日本原水協代表理事の沢田昭二さん(被爆者・名古屋大学名誉教授)は、2月5日から7日までマレーシアの首都クアラルンプールで開かれた国際会議「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」に参加し、原爆投下の犯罪、とりわけ原爆症認定集団訴訟で明らかになった残留放射能による内部被曝の深刻な影響が62年を経た今日まで被爆者を苦しめていること、これを隠蔽してきたアメリカとこれに追従する日本政府の犯罪性を報告しました。
以下、沢田先生から寄せられた報告全文を掲載します。
国際会議「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」の報告
沢田 昭二
1.国際会議開会まで
マレーシアの首都クアラルンプールで2月5日から7日まで開かれた国際会議「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」( “Expose War Crimes—Criminalise War”)に参加し、この会議の第3セッション「戦時に使われた大量破壊兵器」の最初に「広島と長崎の惨劇」と題して報告してきました。
この国際会議は、2003年10月まで22年間マレーシア首相として活躍したマハティールさん(_Tun Dr. Mahathir Mohamad)が議長を務めるペルダナ・グローバル・ピース協会(Perdana Global Peace Organization, PGPO)が主催し、世界から科学者、法律家、戦争被害者を集めて、広島・長崎の原爆犯罪、ベトナム戦争、パレスチナ、レバノンやイラクにおける殺戮や拷問などの戦争犯罪を総合的に明らかにして、テロに対する戦争を口実に米英がおこなっているイラク戦争を戦争犯罪として裁き糾弾することを狙ったものです。よく知られているようにマハティールさんは、外交面では、非同盟運動、ASEANプラス・スリー(日・中・韓)の枠組み作り、東南アジア非核地帯の設立などで力量を発揮し、内政面では、グローバル化で発展途上国を多国籍企業の利益に従属させようとするIMF体制に組み込みこまれることを拒否して、マレーシアの経済・産業を東南アジアで最も急速に発展させることに成功した人です。そのマハティールさんが首相を後継者に譲った後どのような活躍をするだろうかと思っていましたが、2005年の12月にペルダナ・グローバル・ピース協会を設立して、平和の問題に取組むことを始めていたのです。
PGPOの事務局長のマティアス・チャンさんから昨年の12月にマハティールさんの了解も得て、大量破壊兵器である原爆の投下という戦争犯罪について話してほしいという依頼を受けました。1月31日、原爆症認定を求める被爆者集団訴訟の名古屋地裁判決がありました。この判決は、大阪と広島の地裁判決に続いて総論部分では厚労省の機械的認定基準の適用を批判して4人のうち入市被曝を含む2人の原爆症を認定しました。それにもかかわらず、2人の原告については放射線の影響がまだよくわからないとして認定しませんでした。これは大阪と広島地裁判決から後退していて、控訴の問題が気がかりでしたが、思い切って国際会議「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」に出席することにしました。名古屋地裁判決の翌朝、343ページの判決文を抱えて中部空港からクアラルンプールに向いました。
到着した翌日からの2日間は会議の報告の打ち合わせ、市内観光、会場の下見をしました。会場はプトラ世界貿易センター(PWTC)の2000人収容の大会議場でした。会議場正面の右側に被爆直後の原爆ドーム周辺の廃墟の大きな写真、左側にはイラクのアブ・グレイブ刑務所で米軍によって頭巾をかぶせられ拷問を受けている人の大きな写真があり、広島・長崎の原爆投下からイラク戦争までの戦争犯罪を象徴させ、正面中央に大きくInternational Conference War Crimes Criminalise War という文字と縛られた両手を広げて紐を切ろうとする絵が力強く描かれていました。同じPWTCの会議場と同じフロアーに国際会議と併行してPGPOが同じタイトル「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」で開催する展示会も準備されていました。PWTCには他に大小さまざまな設備が充実していて別の展示や会議も併行して開かれていました。
私の報告は6日の朝トップで30分で行うことになっていましたので、「広島・長崎の惨害」と題して出発前に用意していた (1) 私の被爆体験、(2) 原爆被害の概要と犯罪性、(3) 残留放射能による内部被曝の隠蔽の犯罪性の3つのテーマについてのパワーポイントの報告を英語で30分に圧縮して、2000人規模の聴衆に理解してもらう準備に集中し、4日の午後までかかって準備した報告用のパワーポイントを会議場のパソコンに設定することができました。
4日の午前はホテルで、世界各国からきた約20人の報告者とPGPOの人たちとの非公開の対話がマハティールさんの司会でおこなわれ、忌憚のない意見交換をしました。この対話には劣化ウラン弾による被害も問題になっており、アフガニスタンやイラクなどで撮影された写真を展示会に提供された報道写真家の広河隆一さんも参加されました。昼からはホテルでマハティールさんの歓迎昼食会、その後マハティールさんの記者会見がありました。30人くらいの記者やカメラマンが取材したのですが、翌日の新聞にはほとんど報道されていませんでした。マレーシアの経済・産業の発展に較べるとテレビなどの報道機関はまだCNNやBBCなど欧米のマスコミが支配的で、日本以上に平和問題やアメリカ・イギリス批判に対するマスコミの報道規制が強いと感じました。
2.国際会議「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」
国際会議は、マハティ−ルさんの基調講演の後、最初の2日間で6つのセッションがあり、米国、カナダ、イタリア、英国など世界から科学者や法律家などの専門家が招待されて報告し、アブ・グレイブ収容所の拷問、イラク、パレスチナ、レバノンなど戦争犯罪の被害者も参加して証言がおこなわれるようになっていました。そして最終日の7日の第7セッションではそれまでの報告を基礎にして、マハティールさんを委員長とする戦争犯罪委員会において戦争犯罪被害者からの訴状の提出と専門家による証言が行われ、最後の第8セッションでは元裁判官らを中心にクアラルンプール戦争犯罪法廷が設定されて、戦争犯罪犠牲者の訴状が受理されて国際会議をしめくくるという日程になっていました。
2−1.マハティールさんの基調講演
初日午前の開会セッションではマハティールさんの子息でPGPO理事長のムクリッツ・マハティ−ルさんが歓迎挨拶をした後マハティールさんが「戦争を犯罪とする」と題して2000人の聴衆を前に基調講演をおこないました。
マハティールさんの基調講演の要点をまとめると以下の通りです。
「今回の会議はPGPOの『戦争を犯罪とする』会議の第3回目であるが、PGPOの目標『戦争を犯罪とする』を世界に広げて実現するため、今回の会議の準備を通じてPGPO事務所と専任のスタッフを置いた。
人類は7000年もの間、問題解決に戦争を用いてきたが、当初は棍棒や尖った棒を使って大量殺戮といってもせいぜい数千人規模だった。今日ではドレスデンのように24時間で全市が破壊され何十万人が殺され、広島や長崎では一発の原爆で全市が瞬時に蒸発した。爆弾を作った者と使用した者は通常の火薬爆弾のように被害が限定された地域だけであり、限られた期間だけであると考えていて本当の威力を知っていない。救援で入市した人もかなり後で入っても残留放射線で殺されている。いまや放射線の影響は限られた領域だけではなく、埃と風で運ばれて何千キロも広がり、半減期が何世紀も何百万年のものがあり、放射能は殺戮者の国にも到達して自身も殺される。劣化ウランも核兵器爆発と同じようなものをつくりだして使った国にも到達する。
核保有国は、彼らには分別があり、人道に立って核兵器を使わないから核保有を許されるというが、それを信頼できるだろうか。彼らは通常兵器で何十万人も殺戮し、劣化ウラン弾も使っている。核実験禁止条約があっても米国は核兵器をさらに改良するために実験をおこなっている。その上、宇宙空間の兵器を製造して宇宙から地上、海上、空中の目標を攻撃できるようにすることを考えている。ふざけてボタンを押す血迷った人をいつの日か指導者に選ぶかもしれない。この後の報告でわかることは、戦争を始めるために自国と世界の人々に嘘をつき、核兵器と大量破壊兵器を単に確認するために何十万人も殺していることである。
今日、強国のマインド・コントロールする人たちが『テロに対する戦争』を呼びかけ、その最初の実行が強国の弱い国への侵略と占領で、明らかに弱者への攻撃になり、テロ攻撃を生み出している。戦争は合法化されたテロ行為以外のなにものでもない。戦争を犯罪としない限り全世界は強国と弱小国との戦争がいつまでも続くことになる。
マレーシアではテロ戦術を用いる人たちと戦って勝利したが、武力だけで勝ったのではなく、まず同調者と支持者、つぎに反逆者たち自身の心と精神を引きつけることを通じてであった。最も有効な行動は原因を取り去ることだった。中東の戦争もその地域の人々の心と精神を獲得しない限り終りはない。
戦争を犯罪とすることは現実的でないとされてきたが、文明の進化によってこの200~300年、人権が重視されるようになった。特に今日の発展した文明の中では人権が奪われる戦争を犯罪化することが可能になった。殺戮と破壊の戦争は国家間の問題を解決する手段としてもはや受け入れられないようになれば、文明化はさらに有意義なものになる。戦争が犯罪とされるまでわれわれは真に文明化されたとは言えない。事実に即し、国の利害に左右されない国際法の専門家によって構成される法廷をつくらねばならない。征服の罪を正当化しかねない勝者をこの法廷に受け入れることはできない。戦争犯罪を裁く法律は国家によるものではなく、人々とNGOなどによって発効すべきである。
歴史は、ブレアとブッシュが子どもたちの殺人者であり嘘つきの首相と大統領であったと記憶しなければならない。ブレアが有罪であると法廷が判断しても、彼を吊すのではなく、子どもたちの殺人者で嘘つきだという戦争犯罪のレッテルをつねに貼っておくのである。ブッシュも、オーストラリアの低木林地(ブッシュランド)のポケットブッシュも同様である。
今この会議には戦争を犯罪化する活動家、兵器と戦争犯罪の専門家だけでなく、拷問を受け、大虐殺で生き残った人、放射線障害に耐えている人が参加している。開催している展示もわれわれに足りなかったものを埋めあわせるであろう。もう一度『戦争は犯罪だ』と言わせて下さい。もっと安全でもっと平和な未来のために力を貸して下さい。千里の道も一歩から始まる。戦争を犯罪とする真の文明に向って進もう」
マハティールさんの報告から、彼が広い範囲で問題の全体を総合的に捉え、歴史的な展望をもって解決の方向を示そうとして、PGPOを組織し、この国際会議を設定したことがよくわかります。また、基調報告から、あらかじめPGPOの事務局長さんのマティアス・チャンさんに送っておいた私の報告要旨に彼がきちんと目を通し、被爆者集団訴訟に関連して明らかになった残留放射線による内部被曝の深刻な影響が今日まで続いていることをしっかり理解して取り上げていることがよくわかりました。マハティールさんは元々医師で、今でもTun Dr. の称号をつけて呼ばれていて、放射線影響についても医学の専門家として深く理解していました。
2−2.第1セッション:戦争犯罪の概観
第1セッションは 戦争犯罪の概観をテーマに、まずカナダのオタワ大学グローバリゼイション研究センター長の経済学者ミカエル・チョスドフスキー教授が「戦争犯罪の歴史的レビュー」をおこないました。「 世界は現代史において最も深刻な岐路にある。米国が人類の未来を脅かす軍事的冒険 『長い戦争』に着手している。イランの存在しない核への報復として米軍とイスラエル軍は核戦争の準備段階にあり、この計画が発動されると中東と中央アジア全域が巻き込まれる戦争になる」と警告しました。
次に米国ジョージア州第4地区選出の元下院議員でイラク戦争に反対投票し、勇気をもって真実を追及すると紹介されたシンシア・マッキニーさんが「戦争犯罪—意見を異にする者のアメリカの未来展望」と題して報告し、最後に彼女は「私たちにとっては、自分の国の指導者にかかわる問題であっても、世界にとっては人類の運命にかかわる。PGPOの努力でクアラルンプールは世界の平和の首都になった。この会議によってクアラルンプールが全ての大陸に戦争の脅威を示して世界の平和の光を照らすでしょう」としめくくりました。
第1セッションの3人目は地球科学者でリバモア核兵器研究所にいた放射線の専門家で告発者のローレン・モレ博士でした。彼女は「劣化ウランは21世紀の大量破壊兵器」と題して広島からイラクまで61年にわたってウラン戦争がおこなわれ、それは自殺的で、集団殺害的で、かつ全滅的な過程なので大量破壊兵器と言えると述べました。彼女は「1991年の湾岸戦争のときから米英軍と同盟軍によって劣化ウラン弾が大量に使われるようになり、『秘密の核戦争』が始まり、中東、前ユーゴスラビア、アフガニスタン、レバノンで使われて、これらの地域を永久的な放射線汚染地域としている」と指摘しました。モレ博士は劣化ウラン問題に継続して取組み、日本にも何度も訪れてきて、原爆症認定集団訴訟にかかわって私がおこなってきた残留放射能による内部被曝の研究についてもよく理解してくれていて、PGPOの人たちに私を紹介・推薦し、私に参加を求めたのも彼女でした。
第1セッションが終わった後「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」展示会の会場のテープカットがマハティールさんと会議の報告者たちによっておこなわれました。昼食は3日間ともPWTCのVIPルームでマハティールさんとPGPOの役員、報告者がテーブルを囲んで歓談しながらおこなわれました。
2−3.第2セッション:「平和時」に用いられた大量破壊兵器
このテーマは平和時の経済制裁が多くの人を殺している実状を明らかにしようとしたものでした。
最初は前国連事務総長補佐で国連イラク人道調整員のハンス・フォン・スポネックさんが「経済制裁—大量破壊兵器」と題して報告しました。2番目の報告は国際法律家でカナダにおける国家ミサイル防衛と軍事計画を暴く重要な役割を果したアルフレッド・ウエーブルさんが「国際法と戦争犯罪」という報告をしました。彼は国際法の成立過程の基礎的なところから説明を始め、ニュルンベルグ法廷、東京裁判などを通じて発展してきた人道法について述べ、核兵器や核技術や劣化ウランが問題になっている今日、こうした情勢を踏まえた人道法の充実のためには世論の動員が重要であるとしめくくりました。3人目はイラクの独立ジャーナリストのラナ・アル・アイオウビーさんが「制裁—イラクの経験」と題して報告する予定でしたが来れなくなったので、イラクの元大使でソルボンヌ大学教授のアルムサウイさんが代わって報告をしました。彼は、「イラクの抵抗に国際的な支持が強まっていて、イラクから次々と撤退している。このクアラルンプール法廷が世界に広がることを期待するとともに、国連の安全保障理事会は戦争に反対することを基本にすべきである」と訴えました。
2−4.第3セッション:戦争で使われた大量破壊兵器
第2日の午前は第3セッション:戦争で使われた大量破壊兵器で、最初は私の 「広島と長崎の懴劇」(” The Tragedy of Hiroshima and Nagasaki” )と題した報告で、30枚の パワーポイントを用いました。まず最初に日本がマレーシアを含むアジア諸国で野蛮な侵略をしたことを謝りました。会場いっぱいの拍手で応じてくれました。司会者が私の被爆体験のはじめの部分を紹介してくれましたので、被爆体験の続きから始めました。次いで原爆の熱線、衝撃波と爆風、放射線の影響と死者数など原爆被害の全体像について話し、大部分の死傷者が一般市民で、しかも子ども女性と年寄りで、明白に人道法に反することを強調しました。次いで放射線の影響について、とくに残留放射能による内部被曝の危険性についてアメリカと日本政府が隠蔽していたことが原爆症認定訴訟の中で明らかになっていることを話し、放射線被害が60年以上を経た今日まで続いている点からも核兵器の使用は犯罪であると訴えました。最後に日本国憲法第9条とそれを守ることがASEAN友好協力条約体制の発展とアジアと世界の平和に寄与すること、現在米政府を中心にした軍事的スーパーパワーと平和を求める世界世論というスーパーパワーが激突しているきわめて大きな岐路にあるが、この会議が世界の世論を強化することに大きく貢献するだろうと期待を表明しました。このスーパーパワーの激突と世界世論のスーパーパワーを発展させて軍事的スーパーパワーを打ち負かそうという私の発言がマハティールさんの構想に合致していたようで、7日の彼のまとめの報告や終了後のパーティーで2度も私の発言を引用してくれました。
第3セッションの2番目は、国際放射線防護委員会(ICRP)を批判して2003年に内部被曝の深刻さを指摘したヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)の報告書をつくったクリス・バスビー博士 が 「低線量放射線—静かな殺人者」”Low-level Radiation-The Silent Killer” と題して話をしました。原爆症認定訴訟の弁護団がバスビー博士を訪問したことがあり、私はEメールをやりとりしたことがありましたが初対面でした。彼は報告に続けてギターを弾きながら自作のブッシュを皮肉った「田舎者」の替え歌を唱い喝采を受けました。私はこの会議を通じてバスビー博士とも親しくなり、今後の情報交換を約束しました。
3人目はイタリアのゼノア大学の遺伝学の教授のパオラ・マンドゥーカさんで、彼女はイタリア反戦連合代表として2004年の原水爆禁止世界大会に参加しています。彼女は「大量殺戮の新たな兵器」と題してレバノンとガザでイスラエルに殺害された人々の中に今まで知られた兵器によるものとは異なった、傷も火傷もない状態の遺体が多数見つかっているという告発でした。
各セッションの終わりには質疑応答がおこなわれ、質問の半数は大学院生など若い人で報告に関して活発な質問と意見表明があり、放射線被害や憲法第9条を世界各国の憲法に取り入れさせるにはどうしたらよいかなどの質問を受けました。休憩時間には私も学生に取り囲まれて質問を受けたり、写真を撮ったり、サインを求められたりしました。とくに中年の女性が自分の両親たちは日本軍から酷い目に遭い今なお日本を恨んでいる。私が最初に謝罪をしてくれたのは大変よかった。原爆被害の話もよくわかったと言ってくれました。また、PGPOの人たちや報告者たちからもパワーポイントを使って原爆被害がよくわかったと口々に言ってくれました。
2−5.第4セッション:マスメディア—戦争宣伝機関
このセッションの最初はフリーのジャーナリスト兼コラムニストで、国際問題の放送キャスターと講師を務め、ドキュメンタリー「戦争」でアカデミー賞にノミネートされたグウィン・ダイアー博士が「究極の戦争犯罪といかにメディアを混乱させるか」と題して報告しました。2番目は英国の公衆問題と地球的運動に関するオックスフォード・センターを創設したミカエル・カーミッシェルが「戦争宣伝と戦争犯罪」と題して報告、3番目に作家で「イラクについてのアル・アハーム・ウィークリー」の編集長でブリュッセル戦争犯罪法廷の実行委員であるハナ・バヤティさんが「イラク—抵抗の権利を犯罪としている」と題して話しました。マレーシアが政府レベルだけでなく市民レベルで平和運動を発展させるためには報道を民主化させる必要性があると感じていただけにこのセッションは重要だと思いました。
2−6.第5セッション:被害者の正義への訴え
2日目の午後の第5セッションは司会者をしたマレーシアのシチ・ハシュマー・モッド・アリ博士が「アブ・グレィブ刑務所の拷問の生き証人」として詳しく紹介したイラク拷問被害者の会組織者のアリ・シャラーさんでした。彼はビデオを用いてアブ・グレイブ刑務所で行われた米軍による拷問について詳しく証言しました。会場の前面左に掲げられた黒いフードの男はこのアリ・シャラーさんだそうです。
2−7.第6セッション:イスラムの若者の戦争犯罪に対する見地
この第6セッションではPGPO理事長のムクリッツ・マハティールさん、英国ラマダーン(断食)事業団の議長ムハメッド・ウマールさん、英国のラマダーン・トラストの教育担当員のアンジャム・アンワーさんがイスラム世界の若い世代を代表してそれぞれの考えを述べました。ウマールさんはこの会議のために印刷したイスラムの団結をめざす英国ラマダーン事業団の目標を述べた書類をファイルに入れて用意して配布していました。
2−8.第7セッション:戦争犯罪—被害者の証言と専門家の証言
最終日第3日の午前の第7セッションは午後の第8セッション「クアラルンプール戦争犯罪法廷」につながる「戦争犯罪委員会」の開催でした。最初に戦争犯罪員会の委員が入室、議長はマハティールさんで、委員会開会宣言をした後に、PGPOの事務局長で、マレーシア高等裁判所で法廷弁護士を務めるマティアス・チャンさんが冒頭陳述をおこないました。壇上に居並ぶ戦争犯罪員会の委員席に向っておこなったマティアスさんの冒頭陳述は、彼がこれまで負けたことのないと言われる法廷での涙声溢れる弁論で裁判官の心を動かす様相を彷彿させました。彼はさまざまな場面における分裂主義者の否定的役割に強い批判を浴びせました。
次いで戦争犯罪の被害者が戦争犯罪員会の委員席に向って訴状の開示をおこない、さらに専門家による証言が続きました。証言の最初はインド法律家協会副会長で、アフガニスタン国際犯罪法廷の判事を務め、劣化ウランについての最終意見をまとめたニロウファー・バグワット教授で、「アフガニスタンの戦争とテロに対する全地球的戦争」について迫力溢れる発言をしました。2番目はイラクにおける戦争犯罪について元イラク国連常任代表のサエッド・アルムサウイ博士が発言、次いで3番目にファルージャの殺戮の生き残りのアッバス・アビッドさんの証言、4番目はイラクS.O.S.の組織者でブリュッセル戦争犯罪法廷の実行委員のディルク・アドリアンセンさんが世界の運動についての報告、5番目はアルインティクワッド・アンド・アルマナーテレビの編集長のイブラハム・マウサウイさんがレバノンでの戦争犯罪について報告、第6番目はパレスチナ当局の医事代表のワヒッド・サラー博士がパレスチナの戦争犯罪についてパレスチナの破壊を写した映像を交えて報告、この報告を裏付けるパレスチナから来た17歳の女子高校生の証言が行われました。
2−9.第8セッション:クアラルンプール戦争犯罪法廷の設立
最終日の午後はクアラルンプール戦争犯罪法廷の設立で、最初にPGPO事務局長のマティアス・チャンさんが、壇上に並んだマレーシアの元高裁判事らからなる戦争犯罪法廷の裁判官に向って午前中の「戦争犯罪委員会」の結果の報告を行い、戦争犯罪被害者の訴状を提出しました。この訴状の提出が終わると、訴状を提出した戦争犯罪被害者とマハティールさんが壇上に並んで記念写真を撮りました。引き続き戦争犯罪委員会の委員たちによって、①法廷メンバーの指名、②法廷運営の基本方針、③適用される法律、④手続き規則、⑤証拠、⑥顧問の指名、⑦事務局、⑧その他の事項の順序で審議がおこなわれました。次いで閉会式に移り、報告者とマハティールさんが記念撮影をおこなって国際会議が閉幕しました。
3.国際会議を終わって
国際会議が終わった夜には、主催したマハティールさんをはじめとするPGPOの人たち、報告者や法廷メンバー、ボランティアとして国際会議を支えた学生たちも加わってさよなら晩餐会がおこなわれました。そこでもマハティールさんが挨拶の中で、私が国際会議で報告した「武力で世界を支配しようとするスーパーパワーと世界世論のスーパーパワーの2つのスーパーパワーが激突している」という発言を引用して、世界世論で戦争犯罪を糾弾していこうと述べました。報告者が次々に立って挨拶をしたので私もマイクを握って、今回の国際会議を開いて下さったマハティールさんやPGPOに感謝を述べた後、ASEANプラス・スリーなどの平和の枠組み作り、非同盟運動の中心となって政府レベルで活躍してきたマレーシアがNGOレベルで取組むことはきわめて重要で、PGPOに大いに期待していると述べ、世界大会に代表を送るなど日本の核兵器廃絶運動との連携を強化しましょうと訴えました。
会議が終わった後9日までクアラルンプールに滞在し、放射線の影響を研究してきたクリス・バスビー博士やローレン・モレ博士と情報交換をしました。
4.展示会「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」
国際会議と併行して3月11日までPWTCの4階で開催されていた展示会「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」には開催の準備段階で見学しました。入口を入るとすぐトンネルがあり、そこを出ると、Aゾーンは核戦争すなわち広島・長崎の原爆被害で全身火傷をしている人形などが廃墟のなかに松葉杖を頼りに立っていましたが、ややリアリティに欠けていました。Bゾーンは劣化ウランによる奇形児の模型が写真とともに飾られていて、放射能被害のおぞましさを実感させるものでした。Cゾーンでは経済制裁によって栄養失調でやせ細った子どもの模型や写真が展示されていました。Dゾーンはパレスチナの子どもがイスラエル軍の狙撃にあって体中に銃弾が貫通したり、火傷をしたりした模型や写真、イスラエル兵に銃を向けられている市民の写真などが展示されていました。Eゾーンはイラク戦争の犠牲者とアブ・グレイブの刑務所での米兵による拷問の写真、Fゾーンはイスラエルによるレバノンの住民虐殺の写真が展示されていました。Gゾーンはかなりのスペースをとってベトナム戦争における米軍によるミライ住民大量虐殺、枯れ葉剤散布による奇形児などがベトナムの茅葺きの民家とともに展示されていました。Iゾーンは殺人機械、Hゾーンは拷問の様子が人形を使って再現されていました。
5.あとがき
国際会議「戦争の犯罪をあばき、戦争を犯罪とする」は、イスラム諸国の中で初めて開かれた戦争に反対し世界平和をめざす国際会議でした。イスラム社会が、単に「文明の衝突」とか、反米とかの枠を超え、マハティールさんの基調演説に示されたように、「ジハード」や「正義の戦争」ではなく、戦争を全面的に否定するこの会議の意義はきわめて大きいと思います。会議そのものもよく準備されていて、報告者も世界各地から適切な人を招いて充実した内容になり、大きな成果を上げたと思います。特にこの国際会議には2000人のマレーシアの人たちが参加し、その半数は若い人たち、とくに学生が多かったことには将来の発展に大きな期待が持てます。一般参加者だけでなくボランティアとして会議の下支えをしてくれたのも学生で、私の世話役として付いてくれたのも映像などについて研究をしたいという神戸生まれのインド系の女子学生でした。
実は3月10日にPGPOの事務局長の マティアス・チャンさんから「クアラルンプール戦争犯罪委員会」と「クアラルンプール戦争犯罪法廷」のバックとなる「クアラルンプール国際平和協会」が法的に確立したという知らせが届きました。6人の評議員会のメンバーにはマティアス・チャンさんは入らず、「クアラルンプール戦争犯罪委員会」と「クアラルンプール戦争犯罪法廷」と事務局の3者が「クアラルンプール国際平和協会」の下に置かれ、マティアス・チャンさんは事務局にとどまってこの協会を支えることにするそうです。今後の活動や組織体制についての意見を聞かれたので、原水爆禁止日本協議会の成立と地域に根ざし、各都道府県、全国の中央団体などで構成されていること、全国理事会、常任理事会、都道府県理事会、地域の理事会、組織・財政・教宣・・・などと事務局が組織されていることなどを紹介しておきました。また原水爆禁止世界大会についても紹介し、最近の政府レベル・自治体レベルの運動との連携が強化されていること、青年への働きかけを重視していることなども話して、マレーシアの若者に世界大会と世界青年のつどいに参加してほしいと伝えました。マレーシアの政府レベルの平和の取組みが、東南アジアで最も急速に成長している国で市民レベルの運動と相まって強化されればアジアの平和の運動だけにとどまらず、イスラム圏にも広がって世界の平和にも大きく貢献することになると思います。