マラヤ・ファブロスさんの行進日誌9日目

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平和行進九日目:三浦市役所から横須賀市のヴェルニー公園(臨海公園)

今日は三浦市役所からスタートでした。これまでの日記でおわかりでしょうが、私たちは毎日開会式と閉会式を行っています。その街に住む被爆者の方々からのメッセージや地域の原水協、そして地方自治体の職員の方々の挨拶、時々はいろんな団体のリーダーの方からも一言があります。

通し行進者(県の通し行進者とコース全体の通し行進者)も紹介されて、時々短いスピーチを求められたりします。その後その日の行進を仕切るリーダー/司会者が紹介されます。司会者か笠木さんが行進の前にコールの練習をウォームアップのために参加者と一緒にやります。「いいね」と「今でしょ」コールを教えられると参加者の皆さんはたいてい笑って和やかになります。この2つのフレーズは今日本でとても人気があるみたい。これは練習中の皆さんの一枚です。

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大通りに沿って坂道を上っていくと下の写真にある建物が見えてきました。

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一緒に歩いている行進者の方が私に、「あの屋根に大きなオレンジのでっぱりがある建物の場所がビキニ環礁で被爆した原爆マグロが埋められた場所だ」と教えてくれました。今ここには3棟のマンションが建っています。

今日夕食を食べている時にある男性が私たちに話しかけてきました。彼は今日この建物の近くを運転していて私たちの平和行進を見かけたそうです。その時彼は原爆マグロの事を思い出したと話してくれました。彼は思い出させてくれてありがとうと私たちに感謝していました。

3時半までには横須賀市に到着しました。一人の若い被爆者の方が挨拶されました。彼は75歳か76歳だったと思います。現在横須賀市には231人の被爆者の方が暮らされており、その内6人の方が今日の午後は私たちと一緒に歩いてくださいました。

今日のゴール地点に行く前に私たちは横須賀の米軍基地の横を通りました。道の反対側に集まって「今でしょ」と「いいね」コールを行いました。これまでの基地前の行動と違って今日は変わった(リアルな)傍観者がいました。エレベーターの影に隠れて私たちの横断幕に書いてある事を書き取っている兵士の姿さえ私は見つけました。

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今日の行進は横須賀市の臨海公園で終了でした。そこで笠木さんが山崎正則さんを紹介してくれました。山崎さんは奥さんを亡くされています。2006年1月3日、山崎さんのの56歳の奥さんであった佐藤好重(よしえ)さんは酔っぱらったアメリカ兵に殴り殺されました。その米兵は奥さんの財布から1万5千円を奪おうとしたそうです。好重さんは内出血で亡くなりました。そのアメリカ兵の名前はウィリアム・オリバー・リースというそうです。

他にも酔っぱらった米兵が学校のガラスを割って校内に侵入し、眠り込んでいるところを朝登校した生徒に発見されるという事件もあったと聞きました。学校で酔いつぶれた米兵を見るというのは歓迎できる光景だとは言いがたいです。

日本中で有名になった事件に1995年に沖縄で起こった3人の米兵による12歳の少女暴行事件もあります。日本中で抗議の声がわき起こり、航空基地は沖縄の人口密集地から別の場所に移転せざるを得なくなりました。

私はネットでウィリアム・オリバー・リースについても調べてみました。以下は私がこの事件について見つけた多くの記事の中の一つです。

ニュージャージー州出身で空母キティーホークの乗組員だったリースは地元のバーで飲み明かした後に佐藤好重さん(56)を殺害した事を認めた。彼は路上で佐藤さんを呼び止め、近くの横須賀海軍基地の場所を尋ね、それから財布をひったくろうとした。

佐藤さんが抵抗し、「助けて」と叫んだので、リースは近くの建物の入り口に彼女を引きずり込み、11分間殴り続けた。「コンクリートの壁に彼女を打ち付け、足で彼女の腹部を何度も何度も踏みつけた」と小倉正三裁判長は法廷で語った。

「彼女の殴られ方をみれば、リースが人の命に対してまったく顧みる気持ちがなかった事が分かる。破裂した内蔵など身体の損傷がこの犯行が極めて残忍なものであったことを物語っている」と小倉裁判長は重ねて語っている。

リースは佐藤さんの財布から1万5千円、約130ドルを奪い、コンビニに立ち寄った後で基地に戻った。その日遅くに横須賀市内の病院で佐藤さんは死亡した。

行進の後で、いしざわひでおさんが私たちを横須賀海軍基地が一望できる小さな公園に連れて行ってくれました。ひでおさんは昨年11月の米軍基地返還20周年の時期にフィリピンの元米軍基地へスタディーツアーに来られたそうです。多くの日本や韓国の方々はこのフィリピンの闘いに敬意を表してくれます。今回は彼が日本の基地についてミニスタディーツアーをしてくれました。

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彼は米国と日本の軍事施設の場所を示した地図を見せてくれました。大きな外側のエリアが米軍の所有地であり、小さい内側の部分が日本の所有地です。私たちは日本の所有地側に立っていました。

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下の写真がその場所からの眺めです。写真の手前側にある複数の船は日本の軍事施設で私たちの立っている陸地に繋がっています。山を含む向こう側は米軍の施設です。ひでおさんは約6万人の日本人が基地内で働いており、賃金は日本政府から支払われていると話してくれました。基地内の人たちのための住宅建設などの仕事で基地内で働いている人たちもいます。

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ひでおさんが横須賀にある米海軍基地について私たちに説明しています。ひでおさんの横には神奈川の通し行進者の塩瀬康雄さんがいます。彼は5年前に私の母とも一緒に神奈川県を歩いたそうです。彼は東京の出発からの通し行進者でした。今年は全国通し行進する事はお医者さんから止められてしまったそうですが、東京から神奈川の区間と広島で再び私たちと一緒に歩いてくださいます。とても精力的な方です!

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(日本語訳=三宅朋子)

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