【反核平和運動・原水協の声明と決議】
核不拡散条約再検討会議第二回準備委員会に対する声明
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核兵器全面禁止廃絶条約を今こそただちに交渉すべきである
1998年4月
原水爆禁止日本協議会
20世紀から21世紀への歴史の節目を目前にして、世界諸国民は、広島・長崎いらい人類と文明を絶滅の縁に立たせてきた核兵器の全面禁止・廃絶を強く求めている。しかし、核保有国やその同盟諸国の政府は、「核不拡散条約」の存在や1995年、この条約の「無期限延長」が強行された際に宣言されたその他の「合意」を対置し、核兵器廃絶そのものの交渉を拒否しつづけている。
こうした現在の状況は、「核不拡散条約」とは一体、どういう条約なのか、この条約の枠内での交渉が果たして核兵器廃絶につながりうるものなのか、幻想にとらわれることなく直視するよう、各国の交渉者はもちろん、各国政府にも国民にも強く求めている。ではNPT条約の問題点とはなにか。
第一に、そもそも、NPT条約は、世界の平和運動の間はもちろん各国政府の間でも当初から多くの対立と矛盾をうみだしてきた条約である。その本質的問題が、世界の圧倒的多数を占める非核保有国にはいっさいの核兵器の保有や「取得」を否定しながら、既成の核保有国にはその保有継続を許す差別的性格にあることは繰り返し指摘されている。こうした矛盾を「軽く」見せるために、NPTの提唱者たちは、条約前文や第6条などで核保有国側の「軍縮」努力についてもふれてみせた。しかし、すでに多くの観察者が指摘しているようにこれらの条項は、「核軍備競争」の「停止」や核軍縮の「効果的措置」について「誠実に交渉をおこなう」こと、つまり、交渉そのものをおこなうことは約束していても、核軍縮や「核兵器廃絶」を実行することはまったく約束していない。実際、NPT発効後28年間をへた今日でもなお、大多数の非核保有国が自国の核を廃棄する誓約はおろか、核保有国が核兵器禁止の交渉すら拒否している事実は、この条約がなんら核保有国の手を縛るものでないことをはっきりと示している。
第二に、この条約は、1995年4月の再検討会議で「無期限」延長が強行されたことにより、既存の核保有国の核保有を「無期限」に固定化し、核兵器独占のための条約上の枠組みをいっそう強化することになった。その際にも、同時に採択された文書でふたたび「核軍縮」交渉の「誠実な追求」がうたわれ、「包括的核実験禁止条約」の完了や「核分裂物質の製造禁止」などが言及されたが、核保有国は、自国の核兵器の廃棄はもちろん、核兵器廃絶条約についてもいっさい約束しなかった。事実、無期限延長が強行されて以降の3年間、核兵器廃絶の努力はいっさいなされなかった。世界の核兵器の圧倒的部分を保有するアメリカやロシア政府は、「未臨界核実験」などにみられるようにいまなお核軍拡を継続し、アメリカ政府の指導者たちは、21世紀も「核抑止力」を世界政策の基本に据えることや、「生物・化学兵器の拡散」の危険を理由に、非核保有国への核兵器使用さえも選択肢にする旨を宣言している。
第三に、こうして核独占体制の継続・強化がはかられるさい、核保有国やその擁護者がしばしば使う「究極的目標としての核兵器廃絶」というごまかしにも批判の目をむける必要がある。実際、この「究極」論は、NPT「無期限」延長が強行された1995年の再検討会議でも、同時に「採択」された文書「核不拡散と核軍縮のための原則と目標」をはじめ最近の一連の国連総会でも主として核保有国やその同盟国の政府により繰り返し持ち出されている。これらは、いずれも核軍縮への取り組みを強調するものとしてではなく、全人類の緊急の死活的課題である核兵器廃絶の努力を「究極」のかなたへ先送りし、「見通せる限りの将来」にわたり核兵器の独占を恒久化するためのものである。近年の核軍縮交渉において「究極の目標である核兵器廃絶」の文言がこれ以外の意味で使われたことは一度もない。
日本政府は、「被爆国の政府」という、当然、善意ある人々から寄せられる期待を利用して、この数年間の国連総会でこの「究極」論を特徴とする「核軍縮」決議を提唱促進してきた。しかし、現実には、おなじ日本政府が、核兵器廃絶をもとめる国連決議には、賛成投票を拒絶しつづけている。「究極論」は、このように国際的にも日本国内でも、当面する緊急課題として提起される「核兵器廃絶」の要求をそらし、その実現を妨げるために使われているもので、事実、日本は日米軍事同盟によってアメリカの軍事戦略の拠点の役割を果たし、アメリカと密約まで結んで日本への核兵器持ち込みを容認しつづけてており、核兵器廃絶を求めたことなどまったくない。この密約は、いまなお破棄されていない。
最後に、この核不拡散体制は、そのうたい文句である核兵器の拡散防止そのものをも不可能にしていることを指摘しなければならない。われわれは、どの国によるものであれ、核兵器の保有は絶対に許されてはならないと考えている。しかし、特定の国の核兵器保有を容認する条約が、別の国の核開発を防ぐものとなり得ないことはあまりに明白といわなければならない。そもそも、現に核兵器を保有している国が、他の国の核兵器を否定する資格がないことは、国際関係の民主主義のイロハともいうべきものである。
1946年、第一回国連総会第一号決議が宣言したように、核兵器は、すべての国の「兵器庫」から一掃されなければならない。そして、この道以外に人類の生存を確実にする「選択肢」は存在しない。NPT条約下での28年間にわたる交渉のすべての経過は、NPT体制自体が持つ核兵器独占条約としての根本的問題点を直視すべきことをはっきりと示している。核兵器の廃絶を実現するためには、核兵器廃絶条約を直接の目的とする交渉こそが必要なのである。
世界諸国の中でほんの一部の国の横車によって、あまりにも初歩的な国際政治上の民主主義が実現されず、人類の運命が引き続き破局の危険に脅かされるのであれば、その打開は、もう一度、世界諸国民の判断に付されるべきであると考える。そのために、われわれは、核兵器全面禁止・廃絶を直接の議題とする第四回国連軍縮特別総会を今世紀が終わる前に開催することを強く提唱する。人類と文明の存続をはかることは、今世紀に生きる世代が次の世紀に生きる世代に対して負う絶対的な義務である。
【反核平和運動・原水協の声明と決議】
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