【2014国際青年リレー行進】アーサー・タイマングロJr.さんの日誌(5月23日)

今日の行進は新蒲原駅から始まりました。通り過ぎた町は海に近いので漁業で有名なのではないかと思っています。岡田先生が、50年以上も前に建てられた家屋の構造を指し示してくれました。町は古風な趣があって、ほとんどの場所はとても静かでした。歩くペースが変わるのを本当に楽しみました。早足で歩くのに自分の体が慣れ始めたように思います。行進していると膝が痛くなり始め、この時点では、気力で乗り切れと自分に言い聞かせていました。竹田さんと田中さんのおかげで、私は気力を奮い立たせて歩くことができました。田中さんは63歳で、竹田さんは今月末には74歳になるそうです。2人とも広島まで平和行進の全行程を歩きます。体が痛くなるときはいつでも、2人が歩けるなら、自分にもできると言い聞かせます。東海道沿いにある本陣寺で休憩をとりました。岡田先生が言うには、東海道は東京と京都を結んでいた、江戸時代において主要な五街道のひとつだったそうです。

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約1時間半歩いた後、清水区へ向かい、昼食をとりました。岡田先生のことをもっとよく知るようになって、実に興味深いお話を聞きました。駅で昼食をとっている時に聞いたこの話は驚くべき内容で、他の人に共有してもいいと言ってくれたものです。昨年、先生の友人の一人が自殺されたそうです。岡田先生は、何日も食べることも寝ることもできず、深いうつ状態に陥りました。しかし先生はこの暗い時期から抜け出すためには何かをやらねばならないと心に決めて、日本のある山に登ることにしました。私が聞き間違えていなければ、先生は2回挑戦して、ようやく登頂に成功したそうです。言葉では、この話がどれほど私を励ましてくれるものだったか、説明しきれません。私が出会ってきた平和行進を歩く多くの人々のように、岡田先生はとても賢明で、楽天的な人です。彼がそのような悲劇を味わったとは信じがたいです。昼食後、清水へのコースを進みましたが、午前中歩いた町よりもずっと人通りの多いところでした。ここでも私たちは、清水の地元ではよく顔を知られた人々のおかげもあって、惜しみなくたくさんの募金をいただきました。

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5.23(4)▲尊敬すべき岡田先生

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2時間ほど行進してから、この日の終点である鉄舟寺に着き、終結集会を開きました。新婦人清水支部のみなさんはいつもとても優しく、愛知への行進を支えるために私に募金をくださいました。鉄舟寺では、広島と長崎への原爆投下についての短編ドキュメンタリーも見ました。映像はとても現実とは思えないほどで、見ているものを信じられないほどでした。それはまさしく目を見開かせるもので、私は、原爆投下という惨事によってどれほど日本が深い影響を受けてきたのか、認識させられました。

太平洋ではたくさんの血が流され、多くの罪のない人々が命を落としました。広島と長崎への原爆投下は、いまだに私がなかなか理解しがたいものです。私は戦術についてはなにも知りませんし、どうやって一瞬のうちに無実の多くの人々の命を奪おうなどとできるのか、理解できません。さらに、この世界の誰かがそのような力を持っているというのは恐るべきことです。戦争に関わる多くの世界的な問題の意味を理解することは難しいです。もしかすると、私たちは幻想にとらわれやすく、自分たちがみな同じであることに気がついていないのかもしれません。毎日歩き、日本に原爆が投下された歴史について学びながら、死の本質について考えずにはいられません。死が全てに終わりをもたらすということが、死を恐ろしいものにしているのかもしれません。私が観察してきたことからすると、死は、服従か死かと迫って人々を支配する手段として使われてきたように思います。不幸なのは、歴史を通じて、ある主張を通すために私たちが外交をおこなうのではなく、かわりに殺人や死に訴えてきたことです。毎日私が出会う平和行進を歩く人々は、平和を維持する必要性を完全に理解していることは明確です。彼らはみな戦争の悲劇からくる痛みのすべてを、とてもよく理解していると思います。やはり、私はこの人々を支える平和行進に参加することができて本当に光栄です。

(翻訳:梶原 渉)

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