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原水協通信

毎月発行している日本原水協の機関誌です。国内外の反核平和運動についての情報が満載です。 日本原水協のウェブサイト→ http://www.antiatom.org/

「核兵器の全面禁止を!」

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【東京・町田】第21回被爆者とつどう会のご案内

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渋谷原水協が100人目標で3・1ビキニデー報告集会を計画

昨年3・1ビキニデー集会に4人の代表を派遣した渋谷原水協は、今年11人の代表を送り出します。

ビキニデー直後の9日には、『原水協通信』編集長の前川史郎さんを招いた報告集会も100人規模で計画しています。

植田純一事務局長は、この集会をバネにして7月1日の渋谷原水協平和行進、8月の原水爆禁止世界大会代表派遣へつなげていきたいと話しています。

 

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【東京】東京原水協ニュースNo.3

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【東京】宣伝カーを走らせ核兵器のない世界を訴える

世田谷原水協は10月25日、国連軍縮週間の行動として、区内に宣伝カ―を走らせて「核兵器のない世界を」つくろうと訴えました。区役所前、団地及び駅前と5カ所では車を止めて宣伝をしました。

「核兵器廃絶条約をむすばせよう」―国連提出の署名用紙を500枚配布しました。団地で宣伝していると、手を振って声援をくれる人もいました。道行く人もチラシを受け取っていました。

世田谷では今年3月、区議会が全会派一致で「平和市長会議」加盟を決め、更に、核不拡散条約(NPT)再検討会議を成功させる決議もしました。 https://22bet-ug.com/ – African Casino and Sports Betting in One Place

世田谷原水協は、今年5月、NPT・ニューヨーク行動の成功を「ホップ」、8月の原水爆禁止世界大会成功を「ステップ」、そして国連軍縮週間行動の成功を「ジャンプ」と運動を展開しています。

10月からの世田谷原水協理事会では被爆者の証言をはじめに聞き、会議を行う事を決めて実行しています。被爆者の証言活動は10年間で4集の証言集をつくっています。

現行法改正へ 東友会が第3回学習会

現行原爆被爆者援護法を、国家補償の立場を明確にする法律に変えようと、東友会は9月16日、連続学習会の第3回学習会を開きました。

講師は、日本被団協の田中熙巳事務局長。会場の平和と労働センターには、新潟、静岡、神奈川、千葉などから駆けつけた人もあり、67人が参加しました。

▲講演する田中事務局長

田中氏は、現行法の前文で定義されている原爆被害は放射線被害だけで、爆風、熱線の複合被害であることが隠されている、これを被爆の実態に書き改めることが、「受忍」論を打ち破る第1歩になるといって、法改正の「田中私案」を示しました。

「私案」には、死没者への償い、原爆の惨禍を世界のどこにもくり返させない日本国の決意などが折り込まれています。

被爆者手当を新設し、疾病の重篤度に応じて医療加算をする、疾病の重篤度は政令で定め、医療審査会の審査を必要でないようにするなども、盛り込まれています。

▲熱心に聞き入る参加者

「田中私案」に対する質疑、「被爆2世対策を」などの意見が出され、最後に参加者の女性が「被爆者の国家補償要求は、戦争被害みんなへの補償を求めるものだということが分かった」と発言。これを結びの言葉として閉会しました。

日本被団協では、10月4日までに、全国の意見を集約し、10月14日に法改正検討委員会での検討を経て、10月21日からの全国都道府県代表者会議で成案を発表したい予定です。(東友会副会長・山本英典)

東京土建が「核兵器のない世界を」署名用のマンガチラシを作成

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【東京】朗読劇仕立てでNPT・NY行動報告会-ともしび新宿店

音楽文化集団ともしびは6月27日、ともしび新宿店でNPT・NY行動報告会を開催しました。

ともしび代表としてNY行動に参加した遠藤真奈さんが、プロジェクターを使いながら写真で報告。パン・ギムン国連事務総長の国際平和会議スピーチや、「青い空は」などの平和の歌などを盛り込んだ朗読劇仕立ての報告もありました。

カンパ1000円ごとに1枚のリボンを縫い付けてNY行動に持って行ったピースベストを世界大会代表に手渡しました。

『原水協通信』編集長の前川史郎さんがNPT再検討会議の成果と課題について報告しました。

【東京】中高生が取り囲むように署名

日本原水協は東京原水協とともに6月16日、上野公園で核兵器全面禁止・廃絶の交渉開始を求める署名行動を行いました。

群馬県沼田市や太田市などから日帰り研修旅行で来た中学1、2年生が、「授業で習ったじゃん」などと口々に話しながら、取り囲むように相次いで署名。お小遣い5000円の中から次々と募金箱にお金を入れ、「今日はいいことした」と話していました。また、愛知県豊田市の中学生や岡山県の高校生なども連れ出って署名しました。

東京原水協の佐々木夏歌さん(20歳)は、「子どもたちが原爆パネルや署名から目をそらさずに向き合ってくれます。大人のみなさんもどうか目をそらさないで下さい」と訴えました。

署名をした埼玉の女性は「知り合いがニューヨークに行ったのよ」と話しながら500円カンパ。原爆パネルをじっと見つめていた女性(横浜在住)は、「終戦時5歳だった。もっといろんなところでこういう展示をしてほしい」と話していました。日本に2年住んでいるというフランス人女性やネパール人、日系ブラジル人なども署名に応じました。

行動には11人が参加し、1時間で180人分の署名と6403円の募金が寄せられました。

【東京】NPT報告会 参加者のつどい開催-東京自治労連

東京自治労連は5月30日、NPT再検討会議・ニューヨーク行動報告集会を行いました。報告会には参加者と送りだした単組代表など約40人がつどい、ビデオ鑑賞やニューヨーク行動の感想をだしあい、今後に向けた取り組みの決意を語り合いました。

参加者からは「色々な国のかたが核兵器廃絶を求めていることに感銘を受けた」「唯一の被爆国日本の役割を重く感じた」「私たち一人ひとりの力では限られているかもしれないが、協力しあい、平和を願い行動していくことが大きな力となり政府も動かすことができるのではないか」「ニューヨークで体験したこと、感じたことを『思い出の箱』に納めないようにするのが、今後の課題。あの行動は自分にとってのスタート地点であり、ここから平和活動を継続し、それを確固たるものにしていきたい」「今回の経験を生かし、微力ながらもより多くの人に関心をもってもらえるように伝え、核兵器廃絶を訴えていきたい」「行動に参加しなければ知らないことがたくさんあった」「自分が体験・体感したことをより多くの人たちに伝えていきたい」「オバマ演説で核廃絶に踏み出させるために、草の根から声を大きくアメリカに国連に届けようと再びニューヨーク行きを決意した」「地球の裏側でも核兵器をなくそうと考え、行動している人がたくさんいることを実感した」「同じ思いの人々と一緒に旗を持ち、国の壁を超えてともに一丸となり、平和を思い行動していることを実感した。また、現地で茨城原水協から参加している祖父と会うこともできうれしかった」「ずっと核廃絶なんて、誰か一人の行動ではどうにもならないものと思っていた。しかし、今回のように全体として大きな流れが、夢だと思われた核廃絶へ近づくものへ変える力となったことを、身をもって体験した。ほんの少しかもしれないが、大きな流れの一部であったと思う」「同じ思いで世界中の人たちがマンハッタンに集結し平和行動をしている、その中に自分も参加していると思うと、うれしく興奮した」といった感想が出されました。

東京自治労連は、結成20周年事業として100人が参加した「おきなわプロジェクト」の成功を力に、青年をNPTに参加させることを追求しました。31人の代表一人ひとりがニューヨーク行動で感じたことを今後の活動にいかすことで単組運動の強化につながることを確信しています。ニューヨークから広島、長崎へ平和を求める運動を引き続き青年が中心となって主体的に取り組んでいくことで、若い力が大きな力となって返ってきます。引き続き「核兵器のない世界を」実現に向けて奮闘します。

【東京】病院外来待合室でNPTニューヨーク報告会‐健生会

NPT再検討会議inNY健生会代表団は6月9日、立川相互病院で報告集会を行い、代表3人が報告しました。

報告会は、病院の2階外来待合室で行われ、40人以上が参加。通りすがりの患者さんも耳を傾けていました。 報告を聞いた参加者からは、「年間を通した活動が大事。6月20日に被爆者検診にとりくむが、今後も続けていきたい」、「パン・ギムン国連事務総長の5月1日演説は、この間の私たちの取り組みと成果を端的にあらわしている。みんなのものにしていきたい」、「NPTの5年間をつなぐものとして原水爆禁止世界大会があるのだと再確認した」などの感想が口々に出されました。

学生時代にIPPNW学生部会に入って活動していたという研修医は、「核兵器を持っている国は利益があるからだと思うが、不利益の部分を大きくしていきたい」と発言。 今年初めて世界大会に参加するという青年は、「これまで核兵器廃絶の運動については何も知らなかったが、今日お話を聞いて運動に参加できて良かった。これからも勉強させてほしい」と率直な気持ちを語りました。 最後に、健生会として昨年の代表数17人を上回る代表を送りだそうと決意が固められました。

日本原水協から前川史郎『原水協通信』編集長が参加し、NPT最終文書の成果と課題をみんなのものにして、原水爆禁止世界大会を大きく成功させようと呼びかけました。

▲講演する前川編集長

▲熱心に耳を傾ける参加者

【東京】死体に間違えられた

毎月1回のペースで東京に住んでいる被爆者の方々から被爆証言を聞く「ヒロシマ・ナガサキを受け継ぐ会(仮称)」は5月29日、日本原水協の事務所で渡部昭彦中野区原爆被害者の会(長広会)会長の話を聞きました。

渡部さんは「あまりみんなの前で話したことがない」と言いながら、広島市内の地図や『絵で読む広島の原爆』(文=那須正幹、西村繁男=絵)などの資料を使いながら話し始めました。以下はメモです。

15歳の時に爆心地から約2kmの地点で被爆。当時中学3年生でしたが、学徒動員のため金剛砥石製造工場で作業中でした。

金剛砥石の原料は砂のため、粉じんと泥がすごく、作業スタイルは「無帽」「上半身裸」「長ズボン(ほとんどの人は半ズボン)」「素足」でした。

原爆が落とされた瞬間、朝礼を終えて作業を開始したばかりでした。社員の作業指示に基づき前日までに型枠に流し込まれた生乾きの半製品を乾燥炉の窯に搬入する作業を手渡しで行っている時に、「ピカッ!」と稲光が走りました。

次の瞬間、地面の下から突き上げてくるような衝撃とともに工場家屋が「グシャッ!」と倒れこみました。何が起こったのか理解できず、工場の近くに爆弾が落ちたのかと思いました。

同じ場所で働いていた友人や社員はいなくなっており、独り取り残されてはとの不安感も手伝って屋根伝いに工場に向けて大声をかけながら探して歩いていると工場内から返事があり、友人Aが友人Bを救助している現場に行きあいました。

友人Bを救助した後、友人Aと近くの大田川で体を洗うことにして入水すると、女子挺身隊約200人が体を洗っていたので、川渕から約20メートルは血の池となっており、周囲には何人もの死体が浮いていました。

学校指定の避難所・大芝自動車教習所の練習コースに行ったところ、火傷、ケガ、自力で歩いて帰れない人ばかりいます。爆弾が落ちたのなら地面に大きな穴が開くはずなのに、これはいったい何だ!?と驚きました。原子爆弾という名前も知らないので、想像もつきません。見たことのない焼夷弾なのかとも思いました。

ほどなくして、消防団、青年団の人たちと一緒に勤労動員先の工場長の家族と病人、老人の避難先への転送に参加。片道4kmの道のりを大八車で2往復しました。

その途中、何度か泥砂のような雨に降られました。いわゆる「黒い雨」ですが、真っ黒ではなく、10円玉大の雨が時折にわか雨のように降り当たると痛かったです。

翌8月7日早朝、市街地から消防隊が何台かのトラックで乗り付けて死体となっている人たちの遺体の引き取り(処理)にやってきた声で目が覚めましたが、そのまま寝ていたので遺体に間違われて持ちあげられました。そして、人手が足りないので手伝ってほしいと言われ、否応なく遺体をトラックの荷台に積み上げる手伝いに参加させられました。

昼頃、避難所を後にして帰路についている最中に、三篠(みささ)川のほとりには死体が散乱、浮遊しており、干満のたびに死体が川を上ったり下ったりしていました。

白島(はくしま)町へ入るとまだ焼け跡が燻っていて熱かったです。

常盤橋を渡り、神田川沿いに広島駅方面に向かう最中、砂洲約200メートルにわたり3~4列で櫛の歯状に死体が並んでおり、そのほとんどが川の水のあった方へ頭を突っ込んでいるといった悲しい光景でした。

広島駅構内には運ばれてきた多くの死体が点在しており、火傷を負った方々が休んでいるのか、汽車を待っているのか座り込んでいました。駅前の市電2両は完全に焼失しており、各々多くの乗客が折り重なって黒焦げになったまま置かれているという、何ともむごい光景でした。

【東京】中央区の代表がニューヨーク行動をブログで発信

東京の中央区代表の楳沢、喜岡さんは、ブログでニューヨーク行動の模様を発信しています。

ニューヨークカウントダウン

http://umezawakoji.blogspot.com

【東京】東京原水協運動交流ニュースNo.169

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【東京】国分寺市長から賛同署名もらう

NPT(核不拡散条約)再検討会議ニューヨーク行動に18人が参加する国分寺代表団は3月15日、星野信夫市長と面会し、「核兵器のない世界を」署名への賛同を要請しました。

代表団参加者は、要請文と、全国の首長・議長の署名賛同一覧、署名船積み送り出し集会に寄せられた市長メッセージを持って行きました。そして、毎年平和行進のペナントに記帳し、平和市長会議にも加盟している市長として署名もお願いしますと要請したところ、その場で署名をし、アメリカで着ける手作りの友禅「ゼッケン」を持っていただき、記念写真を撮りました。

【東京】東京原水協運動交流ニュースNo.160

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