平和行進十九日目:清水区役所から静岡常盤公園
今朝は朝食を終えるとすぐに清水区役所に向かいました。そこで太陽のようなピカピカ笑顔の82歳の被爆者あんまさんに会いました。彼は長年地元の平和行進に参加されている方だと思います。とてもつばの広い帽子をかぶっていました。そしてその帽子を指差しながら日本語で何か私に話しかけてくれていました。きっと行進が終わったら彼のその帽子を私にくれると言っているのだと思いました。
左上の写真から時計回りに
1)素敵な笑顔のあんまさんです
2)清水区役所前に集まる行進参加者のみなさん
3)カンパを下さっている女性
4)最初の休憩所で私たちを出迎えてくれるコープ職員の皆さん
開会式は9時から始まりました。副市長が市長のメッセージを読み上げ、Uコープ、新婦人、市会議員の方の挨拶がありました。暑い中でしたが、私たちは行進をスタートさせました。行進初日から続けている「いいね」と「今でしょ」コールは今やアナウンサーのセリフも私は丸暗記し始めています。
静岡で行進を始めてからはカンパも沿道から集められています。一日でこんなにたくさんのお金を集める事ができるなんて本当にすごいです。ある日なんて約8万円もカンパが集まりました!閑静な住宅街を歩いていると、誰かが家から出て来て玄関先でカンパの封筒を渡そうと待っていてくれる事もあります。こいう優しい気持ちに毎日出会えるのはとても嬉しいです。何度もこんな光景に出会えて私はラッキーです。
上原の駅近くで休憩を取りました。冷たい飲み物とおやつがコープの皆さんから振る舞われました。本当に助かります。最近はコープの店舗を見ると休憩時間かと思って嬉しくなってしまう程です(笑)
休憩中にあんまさんが私と村田さんを地元の小さなお店に連れて行ってくれました。そこで彼は私たちにもつば広の帽子を買ってくれました。それで今朝彼の言おうとしていた事が分かりました!これで私は日本原水協の親切な皆さんと安井さんに頂いた赤いキャップの他にもう一つ帽子を手に入れたことになります。通し行進をしていると、様々な街で皆さんからギフトを頂きます。この贈り物が次に待ち受ける事を教えてくれる事もあります。例えばアームプロテクターや顔を湿らせるもの、日焼け止め、そして足をリラックスさせるための冷たい湿布などをこれまで頂きました。ある時、とても親切な男性が私に虫除けローションをくれました。次の日蚊がたくさんいる庭で集まったとき、私はそれを使ったという訳です。
午前中の行進は草薙地区の自然公園で終了しました。通し行進者は数ブロック歩いて公民館に行き、昼食を取りました。お母さんたちが私たちのためにヘルシーな昼食を用意してくださっていました。その上私たちのために歓迎の横断幕まで作ってくれていました。すごく優しい皆さんです。お母さんのうちの何人かはがくじさんの英語の生徒さんでした。それで私たちは少し英会話の練習もできました。
午後から行進は音羽町の清水山公園へと向かいました。この公園は滝や、広い遊技場、いくつかの活動センターのある素敵な公園でした。でもここでの休憩は私たちにとってはとっても短いものになりました。と、言うのも安藤さんと私は大牧さんの車で静岡市役所まで行くことになったからです。最初は何のための移動なのか分かりませんでしたが、やっと理由が分かりました。私たち3人は市役所の中で市長の代理の方と面談しました。彼らから市長からのメッセージ、ペナント、そしてカンパを受け取りました。市議会議員さんたちのお部屋でも同じような面談が行われました。皆さん忙しくて市役所の敷地内で行われた短時間のセレモニーに参加してもらえなかったのはとても残念です。多分来年は参加してもらえるでしょう!
他の平和行進参加者の皆さんが静岡のダウンタウンのにぎやかな通りを歩いているところで私たちは合流する事ができました。行進は常盤公園で終了になりました。この公園もとても素敵です。大きな水場があり、近代的な鐘のなるタワーもありました。閉会式はとても楽しい雰囲気で皆さん笑顔でした。観光協会の会長の方も温かく出迎えてくれ、賛同の挨拶をしてくださいました。静岡の被爆者団体の代表の方も挨拶されました。このブログで私は何度もお伝えしていますが被爆者の方々の果たされている役割の重要性は語り尽くす事ができません。
通し行進者の私たちも一言を求められました。なんとか自己紹介の簡単な文章を日本語で出来るようになってきました(あいさつ、名前、年齢、出身)。でもまだ残りのスピーチはがくじさんの通訳に頼っています。今日は今年彼と一緒に歩ける最後の日でした。彼の楽しいおしゃべり聞けなくなるのは寂しいだろうなぁ。きっとまた再会したいです。
暑かったけど楽しい一日でした!これからが楽しみです。
左上から時計回りで
1)静岡市役所
2)静岡の町中を歩く平和行進者
3−4)常盤公園での閉会式
(日本語訳=三宅朋子)