【2014国際青年リレー行進】アーサー・タイマングロJr.さんの日誌(5月26日)

5.26(1)

この日は藤枝市から出発しました。ここでえださんという別の通訳の方とお会いしました。彼女の息子さんはグアムの隣にあるテニアン島に住んでいらっしゃいます。えださんは、私の藤枝市の人たちへの朝の挨拶を通訳してくださいました。いつものように朝の自己紹介のあと、私たちは粕谷さんが住んでいる島田市へ向けて出発しました。

休憩が無かったため、島田市までの道のりはなかなか大変でした。初めて足に本格的な痛みを感じました。二時間後にやっと島田市に到着し、今まで聞いたことの無い美しい音楽で迎えられました。何人かの方が、琴という楽器を歌にあわせて演奏していたのです。琴は日本の伝統的な弦楽器で、演奏者の前に水平に置かれています。演奏者の方々の息の合った演奏に非常に驚きました。ちょっと挑戦してみましたが、弦を引っ張りながら同時に押さえて音の高低を出すのはものすごく難しかったです。お昼を食べながら、琴の演奏を聴けたことはとても光栄でした。

5.26(5)▲島田での琴演奏者の方々

昼食後、粕谷さんのお宅へお邪魔し、日本の人々の普段の生活を垣間見ることができました。とても素敵なお家で、なんと築100年だそうです。改修がされていましたが、もともとの柱がそのまま使われていました。ご家族の写真や、旦那様と一緒に作ったさまざまな物を拝見し、粕谷さんがこの家に誇りを持っていることが分かりました。

5.26(2)▲粕谷さんのお宅

5.26(3)▲粕谷さんのお宅の中

5.26(4)

昼食後の次の休憩は扇町公園でした。第二次大戦中の1945年7月25日の朝8時46分、アメリカは島田市にパンプキン爆弾を落としました。33人が即死し、大勢が負傷しました。広島と長崎に原爆が投下される前のことでした。爆弾投下の時間は、人々が一日を開始するため家の外に出ている時間を計算して8時頃に決められたそうです。

その次のコースは3時間ほどで、大井川に架かる橋を渡りました。途中、こいのぼりが川を横切ってたくさん泳いでいるもう少し小さい川を通りました。こいのぼりとは、日本の鯉という魚の形をしたのぼりです。コースの最後に金谷という町の急な坂道をのぼり、神社で終わりの集会をおこないました。

日ごとに、日本への爆撃がどれだけ激しいものであったのかを学んでいます。以前のブログに書いたように、私たちに応えてくれる人々の多くが年配の方々です。それは、彼らの多くが戦争体験者で、その恐ろしさを身を持って体験しているからでしょう。日本の憲法、特に戦争を禁止した9条が脅威にさらされている今、若い世代の人たちもこの運動に加わってほしいと思っています。多くの平和行進者の方々は日本が過去に逆戻りしないように9条を守ろうと情熱を持って活動しておられます。そしてもっとも重要なことですが、彼らは未来の世代に自分たちが経験したような苦しみを味あわせたくないのです。

(翻訳:大内 響)

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