平和行進十四日目;引き継ぎ式 神奈川県から静岡県へ
今日は神奈川での平和行進の最終日でした。静岡に行けるのは嬉しいけど、神奈川のみなさんとお別れするのはちょっぴり寂しい気持ちです。ほんとに皆さんは家族のような存在でした。
朝食後、私たちは湯河原の観光センターに行きました。ラッキーな事にそこでは朝市が行われていました。
この市は朝の6時から9時まで行われているそうです。毎週、約15のお店が出店し、魚介類、野菜、植物や手作り品など地元の特産品を販売しています。この市は29年も前から行われているそうです。すごい!
広場の片隅には上に向かう階段があり、トンネルがありました。そこでは写真も撮れたので村田さん、福島さん,そして私はこのブースで写真も撮ってみました。ヘへへ。
数分後に好奇心を抑えきれずトンネルを通ってみました。トンネルを抜けると奇麗な滝がありました。これが今朝のもう一つの素敵な出来事です。
それから開会式を9時頃から行いました。今日は神奈川県原水協の代表の片野憲二さんが挨拶しました。被団協の事務局長の中村雄子さんも挨拶されました。彼女は数日前に鎌倉の神社で被爆体験が書かれた本を代読された方です。歌声をされているグループの方も挨拶されました。こういう場所で音楽の生演奏があるのはいいなといつも思います。
神奈川県と静岡県の県境まで向かいました。ちかさんと彼女の子どもたちが行進に参加してくれました。にっこり笑ったり、手を振ってくれたり、うなずいてくださる方が沿道にたくさんいました。歩いていると毎日こういう反応に出会えます。コールで想いを伝えながら歩くのに加えて、平和行進って暖かい笑顔、振られる手、そして賛同の気持ちを込めたうなずきが織りなす平和のパレードだなと最近思います。
神奈川最後の休憩は公園でした。市長さん、市議会議員さん、そして被爆者の方のあいさつの後で歌声のグループのみなさんが歌ってくれました。歌の後には大熊啓さんが南京玉すだれも披露してくれました。大熊さんは「歩いていこう」という歌の歌詞を作られた人でもあります。
お昼を少し過ぎた頃に私たちは神奈川と静岡を繋ぐ橋の近くの小さな公園に到着しました。静岡の行進参加者の皆さんが私たちを出迎えてくれました。とってもたくさんおられました。
広い芝生のある場所で引き継ぎ式が行われ、左側に静岡の皆さんが集まっていました。右側が神奈川の皆さんでした。二つのグループの間にはすこしスペースがありました。挨拶と歌の後で私たち通し行進者は神奈川グループから静岡グループへと場所を移しました。私たちは神奈川の皆さんにさよならを言いました。横断幕や旗も静岡の皆さんに引き継がれます。この引き継ぎ式はとても感動的でした。ちょっと胸が一杯になって涙ぐんでしまいました。。。
けいこちゃんが泣きながら私のところにきてくれて私たちはお別れを惜しみました。彼女は13日間私の妹みたいに一緒に過ごしたのでほんとに寂しい。けいこちゃんは和歌山市民生協の職員ですが東京ー神奈川間だけ歩く行進者でした。彼女は中野たくやさんに行進を引き継ぎます。彼は26歳でやっぱり和歌山市民生協の職員です。私たちは静岡を一緒に歩くことになります。妹の次は弟ができるって訳です!村田さんはこの行進の間はずっと私のおっきなお兄ちゃんです!
橋に向かって歩く時、神奈川の行進者のみなさんが温かく送り出してくれました。日本のみなさんについて私が後になって思い出す一番大好きな記憶は、旅人を送り出す時の姿だと思います。姿が見えなくなるまでずっと手を降り続けてくれるのです。とってもジーンとします。
橋を渡った後はいくつかの上り坂がありました。左手に海、右手に山を見ながら歩くのはとっても素敵でした。行進には何人かのお坊さんもお経を上げながら参加してくれました。一緒に歩くおまわりさんの数は少なかったです。
しばらく行くと2台のバスが私たちを待っていてくれました。このバスにのって熱海駅まで向かいました。昼下がりには熱海に到着しました。粕谷たか子さんが今日の私の通訳をしてくれました。とっても親切な方で熱海や静岡について色々と教えてくれました。熱海はたくさん温泉があるとても人気の観光地だそうです。でも不景気で以前程は活気がないみたい。
たくさんのお店が閉まっていました。たか子さんはこういう商店街をシャッター通りと言うと教えてくれました。
それに多くの地元の商店は郊外にある大型ショッピングモールとの競争に勝てなくて商売を辞めているそうです。こういう場所を歩くのはすこし気持ちが暗くなりましたが、暖かく応援してくれる皆さんにも会えたのは嬉しかったです。
今夜は静岡の通し行進者のみなさんと一緒に旅館に泊まりました。伝統的な日本の旅館に泊まるということは3つの事を意味します。
1)普通より豪華な朝食と夕食が頂けます
2)伝統的な日本のお部屋で(畳の上で布団を敷いて)眠れます
3)通常コインランドリーはありません
私は食事が美味しくって洗濯がラクチンなのが一番嬉しい、しかも建築家なので、旅館に泊まれるのはとっても嬉しいです!
夕食をとりながらみんなで簡単にミーティングをしました。静岡県原水協事務局長の大牧正孝さんが、簡単に静岡のコースについて説明してくれました。静岡の大部分が富士山を囲んでいるので、今後数日間は富士の裾野を歩くことになります。大牧さんは富士山の裾野には大きな米軍基地があることも教えてくれました。また私たちは第五福竜丸がビキニ環礁での核実験を目撃したあと最初に立ち寄った焼津港にも行くことになります。
神奈川県同様に静岡でもメインコースとは別の小規模なコースもあります。私たちは東海道を通過するメインコースを歩くことになります。東海道とは東京から京都まで江戸時代にお侍さんたちが通った歴史的な道です。
大牧さんはまた、日本の平和運動は1963年にソ連に対する立場の違いから分裂することになったとも話されました。この問題については私はほとんど理解できませんでしたが、また別の機会にでももっと探求したほうが良さそうです。大牧さんは昔分裂が起こったにも関わらず、静岡県の平和運動は団結して頑張ったとお話しされていました。地域の原水協、被爆者の皆さん、コープ、そして宗教団体でさえ強い協力関係にあるとの事です。今日の午後、私は大野ゆうこさんという静岡の様々な宗教団体のリーダーともお会いしました。
大牧さんはまた、静岡県の首長の6割が核兵器廃絶署名に署名しており、平和市長会議の会員だとも話されていました。
静岡の平和行進のもう一つの特徴は行進中にカンパを訴える事です。賛同者は通りを私たちが歩いている時にカンパをくれます。毎日カンパ集めの係を決めるそうです。大牧さんはこのやり方で静岡県が一番カンパを集めると言っていました。過去には100万円ものカンパを集めたこともあるそうです。このカンパの大部分は被爆者支援に使われたり、また他団体と分けるそうです。
これが夕食の時に撮った写真と旅館の部屋の写真です。
(日本語訳=三宅朋子)