平和行進十日目:葉山町ー逗子市ー鎌倉市ー大船観音
今日、葉山町役場でこれまでお会いした中では最年長の被爆者の方と会いました。彼は今92歳で24歳の時に広島で被爆されたそうです。確かお名前は井口さんと言われたと思います。大変な経験をされてきた井口さんですがお医者さんからは今とても健康だと太鼓判を押されているそうです。とても長い距離を私たちと一緒に歩いてくださいました。被爆者のみなさんはたいてい行進の先頭を歩かれます。
そしてこちらは葉山町の町長さんで、これまでに直接挨拶に来てくださった首長さんのなかで一番若い方だと思います。彼はみなさんと一緒に行進にも参加してくれました。みなさんにこにこ笑っていてすごく楽しそうでした!行進に若い人が参加してくれるのを見るといつも嬉しくなります。
ラッキーな事に今日は風があったので暑くてもそれほど疲れませんでした。いつも団扇を持って歩いています。今日もたくさんの皆さんからうなずいたり手を振り返してもらったりしました。一人の女性なんてたまたま外に出て来て私たちの行進を見つけ、飛び入りで歩いてくれました。ハハハ。彼女は途中で行進からは抜けましたが、また戻って来て私たちから平和行進のキャンペーン団扇を購入してくれました。歩いていてこういう瞬間があるととても元気づけられます。
最初の休憩は逗子市役所で取りました。ここでも市長自身が挨拶してくれました。別の被爆者の方もご挨拶されました。今日はたくさんの被爆者の方が歩いてくれていました。最初は7人の被爆者の方が一緒に歩いていて、午後にはさらに多くの方が参加されました。
休憩後には米軍池子住宅地区の正面玄関のところまで歩きました。これは米海軍の基地施設の一部で軍人とその家族の住宅です。現在新しい住宅建設もすでに計画されているそうです。私たちが正面玄関の写真を撮っている時、兵士たちも同じように遠くから私たちの写真を撮っていました。私はにっこり笑いました。彼らも笑ってくれていると良いのだけれど。
ここでグループごとにお昼休憩を取り、源頼朝にちなんだ場所で再集合しました。けいこさんが鶴岡八幡宮について教えてくれましたがよく思い出せません(ごめんなさい!)
ここは中心に神社のある人気の観光スポットです。ここが最初の武家政治の始まった場所だと福島さんが教えてくれました。小さな公園を抜けるともう一つ小さな神社がありました。ここはとってもにぎやかなショッピングストリートです。
お昼ごはんにはシラス丼を食べました。シラスはとっても小さい魚でこのシーズンだけに獲れます。だからみんなはこれを食べるととっても嬉しいみたい。
お昼にシラス丼を食べたと話すとみなさん「すごい!」とか「良かった」と言ってくれました。シラス丼はどんぶりご飯の上にしらすを乗せた物です。それにのりと錦糸卵もトッピングされています。とっても美味しかった!こんな感じです。
私たちはショッピングストリートを行進し、鎌倉市役所へ向かいました。そこでさらに多くの被爆者の方と会いました。そして皆さんと一緒に写真を撮る事もできました。挨拶で被爆者のよしだこうじさんは鎌倉市には200人の被爆者の方が暮らしていると話されていました。彼は今82歳で長崎で被爆されたそうです。今日の午後にお会いした被爆者の皆さんは広島で被爆された方、長崎で被爆された方と両方おられました。
今日の最後の場所である大船観音寺まで行進を続けました。福島さんから事前に今日はとても特別な日だと教えてもらいました。私たちは大船観音寺に行き、そこで集会を行いました。ある被爆者の方がこの神社の事が書かれているパンフレットを下さいました。
集会である女性が別の被爆者の方が書いた本から一部を代読しました。長崎の爆心地から50メートルの場所での被爆体験でした。著者の方は長い間探し続けた後に大船観音寺で彼の母親の遺骨を見つける事ができました。でもお父さんの遺骨は見つかっていません。彼は時々目を閉じると父親が自分を呼んでいる声が聞こえると言います。そしていつも母親の姿が胸にあると(福島さん訳してくれてありがとう!)。
今日の午後は素敵なトランペット奏者の松平晃さんも一緒に歩いてくれました。ここでも2曲演奏してくれました。多くの皆さんが最後の歌を一緒に歌われました。とっても感動的でした。
新鮮なわさびと刺身です。小さな木製のおろし器でわさびをすりおろします。
大船観音寺の近くにあった大きな仏像
(日本語訳=三宅朋子)