今日はものすごく長いコースを歩きました。私たちは電車の3〜4駅分相当の長さを歩き、高塚、舞阪、弁天島、新居、そして鷲津を過ぎました。20マイルを少々超える程の距離です。今日は最長コースの一つではありましたが、エネルギーはみなぎっていて、昨日カホンを持参して合流した女性がこの日も一緒に行進しました。途中、道の両脇に松の木々が今もなお立ち並ぶ東海道の区間を通りました。8時間近く行進した後、終了式をおこなって今日の長い距離のコースに参加してくださった平和行進者の方々の前で簡単なスピーチをしました。いつも通り、合流して下さったことに感謝し、元気いっぱいにエネルギーに満ちあふれていた様子についてコメントしました。その時、静岡を間もなく離れることになるのだとしみじみ感じました。行進の一歩ごとに静岡のみなさんから多くの支えと思いやりをいただき、まるで第二の家族を得たような気がしています。
この日の行進の終了式が済んでホテルに向かい、静岡県原水協の方々と最後の夕食を共にしました。総括の夕食会は日本語で「宴会」と呼ばれています。私たちの宴会は、31日で74歳になる竹田さんの誕生日祝いも兼ねたものとなりました。夕食はとても楽しくて、静岡県原水協理事長の方には爆笑させられました。ダイスケさんが大学時代に野球部員でチームがベスト4にまで残ったことを知りました。日本では野球がこれほど大規模におこなわれているとは知りませんでした。理事長さんは、典型的な日本野球の応援団の狂乱振りを再現して下さいました。夕食の終わりに私は、この平和行進に参加できたことをどれほど感謝しているか、そしてこの一週間半でどれほどたくさんのことを学んだかを述べました。また原水協とその加盟団体の方々に、ご支援と私の日々の体調を気遣って下さったことに感謝しました。
来日して以来、私が学んだ最大の問題の一つは、日本の原子力発電産業についてです。日本は既に福島原発事故の核災害に直面しています。多くの人が浜岡原発再稼働の可能性に不安を感じています。以前述べたように、この浜岡原発の立地している地層は地震が起こりやすいところだそうです。世界中では数えきれないほどの核事故が起こってきました。なのになぜ、いまだに原発が存在するのでしょうか。原発の恩恵を大幅に上回る犠牲者が生まれているように思えます。私が見たところ、平和行進に参加する人々は、原発や核兵器が日本にどれほどの影響を及ぼしているかを非常によく理解されています。広島と長崎への原爆投下、第五福竜丸の悲劇、そして最近の福島の原発事故災害は、日本が原子力産業に関わるあらゆる側面で影響を受けてきたことを示しています。こうしたすべての事件に不幸にも共通している点は、何千もの罪のない人々の命が、人類による科学の誤用で失われてしまったということです。普通、人は過去の失敗から学ぶはずなのですが、権力を握る人々、グループ、組織の中には、これまでとまったく同様の恐ろしいやり方を繰り返してもかまわないのだと考える者たちがいまだに存在します。
私がお会いした平和行進者の方々は、原発産業が引き起こす被害はあまりに甚大で、この産業にかかわるどんな権力も、規制も、金銭も、決して命の価値に優先することはできないということを知っています。私は、平和行進者の方々が、潔白とか人間性の価値という概念を理解できない原発産業の犠牲者を再び生み出さないよう、ひたむきに積極的に取り組んでおられることに、本当に敬服します。
原発いらないよ!
(翻訳:三宅朋子、白石亜子)