平和行進十七日目:富士宮駅から富士市交流プラザ
今朝は少し早起きして富士山をまつっている神社に行って来ました。鳥居をくぐって木々の豊かな参道を歩き,大きな恐い顔をした神様の像が両側に立っている入口に向かいました。入口の前には手と口を清める場所がありました。この水は富士山の雪解け水だそうです。
この神社は境内がとっても広かったです。境内の左側にはアヒルのいる池があり、蓮の葉の下には鯉が泳いでいました。とってもリラックスできる場所です。池の水も富士山から来ており、橋もかかっている広い川のように造られた池でした。橋の上に行ってみると虹色のイワナが泳いで登って行くのが見えました!ちょっと見た感じは止まっているように見えるのに、水の流れに抗して少しずつイワナは前進してました。ワォ!
私たちは開会式にちょうど間に合う時間に富士宮駅に到着しました。そこでのり子さんとシンディ、そして他の平和行進参加者と合流しました。シンディは彼女の地元の平和行進に数年前から参加している若い女性です。彼女も御前中は私の通訳をしてくれます。平和行進に若い人が参加してくれるのは嬉しいですね!
私たちは富士宮市の沿道を市役所に向かって歩きました。11時半には市庁舎の正面玄関に到着しました。市役所の方が市長さんからの賛同メッセージとペナント、そしてカンパを下さいました。市議会の議員さんも参加してくださいました。私たちは市庁舎の最上階で昼食を取りました。
平和行進を始めてから時々私たちは市庁舎の最上階の喫茶店で昼食を取ります。たいていそういう場所はその街の様子を一望できるようになっています。もし街を一望したいと思ったら市役所の最上階か、お城の眺望デッキがお勧めかもしれません。試した訳じゃないですが。
お昼ごはんの後で1時半から2時まで平和コンサートを富士市役所の庭で行いました。歌の上手な人しかいないみたい!平和行進をしていると毎日新しい発見があります。
私たちは市長のメッセージを聞いた後で行進を再開しました。かしおさんが午後の通訳さんを紹介してくれました。彼女はプロの通訳さんで新婦人の会員さんだそうです。新婦人はNGOが日本に根付く前からの女性団体だそうです。
今日の行進は富士市交流プラザで終了しました。この建物は文化交流施設、図書館、そして文化ラウンジなどが入っています。素敵!
これはとても近代的な建築物で、もしかしたら建築関係の書籍で紹介されているかもしれません。特に入口の空間の使い方はとてもよく考えられていると思いました。前方にある公園は建物全体を引き立てる効果がありますし、隣接する子どもたちの遊び場に広がりを持たせています。その上、建物の中からの景観もとても素晴らしいものにしています。こういう緑化された正面玄関とそれに続く緑の存在(芝生、植物、樹木)が地面からの暑い日差しを和らげてもくれるでしょう。
実は私たちは予定よりも早くこの場所に到着しました。主催者の人から使用を許可されている時間まで、あと数分待つ必要があると言われました。そこで私と村田さんは子どもたちの遊んでいる場所に行って交流したり写真を撮ったりしました。この遊技場の一画には大きな時計の付いた平和都市宣言のモニュメントがありました。
私たちは今夜から清水駅近くのホテルに2泊する予定です。ロビーでおかだがくじさんという方に紹介されました。がくじさんは英語の先生でこれから数日間私の通訳をしてくださいます。彼から小倉豊文さんという方が書かれた「絶後の記録」という本について教えてもらいました。著者は被爆者で広島での被爆体験を綴った本だそうです。この本を読みたいと思いました。
追記・私の母から富士山の裾野で行われている日米軍事演習について宗教的側面からも問題だという事を教えてもらいました。富士山はいくつかの宗教の信仰の対象であり、山とその近隣の地域は神聖な場所と考えられています。このような神聖な場所で軍事演習を行う事は、教会の庭で手榴弾を投げる訓練をするようなものです。富士での演習は手榴弾よりもひどいと思います。
今日の写真をいくつか紹介します。
時計回りに
1)神社の外に願い事を書いた絵馬を吊るしておく場所があります。
2)村田さんが私にも絵馬を買ってくれました。私は平和への願いを書いて吊るしました。
3)神社の外側には大きな樽に入ったお酒がたくさん積んでありました。
4)小さな女の子が神社の境内で石畳の温かさを楽しんでいました。遠くで彼女のおばあちゃんがにっこり笑ってその様子を眺めていました。
これがシャッター通りです。それでも何人かの高齢者の方が手を振ってくれたりカンパをくれたりして励ましてくれました。
(日本語訳=三宅朋子)