横浜Aコース
今日は晴れ。たくさんの人が行き交う駅に近い公園に集合しました。今日は参加者が多い。田中さん(東京-広島コースの通し行進者)は私たちとは別にBコースを歩きます。生協の方たちが手話を使った歌とダンスを披露してくれました。
横浜市水道局に勤めるいわみとしかつさんと横断幕を一緒にもって歩きました。いわみさんは通し行進者の竹田さんの親しい友人で、建築士でもあります。歩きながら、古い建物や建築中の建物の説明をしてくれました。また、彼が若く独身だったころ、仕事帰りによく飲みに行っていた地域も見せてくれました。いわみさんの職場はそこからすぐ近くで、今も飲食店が小さい通りに並んでいます。
一般的なアルコール飲料はビール、日本酒、焼酎で、ビールは色々な味があります。居酒屋や旅館で飲むと、たいてい瓶ビールが出されますが、コンビニには缶ビールを置いているのがほとんどです。ビールを飲むのは日本の習慣のひとつで、夕食を食べながら飲んでいます。フィリピンでは夕食を食べて一息ついた後、たまにビールを飲む程度です。
一緒に飲んでいる人にお酒を注いだり、注がれたりするのも日本の習慣です。ご飯を食べる前にグラスをかかげて「乾杯!」をするのも習慣です。
歩道の修理と排水溝を新たに設置する工事現場のそばを通りました。ここの通路は厳密で、指定された通路しか通れず、妨害してはいけません。よく見ると歩道は歩行者と自転車用でした。歩道の縁はなだらかになるようセメントブロックを並べてセメントを少しぬって仕上げられていました。
アスファルトの話になり、日本の道路で使われている素材は高品質で高価だそうです。ここのアスファルトは滑らかでなく、粒が大きめだからへこんだりひびが入ったりしにくいのです。
ショッピングモールで休憩をとりました。
生協の横断幕とプラカードがあって、手持ちの部分は古いバドミントンのラケットでつくられていました。なんて独創的なんだろう。
横浜市役所に着くころには、天気が良すぎてちょっと疲れを感じました。
市役所で晃さんに再会して、横浜の被爆者の方が手を振って大歓迎してくれました。Bコースのグループを待っている間、横浜市役所で働いていたいわみさんが市役所のなかを案内してくれました。古い建物で、なかには芸術作品が並ぶ大きな壁があります。
Bグループと合流すると、神奈川県庁へと向かいました。県庁はクラシックスタイルの建物で、アールデコ風だと思います。ヨーロッパの影響を受けて1920年代にたてられ、横浜にある三大名塔のひとつです。神奈川県庁は「キング」、横浜税関は「クイーン」、横浜市開港記念会館は「ジャック」と呼ばれています。
10人の被爆者の紹介が短時間あった後、近くで日本の大衆食カレーを食べました。
県庁の外に、県知事の歓迎の言葉を様々な言語で記した看板がありました。
フィリピンでは車はほとんどヨコハマタイヤ社のタイヤなので横浜という名前は良く知られています。だから、横浜といえばタイヤ、川崎といえばバイク、北海道、箱根、博多といえばいわしなんです。
この地域では三輪車が走っていることに気づきました。
私たちは再度県庁に集合して、晃さんがトランペットで演奏してくれました。また歩き出し、伊勢崎商店街に入りました。
私たちのあいさつに市民、特に学生は手をふったりして応えてくれます。なかにはとても恥ずかしがっている学生もいますが、目が合うと手を振ってくれたり日本式のお辞儀をしてくれました。
それから短い休憩をとった蒔田公園で新婦人の方たちと会いました。「love, peace」 「article 9」「no nukes」とプリントされたTシャツを着ているのですぐわかります。
上大岡駅で今日は終わりました。今日はとてもたくさん歩いた気がします。
横浜は古い港町。第二次世界大戦では神奈川県の多くの地域が空襲やじゅうたん爆撃で被害を受けました。それなのに今日では、横浜は東京の次に発展していて見どころがたくさんあります。