マラヤ・ファブロスさんの行進日誌6日目

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平和行進六日目:海老名市から横浜へ

 

今日のニホンゴ:雨(あめ)

 

今日は一日中雨でした。午後にはかなりの土砂降りになりました。

行進は海老名市役所からスタート。海老名市役所の方が挨拶してくれました。賛同を表明してくれただけでなく、海老名市役所の正面に植えてある記念樹についてもその方はお話ししてくれました(最初に載せている写真です)。この小さな木は広島にある木から枝分けされたものだそうです。この木ははじめ市役所の別の場所に植えられていたそうですが、正面に移されたそうです。今日の行進のまとめ役は海老名市議会の議員の方です。彼はとっても若く見えました。

 

行進を始めた頃にパラパラと小雨が降り始めました。皆さんがカッパを持って来ていて良かったです。私も初めて自分の透明のカッパを使いました。これは透明なので私たちが肩からかけているオレンジ色のたすきを見せる事ができます。通し行進者の村田さんと私はこの東京から広島まで歩いている事を明記したオレンジのたすきを行進中は毎日身につけます。でも実は私はビザの関係で一週間のお休みを5月27日から6月5日までいただく事になっています。日本に滞在する外国人は最大3ヶ月の滞在しか許可されないからです。だから私はその一週間の間に一度フィリピンに帰って改めてビザを取らなければなりません。

 

昨日いただいた本の事ですが、福島さんが一部を翻訳してくれました。著者の方はトラックの運転手さんを退職された後で平和行進を歩かれたそうです。彼は現在75歳です。

 

区役所で休憩した時には市議会議員の皆さんが揃って出迎えてくださいました。市議会議長の方が自ら賛同の挨拶をしてくれたのはとってもすごいことです。

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それから私たちは厚木航空基地まで歩きました。コールしながら基地の入り口のところまで塀にそって進みました。入り口近くではコールの一部を英語で車のマイクから行いました。この基地にはオスプレイも配備されていると聞きました。オスプレイの墜落で数名の近隣住民が亡くなる事故が起こったそうです。

 

オスプレイとは何か?

新婦人(新日本婦人の会)にインタビューされた時に、平野恵美子さんからオスプレイがヘリと飛行機の性能を兼ね備えたものである事を教えてもらいました。オスプレイは地面から垂直に離陸することができ、飛行機のように多くの荷物を搭載して早く飛ぶ事もできるそうです。オスプレイがヘリから飛行機のモードに切り替わる際(もしくはその逆の時に)、とりわけ強風の場合などに事故が起こりやすいそうです。

 

オスプレイは米国では多くの街で飛行が禁止されて来ました。しかし日本では沖縄の住居地の上空をそれは飛び回っています。日本にある米軍基地の70%が沖縄にあります。沖縄の土地の半分が米軍基地で占められているのです。

 

今日は雨と上り坂が多かったのでかなり大変な一日でした。でも雨でも多くの人が笑ってうなずいてくれたり、手を振ってくれました。自転車に乗った男の子たちが「いいね!」や「今でしょ!」コールを飛び入りで一緒にやってくれたりもしました。とっても楽しかった!

またあるフィリピン人の家族ともすれ違いました。彼らは最初私をみてビックリしていましたがすぐにニッコリ笑い返してくれました。

 

午後は大和公園と、あるコープの支部との2回の休憩がありました。雨が小降りになるのを待ってコープではいつもより長めの休憩を取りました。それから今日の最終目的地に向かって歩きました。

 

千羽鶴の話

一人の親切な女性が大和公園で私たちを待ってくれていて折り鶴を2束手渡してくださいました。1束に千羽の鶴が折られていました。彼女はこれを2年で折り上げたそうです。私たちはこの折り鶴を広島まで持って行きます。日本では千羽の鶴を折ると願いが叶うと信じられています。

 

折り鶴は平和への強い願いを示すものでもあります。この折り鶴と平和運動の繋がりは、サダコちゃんという若い被爆者のお話が始まりだと思います。サダコちゃんは広島の被爆者でした。原爆で傷を負った訳でもないのに、彼女は放射能によって最後には病気になってしまいます。彼女は病気が治る事を願って千羽の鶴を折りました。彼女は若くして亡くなってしまうのですが、彼女に起こったような事を二度と繰り返さないという願いを込めて多くの人が折り鶴を折る事でその思いを伝え続けています。

 

彼女の物語は広島の平和記念館でも取り上げられています。

 

今日は写真が少なくてすいません。また写真をすぐに載せますね。

(日本語訳=三宅朋子)

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