』の中に書かせていただきました。健康を失い、家族や友人を失い、仕事を失い、家を失ったひとたち。占領軍の検閲に抗い、声を上げることでまた新たな差別や偏見にさらされました。それでも、ひとりまたひとりと各地で声を上げるひとが現れました。川手健・山代巴・峠三吉といった初期の被爆者運動の担い手のことを改めて思い出します。今回の受賞を、そうした先駆者たちもきっと喜んでおられることでしょう。広島の爆心から800mで原爆に遭遇し、生きのびた母も、同じ気持ちだと思います。
被団協の方々には、毎年のように武蔵大学で開かれる「被爆者の声をうけつぐ映画祭」で講演をお願いしたり、学生たちとの交流をしていただいています。南浦和にある「ノーモアヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の資料庫に通い、映像作品『声が世界を動かした』をつくったこともありました。被団協の代表委員を務められた岩佐幹三さんが倒壊した家の下敷きになった母を捨てて逃げなければならなかったお話に涙し、山口仙二さんの国連演説の原稿の推敲の過程に胸が震えました。いまも4年生は卒業制作でお世話になっています。
多くの若者たちが心揺さぶられるのは、原爆の惨禍を潜り抜けた当事者の方々が、自分たちの国家補償を求めるとともに、核兵器廃絶について訴え続けてこられた、その粘り強さです。
繰り返される核実験、核兵器による威嚇。いまは核戦争90秒前と言われるほど危機が現実のものとなっています。そうしたなかでの日本被団協の受賞は、核兵器は絶対にあってはならないし、使われてはならないことを世界に発信する強いメッセージとなりました。
被爆者の方々が願う核兵器の廃絶。そのことを理想ではなく、現実のものとしなければなりません。微力ですが、わたしもその行動の輪の一員でありたいと思います。
※この12月に刊行される『原爆と俳句』(大月書店)のなかには、多くの被爆者の俳句とともに、被団協代表委員だった故・伊東壮さんの俳句もたくさん紹介されます。お読みいただければ幸いです。
野口 邦和(原水爆禁止世界大会運営委員会共同代表・非核の政府を求める会常任世話人)
日本被団協のノーベル平和賞受賞を心よりお喜び申し上げます。
振り返れば、日本の個人・団体が初めてノーベル平和賞を受賞したのは、1974年の佐藤栄作元首相でした。当時私は大学4年生で、元首相の受賞を聞いたとき、最初は「悪い冗談だ」と思いました。「冗談ではなく本当だ」と改めて知らされ、大いに呆れたのを覚えています。「賞というものはすべて基本的に愚劣」で、ノーベル賞は「言語的・文化的には『人種差別賞』であり、平和に関しては逆に『侵略賞』である」と公言する高名なジャーナリストがいます。50年以上も前の論考とはいえ、歴代の受賞者リストを見ると、確かに一面の真理であることは否定できないでしょう。
しかし、一面は一面であって、全面ではない。今回の日本被団協の受賞を聞いたとき、率直に喜び、かつ涙が溢れ出るのを禁じ得ませんでした。ノルウェー・ノーベル賞委員会が平和賞を日本被団協に授与すると発表した声明文が非常に優れています。「過去80年近く1発の核兵器も戦争で使用されていないという事実」の根拠を「核抑止論」に求める石破茂首相とは異なり、「日本被団協と他の被爆者の代表たちによる並外れた努力」こそが「核のタブーの確立に大きく寄与」したことに求めています。同時に、「核のタブー」が今日圧力を受けていることに強い懸念を表明しています。核大国が核兵器を近代化・改良をはかっていること、新たな国が核兵器を取得する準備をすすめていること、現在進行中の戦争で核兵器使用の脅迫がおこなわれていることなどが「核のタブー」への圧力です。声明文は、いまこそ「核兵器とは何かを思い起こす価値がある。世界が目にしたこれまでで最も破壊的な兵器だ」と指摘しています。
創設者A・ノーベルは、平和賞を「国家間の友好関係、軍備の削減・廃止、及び平和会議の開催・推進のために最大・最善の貢献をした人物・団体」に授与すべしと遺言で述べています。日本被団協の受賞こそ、A・ノーベルの構想した平和賞に相応しいのではないでしょうか。「核兵器のない公正で平和な世界」の実現めざして、私たちも大いに尽力していきましょう。
広渡 清吾(東京大学名誉教授)
心から嬉しく、大きな喜びを感じています。
被爆者のみなさまのご労苦を思い、いまの世界の惨状をみつつ、被団協が世界の平和を作り出す希望であり、これを担い継ぐことが世界の人々によって日本の市民に託されていることを受け止めたいと思います。世界と日本における核抑止論を超えて、核兵器が人間と相いれないこと、なによりも核兵器禁止条約を世界で確立するために前進したいと念じています。被団協のこの受賞をしっかりと認識して日本政府、与党・野党が被爆者の心と志を自らのものとすることを強く要請します。
山本 義彦(静岡大学名誉教授/公益財団法人第五福竜丸平和協会顧問)
この受賞を心から喜びたい。
以下、この四半世紀かかわってきた、第五福竜丸平和協会役員としての私の認識を公表しておく。
①この受賞はICANの受賞に引き続く快挙だ。ICANは2017年国連核兵器禁止条約提案へのものであったが、まさにこの核兵器禁止条約の内容こそは被爆者の思いを具現化した内容であった。
②原水爆被爆者団体協議会が組織されたのは1956年であるが、その2年前の1954年第五福竜丸をはじめ1000に近い日本漁船がビキニ環礁のアメリカの核実験によって被災し、これをきっかけに、1955年原水爆禁止世界大会が党派を超えて初めて組織されたことが背景にもなっている。3000万署名運動がこれを支えたことに励まされ、ヒロシマ、ナガサキの被爆者達が声を上げたのである。
③以来原水爆禁止運動の幾度かの分裂を経過しながらも被爆者団体の結集があって、持続的な被爆者の実相を伝え続けてきた。
④私達は、「唯一の被爆国」を称えながら、未だに核兵器禁止条約に背を向け、あまつさえ他国の核兵器を傘にしての平和を追求すると言ったあり方が、実は核保有国の側に身を置いているに等しいとローマ法王によって安倍晋三首相が指弾されたのは記憶に新しい。
ましてや今、核共有を声高に主張する政治家も登場するに及んでは、明らかに平和賞受賞の意味は半減どころか真っ向から否定するものと思わざるを得ない。
この受賞をきっかけに日本政府が真摯にこれに向き合い、まずは締約国会議にオブザーバー参加から初め、批准するよう強く要請する思いである。それが世界の核実験場での被爆に苦しんできた人びと、また未だに核恐喝に怯えなければならない世界の状況を克服する道である。日本政府は率先して被爆者の長年の運動の意味を捉え、真摯に向き合って欲しい。