判明している世界各地の核実験
1945年〜1998年
「核のノート」
ロバート・S・ノリス、ウィリアム・M・アーキン
(天然資源防衛協議会)
(『ブレティン・オブ・アトミック・サイエンティスツ』1998年11/12月号より)
最後に『判明している世界各地の核実験』の最新情報(1996年5/6月号『核のノート』参照)を発表して以来、数度の実験がおこなわれ、いくつかの国の核計画にかんする追加情報が入手できるようになった。1945〜1998年の間に七カ国がおこなった2,051回の実験を表にまとめたが、そのうちの85%をアメリカとソ連が占めている。ほぼ26%の実験(528回)は、大気圏内で実施された。
55ページ〔注:『情報資料』上のページ〕に、(核不拡散条約が認めた)公然核保有五カ国およびインドとパキスタンによるすべての実験を完全に網羅しているとわれわれが確信する一覧表を発表する。次ページの表はインドとパキスタンの核実験にかんするいくつか予備的な情報である。
アメリカとソ連(ロシア)が採用している1回の実験の定義(直径2キロの範囲内で0.1秒以内に起爆される1回あるいは2回以上の爆発を実験1回と数える)を適用するなら、1998年5月のインドの実験回数は3回で、パキスタンは2回である。以下論じるように、インドとパキスタンの実験で使用された爆発装置の正確な数と正確な爆発数は明らかでない。何が起こったかを正確に決定づけるには、さらに多くの情報が必要とされる。
インドの実験にかんする疑問
インドは、1974年5月18日に初めての爆発装置を実験した。「平和的核爆発」と宣伝されながら、これが軍事的に応用されたことは明らかであり、インドは基本的な核分裂方式にもとづき少量の核兵器を生産した可能性がある。「微笑む仏」という暗号名をもつこの実験は、インド西部のラジャスタン砂漠内、ケトライ村から北北西9キロメートルにある、ポカラン実験場の地下107メートルの縦坑で実施された。(「科学と地球規模の安全保障」 誌のビピン・グプタとフランク・パビアンによるとくに有用な記事〔1996年、第6巻2号〕がその位置を突きとめている)。当初、バーバー原子力研究センターは、爆発威力は12キロトンと発表したが、後で推定量を8キロトンに引き下げている。
1974年実験の地震波の規模だが、発表された深さと地盤沈下による地表でのクレーター形成を総合した結果は、実際の爆発威力は5キロトン以下であったことを強く示唆している。少なくとも、ある著名なインド人ジャーナリストの計算では、爆発威力は2キロトン程度となっている。
インドとパキスタンの実験:事実と数値
|
日付 |
世界時 |
経緯度数 |
爆発威力(推定値) |
インド核実験 |
1974/5/18 |
02:34:55 |
北緯27.095東経71.752 |
2〜5Kt |
|
1998/5/11 |
10:13:44 |
北緯27.078東経71.719 |
12Kt*(9〜16Kt) |
|
1998/5/11 |
10:13 |
? |
?* |
|
1998/5/13 |
06:51 |
? |
?** |
パキスタン核実験 |
1998/5/28 |
10:16:17 |
北緯28.830東経64.950 |
9Kt***(6〜13Kt) |
|
1998/5/30 |
06:54:06 |
北緯28.495東経63.781 |
4Kt(2〜8Kt) |
インドの現地時間は、世界時間の5時間半後。パキスタンは5時間後。
*インド政府は、三つの核爆発装置を三本の導管内で同時に、そのうち二つを1キロメートル間隔で、三つ目を2.2キロメートル離して爆発させたと発表した。ここではこれらを二つの実験とみなした。
**地震観測記録は、(インド人科学者が0.2と0.6Ktと発表した)二つの爆発を区別しておらず、片方もしくは両方とも爆発しなかった可能性がある。
***パキスタンの担当官は、五つの核爆発装置を実験したと発表した。地震観測記録は、これらを区別しておらず、一個のみが爆発した可能性がある。
1998年の実験についてインドの担当官は、5月11日に3つの異なる装置を爆発させたと発表した。43キロトンの爆発力を持つ「熱核爆発装置」(暗号はシャクティ1)、12キロトンの爆発力を持つ核分裂爆発装置(シャクティ2)、およそ200トン(0.2キロトン)の威力を持つ低爆発力装置(シャクティ3)である。インドの科学者によると、それらの爆発は三本の別個の縦坑で同時に爆発させられた。大きい方の二つの装置は、1974年の実験地点から南西に3キロメートルほどいった場所で、東西方向に1キロ間隔につくられた縦坑内に設置された。キロトン以下の装置は、2.2キロメートルはなれた縦坑内に設置された。(実験結果の分析は三つの重要な資料による。一つ目は、「軍備管理トゥデイ」1998年5月号、二つ目は、「地震学研究レターズ」1998年9月号、三つ目は、「サイエンス」1998年9月25日号)。
これらの装置から、実際にインドの兵器科学者が発表しただけの爆発威力が生じたならば、55キロトンに相当する地震波信号、つまりリヒタースケールでマグニチュード5.76の観測が予想される。試操業中の国際データセンターに報告をよせている62の地震観測所では、地震波は記録されたものの、マグニチュードの平均値は5.0と計算され、推定値を、4.7としたところもあった。これまで実験がおこなわれてきたことがわかっている地域における地震学者の研究によると、地盤の安定した地域におけるマグニチュード5.0という数値は、低くて5キロトン、高くて25キロトンまでの誤差の範囲内で、おそらく12キロトンの爆発を示すことがわかっている。12キロトンという中間値は、インドの兵器科学者が主張する値の4分の1にも満たない。
重要なことは、インド側が「熱核爆発」装置を爆発させたとしていることである。専門家のなかには当初、これはインドが水素の同位元素であるトリチウムを使うことにより核分裂爆発装置を「促進(ブースト)」させているのかもしれないする人もいた。かなりあまい定義を使えば、「ブーストさせた」核分裂爆発装置は「熱核爆弾」だといえるかもしれない。インドの科学者は、このような解釈を記者会見で打ち消そうとし、水爆とは二段階式の爆弾である、との正しい定義をおこなった。つまり、最初の核分裂が、水素を燃料とする次の物質の反応を引き起こすものが水爆であり、彼らが実験したのは、こういう爆弾だと主張したのである。43キロトンでは、「熱核」爆弾とよぶには規模が小さすぎるとの指摘を受けると、彼らは、ケトライ村がほんの5キロメートルしか離れていないため、爆発威力を縮小したのだと述べた(この後、同村内の40%をこえる建物が何らかの損害を受けたことが明らかになった)。
核実験合計メガトン数
|
大気圏 |
地下 |
計 |
アメリカ |
141.0 |
38.0 |
179.0 |
ソ連 |
247.0 |
38.0 |
285.0 |
イギリス |
8.0 |
0.9 |
8.9 |
フランス |
10.0 |
4.0 |
14.0 |
中国 |
21.9 |
1.5 |
23.4 |
インド |
— |
0.014 - .017 |
00.014 - .017 |
パキスタン |
— |
0.014 - .017 |
00.014 - .017 |
計 |
427.9 |
82.428 - .434 |
510.328 -.334 |
1961年9月から1962年12月にかけて、244メガトンが爆発させられた。この量は、大気圏内合計数の57%、もしくは1万6250発の広島型原爆に相当する。
公然核保有五カ国がはじめて成功させた近代的水爆実験は、1.6メガトンから10メガトンをこえる爆発威力を伴なうものであった。そのすべてが、1950年代と60年代に大気圏内でおこなわれた。ただし、この間アメリカとソ連は、数メガトン級の実験を地下でもおこなっている。
技術的には、高爆発を伴う水爆の二段階目の爆発を10〜20キロトンに縮小する、あるいは「燃料を低量化する」ことは技術的には可能である。しかし、これは精密さを要する過程であり、最初の(そして可能性としては最後の)熱核実験で試みられるようなものではない。また、1998年5月11日の実験で観測された爆発威力に相当するような、きわめて低い二次的爆発威力をもつ二段階式熱核兵器を設計することも可能である。
しかし、観測された爆発威力が、実験に使用された12キロトン「核分裂装置」というインド発表の爆発威力とかなり符合するという事実を前にすると、こういった潜在的可能性についての説明は無効となる。入手できる証拠からすると、二段階目の熱核爆発、あるいは熱核爆発装置全体が爆発に失敗したというのが、もっとも単純な説明である。しかしながら、これにはいく通りかの説明が可能であり、これ以上の情報なしに正しい結論に達することはできない。
インドの発表によると、5月13日には実験があと2回実施され、爆発威力は0.2キロトン(200トン)と0.6キロトン(600トン)だったという。これらの実験は、核の基準に照らせば小規模だとはいえ、地域の地震計のなかには記録を残している地震計があってもよいぐらいの規模ではある。しかし、記録はされていなかった。データを公開している観測所のなかで最もインド核実験場に近いのは、核実験場から750キロメートル離れたパキスタンのニロール観測所である。
これに先立つこと5月11日の実験で記録された信号対雑音比によると、ポカランでの爆発にたいするニロール観測所の探知能力の限界は、たいていの地質における通常の「組合せの」爆発なら10〜15トン、インドの報道機関による5月13日の事件の記述にあった「砂丘」のような、非常に多孔性の(かつ乾燥した)地帯における爆発では、おそらく100〜150トンと計算される。たとえ後者の「衝撃が一部吸収された」シナリオだったと考えても、今回主張されている600〜800トンの爆発威力であれば、ニロールで観測できるだけの信号が生じたはずである。
この実験にかんする地震観測記録が欠如しているということは、実際の爆発威力が計画よりかなり低かったか、あるいは、発表された爆発威力が、??核爆発装置の初期段階の性能についてのコンピューターモデルを測定し確認するために故意に低くしておこなった??実験の真の目的について外国の観察者を混乱させ誤解させることを意図したものだったかのどちらかであることを示している。5月11日の実験の場合、インド側からのさらなる情報なしには、これらの爆発でどのような目的が達成されたのか、それとも一回目は成功したのか、あるいは本当に二回とも爆発があったのか、いかなる確信をもって述べることも難しい。
実験場ごとの実験回数
ネバダ 935回
カザフスタン 496回
ロシア 214回
ムルロア環礁 175回
エニウェトク 43回
中国ロプノール 41回
クリスマス島 30回
ビキニ 23回
アルジェリア 17回
ジョンソン島 12回
オーストラリア 12回
ファンガタウファ環礁 12回
インド 4回
太平洋 4回
モールデン島 3回
南大西洋 3回
アラスカ 3回
ニューメキシコ 3回
パキスタン 2回
ミシシッピ 2回
コロラド 2回
ウクライナ 2回
ウズベキスタン 2回
トルクメニスタン 1回
-----------------------------------------
計 2051回
パキスタンの実験にかんする疑問
インドの実験に反発し、パキスタンのナワズ・シャリフ首相は、5月28日に5つの装置を爆発させたと発表した。これらの爆発は、アフガニスタン国境にかなり近いバルチスタンで実施され、横坑式だったと見られる。6回目の爆発は5月30日に発表され、地震波分析によれば、南西100キロメートルの地点で、縦坑式でおこなわれた模様である。
パキスタンの担当官は、インドの担当官と同様、爆発の規模と回数を誇張しているようで、最初の日の爆発威力は、(30〜35キロトンの一発を含め)40〜45キロトン、5月30日の一回だけの実験の爆発威力は15〜18キロトンだと発表した。地震データの分析からは、この主張は裏付けられない。5月28日の出来事を記録した65の観測所からの報告によると、マグニチュードは平均4.9であり、6〜13キロトンの爆発威力を示している。51の観測所が記録した5月30日のマグニチュードは平均4.3で、2〜8キロトンの範囲の爆発を示している。
インドのケースと同様、使用された爆発装置の数、爆発した数、設計方式を正確に決定づけるには、さらに多くの情報が必要である。
判明している世界各地の核実験回数 (1945年〜1998年)
A:大気圏核実験、U:地下核実験
アメリカ ソ連 イギリス フランス 中国
年 A U A U A U A U A U 計
1945 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1
1946 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2
1947 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
1948 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3
1949 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1
1950 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
1951 15 1 2 0 0 0 0 0 0 0 18
1952 10 0 0 0 1 0 0 0 0 0 11
1953 11 0 5 0 2 0 0 0 0 0 18
1954 6 0 10 0 0 0 0 0 0 0 16
1955 17 1 6 0 0 0 0 0 0 0 24
1956 18 0 9 0 6 0 0 0 0 0 33
1957 27 5 16 0 7 0 0 0 0 0 55
1958 62 15 34 0 5 0 0 0 0 0 116
1959 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
1960 0 0 0 0 0 0 3 0 0 0 3
1961 0 10 58 1 0 0 1 1 0 0 71
1962 39 57 78 1 0 2 0 1 0 0 178
1963 4 43 0 0 0 0 0 3 0 0 50
1964 0 45 0 9 0 2 0 3 1 0 60
1965 0 38 0 14 0 1 0 4 1 0 58
1966 0 48 0 18 0 0 6 1 3 0 76
1967 0 42 0 17 0 0 3 0 2 0 64
1968 0 56 0 17 0 0 5 0 1 0 79
1969 0 46 0 19 0 0 0 0 1 1 67
1970 0 39 0 16 0 0 8 0 1 0 64
1971 0 24 0 23 0 0 5 0 1 0 53
1972 0 27 0 24 0 0 4 0 2 0 57
1973 0 24 0 17 0 0 6 0 1 0 48
1974 0 22 0 21 0 1 9 0 1 0 55*
1975 0 22 0 19 0 0 0 2 0 1 44
1976 0 20 0 21 0 1 0 5 3 1 51
1977 0 20 0 24 0 0 0 9 1 0 54
1978 0 19 0 31 0 2 0 11 2 1 66
1979 0 15 0 31 0 1 0 10 1 0 58
1980 0 14 0 24 0 3 0 12 1 0 54
1981 0 16 0 21 0 1 0 12 0 0 50
1982 0 18 0 19 0 1 0 10 0 1 49
1983 0 18 0 25 0 1 0 9 0 2 55
1984 0 18 0 27 0 2 0 8 0 2 57
1985 0 17 0 10 0 1 0 8 0 0 36
1986 0 14 0 0 0 1 0 8 0 0 23
1987 0 14 0 23 0 1 0 8 0 1 47
1988 0 15 0 16 0 0 0 8 0 1 40
1989 0 11 0 7 0 1 0 9 0 0 28
1990 0 8 0 1 0 1 0 6 0 2 18
1991 0 7 0 0 0 1 0 6 0 0 14
1992 0 6 0 0 0 0 0 0 0 2 8
1993 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1
1994 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 2
1995 0 0 0 0 0 0 0 5 0 2 7
1996 0 0 0 0 0 0 0 1 0 2 3
1997 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
1998 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5**
計 215 815 219 496 21 24*** 50 160 23 22 2,051
* 1974年のインドの実験を含む。
** 『インドとパキスタンの実験:実験と数値』参照。
***イギリスの核実験はすべてアメリカで実施された。
<脚注>
核のノート(Nuclear Notebook)は、天然資源防衛協議会(Natural Resources Defence Council)のロバート・S・ノリスとウィリアム・M・アーキンが執筆した。質問の宛先は、同協議会(NRDC)まで。住所:1200 New York Avenue, N.W., Suite 400, Washington, D.C., 20005 電話:202-289-6868。
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