原水爆禁止蕨市協議会(蕨原水協)は記録を取り始めた1976年1月を第1回とし、今年6月6日に500回目の6・9行動をおこない、同月8日には“500回記念のつどい”を開催しました。
6・9行動は、毎月6日から9日の4日間を被爆者援護・原水爆禁止の行動日として運動を継続的におこなおうと提唱されたのがスタートで、1960年のことです。蕨市では1976年1月から参加団体数、参加者数、署名数、募金額が記録されています。その間、雨の日も風の日も行動し、多くの年は8月6日と9日の両日におこなってきました。「嵐のため中止」の記録は1回だけです。
つどいでは、蕨原水協会長の杉本憲さんの主催者あいさつに続いて、瀬高英雄市長が「私も200回までは参加していた」と来賓挨拶しました。
埼玉県原水協の佐藤俊一事務局長、埼玉県原爆被害者協議会の吉村さんなどがあいさつ。長く会長を務め、現在は顧問の炭谷巴之助さんが乾杯の発声。参加者全 員が6・9行動や原水爆禁止世界大会参加への思いを語り、「初めての6・9行動は1966年、私の古い手帳に記録されている」(元日本共産党市議)、 「46歳になる長女をおぶって6・9行動に参加した記録があるから、最初が76年より前だったことは間違いない」などの発言もありました。
会場には、蕨市の平和運動の歴史がわかる写真も多数展示され、参加者は懐かしい思い出を交流し合いました。