【日本原水協】アメリカの市民から事務局へ5万円(500ドル)の寄付

ジョナサン・オームズさんというアメリカ合衆国の一市民が、500ドルの募金を日本原水協事務局に寄せました。この人は、1986年11月14日、アメリカ大陸横断行進に参加した原水協の一行を一晩、自宅に泊めてくれた人です。文字通り凍りつく夜、キャンプ場まで来て、車で運び、歓迎してくれました。

以下、手紙の仮訳を紹介します。

オームズさんからの手紙(訳)

土田弥生さん、原水協のみなさん、

Webをつうじてみなさんの団体が活動されていることをうれしく思います。1986年、あなたの団体は全米の行進でワシントンD.C.まで参加されました。あれは、たいへん寒い夜で、みなさんはメリーランド・ベルツビルというワシントン市郊外にテントを張っていました。私はキャンプ場に行き、私の家に来て、温かいシャワーを浴びませんか?とよびかけました。日本からのみなさんを私の家に受け入れることができ本当にうれしい気持ちでした。

実際、私の家に来てくださった日本人のみなさんが素晴らしいグループであったことを記憶にとどめています。グループの代表はヒロシ・タカさんと朝戸理恵子さんでした。タカさんは後で素晴らしい礼状を送ってくれました。今日、それが私の書類の中から出てきました。あらためて感動を深くしたので、その人たちが今もお元気で反核運動を続けておられるのか知りたくてお手紙を書きました。

グループには小島光男さんという1945年のあの恐ろしい爆弾の被災者の方がいました。アメリカ大陸を行進し続けた小島さんの元気に感銘を受けました。彼はいまもご存命でしょうか?もし生きておられるなら私の心からの気持ちをお伝えください。二人で、互いの美しい髪の毛についてジョークを言ったことを想い出します(1986年、二人とも禿げていました)。

学生も何人もいました。高尾由美子さん、西村たかあきさん、竹中正道さん、清松ひさのりさん、鳥居あきらさん、正森かつやさんです。もしどなたかでもあったら、よろしくお伝えください。

みなさんが自分の持参するお米をもってきて私の家で、日本のやり方で料理してくれたことをよく覚えています。

私は天文学者で、一緒に仕事をし、経験を分かち合う日本人の同僚もたくさんいます。けれども、長い時間をかけて私の国まで来て、私の共感する抗議の行進に加わってくれた人たちには、すべての国の戦争の軍備から恐ろしい核兵器をなくそうというお互いの要求と関わって、ずっと深い結びつきを感じています。みなさんが仕事を続けられるよう、ささやかですが同封のものを私の気持ちとしてお受け取りください(500ドル小切手)。

特別の訪問の懐かしい記憶とともに、

ジョナサン・F・オームズ

 

追伸: タカさんと小島さんがメリーランドのメルツビルの家にお礼の手紙を送ってくれましたが、その後コロラドのデンバーに引っ越しました。それらの貴重な手紙を思い出としていまもとってあります。

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