主催者挨拶 野口 邦和(実行委員長) 参加者のみなさん ビキニ水爆実験被災50年国際シンポジウムの開会にあたり,主催者である本シンポジウム実行委員会を代表して,ご挨拶を申し上げます。 本シンポジウムは,次の二つを目的に開催いたします。一つは,ビキニ水爆実験被害の実相と原水爆禁止運動の広がりを学び,改めて核兵器廃絶の課題の緊急性と重要性を確認し,核兵器廃絶の声を世界に広げることです。二つ目は,第五福竜丸をはじめ日本の漁船乗組員やマーシャル諸島島民の声を世界に伝え,連帯を強めることです。 この二つの目的を端的に表すため,本シンポジウムのメインテーマは,「ビキニ水爆実験被害の全容解明及び被害者との連帯,並びに核兵器廃絶をめざして」といたしました。 参加者のみなさん ビキニ水爆実験被災事件から50年が経過し,現在では事件後誕生した日本人が日本の総人口のおよそ56%を占めるようになっています。私を含めおそらく当時5歳以下の子どもは,ビキニ被災事件の記憶がまったくないのではないでしょうか。そうであるとすると,実に日本の総人口のおよそ65%,3分の2の国民はビキニ被災事件の記憶がないことになります。 本日,この会場にはビキニ被災事件をまったく知らない人びとも大勢いらっしゃることと思います。本日の国際シンポジウムの中で,それぞれの演者からさまざまな切り口でビキニ被災事件について報告されると思いますが,私からも簡単に紹介させていただきたいと思います。 参加者のみなさん ビキニ被災事件とはどういう事件だったのでしょうか。いうまでもなく1954年3月から5月にかけて,米国がマーシャル諸島のビキニ環礁とエニウェトク環礁で行った一連の水爆実験により,第五福竜丸をはじめとする日本の多数の漁船の,おそらくは1万人を超える乗組員が「死の灰」をあび被曝をした事件でした。当時の記録によれば,魚体表面から10センチメートル離したガイガーカウンタによる測定で,1分間に100カウント以上の放射能汚染が検出された魚はすべて廃棄されました。廃棄処分となった魚を獲ってきた漁船は,1954年3月から12月末までの間だけで856隻もありました。第五福竜丸の乗組員全員が急性放射線障害になり,そのうちのひとり久保山愛吉さんが亡くなるという,世界で初めて水爆実験による死亡者が出た大事件でした。日本中が汚染した魚でパニックになりました。もちろん、水爆実験場となったマーシャル諸島の人々の被害も決して忘れてはならないでしょう。 参加者のみなさん ビキニ水爆実験被災事件から50年が経って,事件が風化し忘れ去られようとしている現実が,残念ながら一方ではあります。しかし,私たちがビキニ被災事件を忘れることにより喜ぶのはいったい誰でしょうか。いうまでもなく事件を引き起こした張本人であり,現在も核兵器による恫喝を世界中に行っている米国・ワシントンの政権です。そして日本の安全保障をアメリカの核の傘の中に入ることによってしか考えることができない,対米従属の自民党と公明党による東京の政権です。 参加者のみなさん 本シンポジウムを通じて,また本シンポジウムを契機として,ビキニ被災事件について大いに学び合おうではありませんか。 「過去を忘却する者は,過去を繰り返す危険を犯している」と,ドイツのワイゼッカー元大統領は1995年8月に来日した際に発言しています。私の所属する日本科学者会議の創立発起人のひとりであり,核兵器廃絶のために力を尽くした名古屋大学教授の故坂田昌一先生は30年以上も前に,「歴史の忘却は害悪である」と発言しています。 ビキニ被災事件をはじめ,広島・長崎の原爆被害,東京大空襲など各地の大空襲,あるいは南京大虐殺など,誠実かつ率直に過去と向かい合い学ぶことは,過去に続く現在を正しく見据え,平和な未来を構築する前提です。過去の間違った戦争をきちんと総括できない政党や政治家の後継者たちが,憲法を踏みにじって再び軍隊を外国に派兵していることを見るにつけ,誠実かつ率直に過去と向かい合い学ぶことが如何に大切なことであるか,明らかではないでしょうか。 参加者のみなさん 学んだことを周りの人々に普及し,知識を共有することも大切なことです。ひとりひとりの力は小さく弱いものです。しかし,多数の人々の統一され団結された力は大きく強いものです。知識の共有は,多数の人々の統一と団結を構築する前提であると思います。 参加者のみなさん 本シンポジウムを通じて,また本シンポジウムを契機として,ビキニ水爆実験被災事件について深く学び合うことは,私たちの共通の目標である核兵器のない平和で自由で正義に満ちた世界の実現に必ず貢献するものになると,私は確信しております。
これで主催者を代表する挨拶といたします。ありがとうございました。
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