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第3回 ミクロの世界への誘い(3)

ウランの核分裂の発見

 1930年代の後半には世界の各地で、人工元素を創り出す実験が行われていました。原子番号92番のウランの原子核に中性子を衝突させ吸収させると、自然界にない、原子番号が93番の元素がつくられるだろうと予測して、衝突後につくられた放射性物質を、薬品で溶かしたり沈殿させたりして分離する化学分析が行われました。化学分析では化学的性質の同じ同位元素を分離することはできません。しかし、放射性の元素は微量でも、放射線を出し続けるので追跡することはできます。放射線の強さが半分になるまでの時間、すなわち半減期は、放射性元素ごとに違うので放射性元素の区別ができます。ところが、実験ごとに違った結果になって、はっきりした結論がなかなか得られませんでした。当時、放射線化学の最も高い技術をもっていると自他ともに認めていたのは、ベルリンのカイザー・ウイルヘルム研究所の所長オットー・ハーンでした。
ウランの核分裂

 1938年の12月、ハーンと若手研究者のフリッツ・シュトラウスマンは、ウランの原子核に中性子を衝突させてできた半減期が86分の放射性元素に注目しました。彼らはこの放射性元素を原子番号88番のラジウムの同位元素と考えて、ラジウムと化学的性質の似ているバリウムにいったん混ぜて他の元素と分離・濃縮しておいて、再びバリウムと分離しようとしました。しかし、この放射性元素はバリウムとまったく同じように振る舞って、どうしてもバリウムと分離できませんでした。そこでハーンたちはウランに中性子を吸収させた結果、バリウムの同位体ができたと考えざるを得なくなりました。バリウムは原子番号が56番で、その原子核の電荷も重さもウランの原子核の約半分に近い値です。中性子を吸収したウランが一気にウランからかけ離れたバリウムになることは信じ難いことでした。彼らはさらに実験を続けて、この放射性元素がベータ崩壊によって原子番号が一つ大きい57番のランタンに変わることを確かめました。こうして、ついに彼らは原子番号56番のバリウムができたことを確認したのです。

 ハーンは、カイザー・ウイルヘルム研究所の物理部長でハーン、シュトラウスマンと直前まで一緒に研究していたリーゼ・マイトナーに手紙を書いて、物理学者としての考えを聞きました。彼女はユダヤ人だと言うことでナチスによって研究費がうち切られており、さらに研究所を追い出される可能性が出てきたので、スウェーデンに逃れていました。彼女は、彼女の甥で、デンマークのコペンハーゲン研究所の物理学者オットー・フリッシュといっしょにハーンの手紙を検討しました。二人は、前年に物理学の大御所でコペンハーゲン研究所のニールス・ボーアが提唱した原子核の液滴モデルが頭に浮かびました。

 ボーアの液滴モデルは、ウランのように陽子や中性子が200個以上も集まって原子核をつくると、個々の陽子や中性子を扱うよりも、ちょうど水の分子が集まった水滴のように扱えるという原子核の模型です。小さな水滴は表面張力のために球状になるように、核力という強い力で陽子や中性子もお互いを引っ張りあう結果、原子核の表面近くの陽子や中性子に表面張力が働いて、ちょうど水滴のようにウランの原子核は球状になります。

 ところで、ウランのように原子番号が92番、すなわちプラスの電荷の陽子が92個も集まると電気的な反発力も核力をうち消すほどに強くなり、表面張力はかなり弱くなります。マイトナーたちは、ウランの原子核が中性子を吸収した衝撃で、球状の形が崩れ、電気的反発力が表面張力に打ちかって、図のようにウランの原子核が分裂するという考えに到達しました。ついに謎が解かれ、原子核の核分裂が発見されたのです。 

 マイトナーとフリッシュはウランの原子核が核分裂すると約2億電子ボルトという莫大なエネルギーが放出されると計算しました。1電子ボルトは、電子や陽子が1ボルトの電圧によって加速して得るエネルギーです。普通の化学反応で生ずるエネルギーは1個の原子当たり1電子ボルト程度ですから、ウランの原子核の核分裂を連鎖的に引き起こせば、同じ重量の燃料を用いた化学反応の何百万倍という莫大なエネルギーが生ずることが予想されました。

「原水協通信」2002年6月号(第700号)掲載