【2014国際青年リレー行進】マギティング・ファブロスさんの日誌(5月17日)

5.17(1)

平塚から二宮

今日は空が晴れ渡っています。

予定より早く平塚市役所に着いたので、走ったりストレッチをして準備運動をしました。市役所の隣の公園に行ってみるとたくさんの彫刻がありました。それに青少年会館も。すごい!

今日は神奈川原水協の片野さんが先頭でした。たくさんの被爆者の方が参加していて、被団協の中村雄子さんも来ています。被団協は被爆者の団体です。

様々な団体が参加していて、写真を撮るときはまるで同窓会のように気分が高まっていました。今日は特に女性団体からたくさん参加しています。

5.17(2)

出発する前に、警察官が竹田さんにまた、「広島まで歩くのか?」と聞いてきました。昨日、この行進が本当に広島まで行くと聞いて驚いていた同じ警官でした。

参加者がたくさんいるのは、おそらく土曜日だからということと、大きな街ではなく電車での交通の便がいいからでしょう。

5.17(6)

市立美術館のそばを通りました。この街は芸術家にとって住み心地がいいのかもしれません。市自体が才能のある人たちを大事にしていて、公園や標識に彼らの作品を採用しているのはいいことだと思います。

ベルマーレ商店街を通りがかりました。まだ少し朝早い時間帯だったので、歩行者は少ししかいませんでしたが、メインの通りまで行くと、家から手を振ってくれる人がたくさんいました。この地域の人たちは行進者たちにとても感謝していました。

空にはジェット機の行き来を示すひこうき雲の線が見えました。

メインの通りの近くの公園で休憩しました。たいていは1時間半から2時間おきに休憩を取ります。休憩は通し行進者に励ましの言葉をかけたり、参加者にあいさつする機会でもあります。

5.17(3)

ゲートボールの試合をしているのを見かけました。とても楽しそうで自分にもできたらいいなと思いました。

長い緩やかな上り坂を歩いた後、大磯町に到着しました。大磯は漁師の街です。東京から電車ですぐなので休日を過ごすのに人気です。たくさんの丘を通り過ぎて、少し暑く、風もありました。

私たちは古い幹線道路である国道1号線を歩いています。ちょうどフィリピンのマッカーサーハイウェーのようで、何十年も前は通行量が少なかったので道路の幅は広くありません。平和行進は1958年から続いているので、とても古いルートなのでしょう。

自転車のギアをめいっぱいにして走る人がたくさんいました。私たちは彼らが通り過ぎるたびに、レースの最終周回で鳴らすベルのように、タンバリンをできる限り激しく打ち鳴らしました。

町役場について、職員から歓迎を受け、海岸線が見える会議室でお弁当を食べました。波の音がとてもリラックスさせてくれました。
最近はずっと市街地や山道を歩いてきたので、他の通し行進者たちもこの眺めを楽しんでいたと思います。

役場には電気自動車の充電施設があり、歩いていると他でも見かけました。町が、特に自動車のクリーンエネルギー普及に尽力していることがわかってよかったです。

二宮に向かって歩いていると古い松並木を通り過ぎました。引き続き1号線を歩いていているのですが、竹田さんがこの松並木は300年前の江戸時代にまでさかのぼると教えてくれました。城山公園にさしかかったとき、そこに行く時間があったらなと思いました。ははっ!願望だね…

こゆるぎハイツで休憩しました。みんなとても疲れているようです。少し高度がある道路を通ったのと、暑い日差しが何かしら影響していたのだと思います。

「静岡まで107km」という標識を見つけて、静岡に着くのが楽しみになりました。でもあと数日でフィリピンに帰ることを考えると悲しくなります。

二宮駅に着くと少し疲れました。私にとっては一番大変だった日のひとつかもしれません。

5.17(4)

二宮駅前には、水晶かガラスでできたうさぎを持った少女・たかぎ・としこさんの像があります。としこさんが12歳のときに父親は空襲で亡くなりました。としこさんの家が営んでいたガラス工場も被害をうけ、父親がつくったガラスのうさぎとともに取り残されました。この話は良く知られていて、二宮町が平和のシンボルとして彼女の像を建てたのです。

二宮町でも戦争で多くの人々が亡くなりました。駅の中で亡くなった方もいます。二宮の話を教えてくれた医療ソーシャルワーカーのゆみさんに感謝です。

疲れ切った1日を二宮町役場で終わりました。副町長が出迎えてくれて、一緒に堂々と歌を歌ってくれました。ナイス!素晴らしい!

5.17(5)

今日は地域原水協の事務局長のやまだ・ただしさんがホストファミリーでラッキーでした。かなのまちでいわたさんとゆたかさんに連れられて豪華な車で移動しました。

箱根の山のなかに行くと、奥さんと友人のゆきさんが歓迎してくれました。ゆきさんは小柄でとても可愛らしく、若く見えます。

やまださんも英語の教師です。こぞの・まいさんと一緒に、日本語の会話を理解するのを手伝ってくれ、あるいは少し長い英語で感動を伝えるときの手助けをしてくれました。

やまださんの家に予定より少し遅れて着いたので、すぐ夕食にしてくれました。“箱根スタイル”で、新鮮な野菜と大きなお皿に13種類のお魚やエビのお刺身が載っていました。本当にどれを最初に食べようか選ぶのがむずかしい宴会のような雰囲気でした。僕が好きな野菜天ぷらもありましたし、もちろん日本の最高のビールも飲みました。

家の造りには驚かされました。大きなくぎやねじは使われていません。およそ140年前の古民家を埼玉から移築したもので、梁や柱はそのまま使われています。階段の近くにはサムライ祭壇やおもちゃなど古いものがたくさあります。まいちゃんが通訳してくれて、興味深い話をたくさん聞けました。特にゆたかさんはフィリピンの政治にとても精通している方でした。まいちゃんは勇敢に私たちの会話を通訳してくれました。夜遅くなったのも気づかないほど、とてもおいしくて楽しい夕食でした。それから良く休んで明日に備えようということになりました。

(翻訳:国吉綾乃)

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