【2014国際青年リレー行進】マギティング・ファブロスさんの日誌(5月11日)

5.11(1)

今日はとても陽射しが強くなりました。まだ8時半なのに、すでに暑さを感じます。私たちは海老名市役所の外に集合し、出発の集いを行いました。市役所の方々に歓迎を受けました。歓迎と激励のメッセージに耳を傾けました。

5.11(2)

今日は日曜日なのに、私たちに会うためにわざわざ市役所に出てきてくれたようです。原爆被害者を追悼して建てた記念碑と、市役所の前に植樹した若木を誇らしげに見せてくれました。この木は広島の木から採って育てた苗だそうです。まるで被爆二世のようです。ここからは神奈川の磯ケ谷さんが平和行進に加わりました。

トンネルを通ると中の空気はひんやりとしていて、ちょっとホッとしました。3人組の子どもたちが通りかかり、そのうち中東出身らしい子が勇敢にも、「これは反乱(rebellion) のデモなの?」と聞いてきたので、「違うよ。これは平和行進なんだ」と答えました。

まだ幼い少年がこういう質問をするのもうなずけます。たぶん「反乱」という言葉の本当の意味を知らないのでしょう。あるいはこういう行動を反乱と描くようなテレビ番組をたくさん見ているのかもしれません。

日曜日なので家族連れや子どもがたくさん外で遊んでいます。たくさん家庭菜園も見かけました。野菜を育てている小規模菜園で、見ていて楽しいものです。農薬の匂いもしないので、自然栽培なのでしょう。収穫物を売る臨時の直売所もありました。見かけはみすぼらしいけど、お客さんが来ていました。

値段を確かめる余裕はありませんでしたが、輸送、袋詰め、品質管理とラベル付けなどのコストがかからないはずだから、他より安いんじゃないかな。

5.11(3)

綾瀬市に入り、コープの人々の歓迎を受け、お茶やスポーツドリンクの接待を受けました。また光栄にも市長さんに会うことができました。彼女はスピーチをされ、その英語訳を私に渡して下さいました。日曜日だというのにわざわざ来てくださって本当にありがたかったです。これからご家族のもとに戻られるのだと思います。

チカさんに会ってびっくりしました。チカ・セルデンさんはニュージーランドに留学した人で、去年姉のマラヤに会っています。彼女は通訳をしてくれ、スピーチも助けてくれました。息子さんと娘さんを連れて来ていました。歩くだけだと飽きるだろうから、行進が続くあいだ、持っていた楽器とタンバリンをこどもたちに渡しました。

子どもが2人いると行進はまた違った楽しいものになります。平和行進には中年の人が多いので、彼らにとっては孫のようなものです。それに子どものエネルギーというのは伝染性があって、筋肉痛を忘れさせてくれるのです。毎日が日曜日なら、子どもたちがたくさん参加できていいのにな。

5.11(4)

昼食前に厚木基地につきました。ここは太平洋地域最大の米海軍基地で、綾瀬市と大和市に位置しており、実は厚木市にはありません。基地の面積は1200ヘクタールあり、米軍と日本の自衛隊の共同使用基地です。第二次世界大戦の前は日本の海軍基地でした。朝鮮戦争とベトナム戦争の時にも利用されました。いつものようにフェンスに注意書きがあります。通信用の塔とレーダーの設備が見えます。

コープのお店で昼食をいただいた後、厚木基地の見学を終えて、空港がある基地の大和市側を通り、大和駅近くの公園へ向かいました。ショッピングモールやレストランがありました。日曜日で家族づれが多く、たくさんの通行人に手を振りました。

5.11(5)

公園で短い式典があり、被爆者の方々が平和行進にメッセージを寄せてくれました。2度目の千羽鶴の束を受け取りました。これらの千羽鶴は通し行進者の手でずっと広島まで運ばれ、平和公園のサダコの像に捧げられます。

そろそろチカさんと子どもたちが帰宅する時間になり、近くの駅に向かいました。今日歩いた距離は長かったし、暑かったし、子どもたちには少し大変だったことでしょう。今晩はよく眠れるといいですね。

歩いている間、靴脱たかしさんがタンバリンをたたいてくれました。平和行進ではいつも音楽が流れ、彼は歌も歌ってくれます。ときどき語りが入るのですが、日本語なので歌詞はわかりません。でも彼が弾き語りをすると前を歩いている人々はいつも笑っています。彼はときどき「いいね!」コールを「オイ!」と言ったり、「今でしょ」を「今やろうー」と言ったりします。

瀬谷公園の近くまで来ると、かわいい子どもたちが二人加わりました。うり二つなので双子でしょう。お母さんはコープの組合員です。チカさんの子どもたちと同じように、彼らは平和行進のムードを明るく、元気づけてくれます。

今日の行進は瀬谷公園で終了しました。

今日は「子どもたちの日」でした。彼らは私たちのたたかいを引き継いでくれる、日本の将来を担う世代です。彼らもきっと成長したら私たちのように、平和行進などの平和運動の価値のわかる大人になってくれるでしょう。

一日の終わりに、平和委員会に招かれ、神奈川県通し行進者の磯ケ谷さんたち大学生とのディスカッションに参加しました。リラン・バクレーさんという、何十年も前にアメリカから日本に移り住んで、今在日米軍基地についての映画を撮っている人も参加しました。思いやり予算についてや、日本社会をアメリカ人の視点で見たものを撮っているようです。面白いものにするため、映画の中にはユーモアも含まれているようです。

彼の友人のやべたかこさんがミーティングの通訳をしてくれました。彼女はとても英語の達者な人で、日本で起こっていることもよく知っています。

話し合いの中で、学生たちに米軍基地をどう思うか聞きました。一人は、青年のほとんどは米軍基地の存在すら気にかけていない、と言いました。また、基地周辺に住む人々に何の利益にもなっていないと思う、という学生もいました。労働者らしいもう一人の参加者は、日本の税金が米軍基地支援に使われていることについて話しました。彼自身も税金を払っているので、米軍施設の維持に使ってほしくないと。

やべさんとはいろいろな問題について話しました。基地問題だけでなく、青年の失業、長時間労働、人口の多くが50-60代、あるいは退職者世代で、政府の歳入が不足していることなど、日本には本当にたくさんの問題があるんですね。だから政府は国債を発行して人々の貯金から借金をし、日本を観光客や外国人労働者に開放しようとしており、安倍首相は日本の武器輸出を推進しているそうです。

日本から外国に働きに出ている人は多くないので、送金収入は少ないでしょう。青年人口が少ないことが問題です。安倍首相はまた、医療制度をアメリカと同じようにしようとしています。

特に問題だと思ったのは、日本政府が米軍基地の維持の費用を払っていることです(思いやり予算)。グアムへの移転ですら日本の納税者が負担するのです。基地内の住宅は日本の平均的な住宅の3倍の広さで、夏は最大限に冷房を使っています。また米軍基地には絶対停電を起こさないと保証されているそうです。電力に問題が起こったとき、基地外の地域では停電があっても、基地内では停電は起こりません。

思いやり予算に公然と反対する日本の人々がいます。福島や津波の被害を受けた地域の人々はいまだに仮設住宅に住んでいます。思いやり予算はそういう人たちのために使うべきです。

フィリピンでは、フィリピン上院が「米国との拡大防衛協力合意」に疑問を呈するべきです。フィリピン人が収める税金が、自国領土内の外国軍隊のために使われるようになってしまうかもしれないからです。

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