【2014国際青年リレー行進】マギティング・ファブロスさんの日誌(5月10日)

5.10(1)

今日はちょっといい天気。お日様はすでに顔をだして、日差しも少し強く感じられます。

私たちは、スカイブリッジのような大きな陸橋に出ました。走り回れるくらい本当に広いです。

5.10(2)

私は、神奈川県平和委員会の菅沼みきおさんと、相模原平和委員会の市川ひろかずさんに会いました。みきおさんは、私に、少し通訳をしてくれました。手にタンバリンをもった、生協の靴脱たかしさんもいました。

4人の被爆者の方を紹介されました。村山さんがスピーチしました。4人のうちの一人は、97歳であることがわかりました。日本人は、本当に寿命が長いですね。高齢ながら、まだまだ元気でご活躍の方がたくさんおられます。ここ数日は、生協からの支援者が多いように感じました。女性団体の方が大きな横断幕を掲げていましたが、新婦人のみなさんでした。そしてもちろん、矢部さんのグループはJMIUです。

今日は、2つのコースに分かれました。私のグループはAコース、そして竹田さんのグループはBコースです。

東京-神奈川の通し行進者の一人が離脱しました。瀬戸遥さんは、健康上の理由で、歩きとおすことができませんでした。彼女は、たぶん、ストレスがたまっており、行進への準備期間も短かったのだろうと思います。もしかしたら、この行進が、それほど負担の大きいものとは考えていなかったのかもしれません。でも彼女が行進から離脱するという辛い決断をしたことは、よかったと思います。なぜなら、自分の身体のことは、自分しかわからないからです。そんなわけで、私たち行進者は、何か変調をきたしていないか、お互いに気を付けあうようにしています。次のときには、彼女はまた戻ってくるでしょう。とはいえ、彼女がいなくて少し寂しくなりました。

良いニュースは、瀬戸さんにかわって、同じく生協からきた和歌山の山東さんが参加したことです。彼女は、ときどき、アイフォンを使いながら、私に通訳してくれます。

5.10(3)

私たちは、米軍相模総合補給廠に着きました。この施設の主な機能は、基地の維持管理、健康増進、研究、兵站支援と貯蔵です。

第2次世界大戦前、ここは日本軍の戦車製造や研究、石油貯蔵のための基地でした。ここはまた、朝鮮戦争やベトナム戦争でも大いに利用されました。この基地の敷地は500ヘクタールで、400近い建物があります。

基地の中の建物は、通常の日本の家の約3倍の広さもあるというのに、なぜ日本の家屋はせまいのだろうと思いました。

そのあと、私たちは、相模原市役所に到着し、市長その他、代表のみなさんから歓迎を受けました。平和行進に連帯の意を示すペナントやカンパをいただきました。飲み物やキャンディなどの差し入れもありました。2人の女性が、フルートとピアノで、とても素敵な曲を演奏してくれました。行進の途中で、岡本太郎という日本の芸術家の傑作を目にしました。それは、指を立てた赤い手のようでした。

「矢部」という名の地域を通過したとき、私たちは、ここは矢部さんの所有地じゃないかと冗談と言いました。JR淵野辺駅で短い休憩を取ったあと、座間駅に到着。西洋風レストランで昼食をとりました。

牛肉を食べたのは、初めてのことでした。私はチキンが好きで、いつも野菜と一緒に食べます。ここ数日、私は睡眠不足のため、日中は疲労と眠気を感じていました。血圧も少し高めです。私は当初、脱水症状ではないかと思いました。毎日大量の水と、ペットボトルのお茶、そしてときどきスポーツドリンクも飲んでいますが、それでも気分はあまり良くなりません。

そこで、経口補水塩を探しました。今日それを口にして、いくらか楽になりました。これで、今後も良くなればいいなと思います。もしかすると、冷たい風と、体内の水分を奪う熱のせいかもしれません。今日は経口補水塩を1リットル飲みました。

昼食後、駅の合流地点に向かいました。日が照りつけるなか、二手に分かれて険しい道を上りました。

ダルマを売っている店を通り過ぎたとき、山東さんは、ダルマの目が重要だと言いました。試験を受ける前、ダルマの目を白く塗ります。試験が終わり、合格したら、それに黒い目玉をつけます。彼女は、銀杏の木の葉が緑や黄色に変わることも教えてくれました。

5.10(4)

トンネルの中を通ったとき、私は、このトンネルが、キャンプ座間という米軍基地に通じていることに驚きました。針金でぐるぐる巻きになったフェンスの中に、「立入禁止区域」という表示が見えます。それは、日本ではまず見かけない表示です。この基地は、座間市と相模原市にまたがっています。

基地の中には、住宅や学校もあります。まるで、フィリピンで、身分証明の必要な私有地に入るときのようです。日本のような社会でなぜいまだに身分を証明するようなことをしなければならないのでしょうか。米軍は、日本人を恐れているのでしょうか、それとも自分たち自身を恐れているのでしょうか。

私たちは、キャンプ座間の前で、平和行進のシュプレヒコールをしました。白人や有色、若者から年をとった人まで、多くのアメリカ人が基地の中に入っていきました。

基地の入り口の隣では、開発工事が行われていました。そこも基地の一部ということでしたが、どうやら宅地のようでした。

5.10(5)

そして、座間市役所に着きました。土曜日にもかかわらず、職員や市長が私たちのために出てきてくれて、連帯のペナントやカンパをいただきました。私は、日本語で短いスピーチをしました。

今日のところは通訳がいないので、彼らが何を言っているのかわかりませんでした。「がんばろう!」

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