平和行進一日目 夢の島公園から芝公園へパート2
平和行進が東京の夢の島公園でスタートしました。開会式の前に多くのみなさんが私に贈り物をくれました。多くはピンバッチでした。ある一人の年輩の女性が私にくれたピンバッチは彼女が1967年頃から平和行進で使ってきたものでした!ワオ!
開会式は11時半から始まりました。被爆者や平和運動をする若者の代表、そしてNPT再検討会議のためにジュネーブに行っていた原水協の代表,そして第五福竜丸展示館の代表理事からのスピーチがありました。
ここで私は私と一緒に通し行進する村田さんに会いました。他のコースを歩く行進者にも会いました。彼らの多くがもうすでに5年以上平和行進をされていると知って驚きました。彼らの大部分はかなり年配の方々で若い女性は私を含めて2人だけでした。一番若いのは山東(さんどう)さんでした。彼女は和歌山のコープに勤めており、これから13日間、私と一緒に歩きます。
私たちはお昼の1時に出発し、東京の有名な繁華街を行進しました。ここは東京の中心部だそうです。この日は約900人が行進に参加しました。被爆者みずからも一緒に歩きました。安井さんが私を被爆者の隣に連れて行ってくれました。私はなんとか彼と会話しようとやってみました。握手もしました。私たちは行進の半分近くを手を繋いで歩きました。私の下手な日本語では彼のお年を聞く事しか出来ませんでした。彼は85歳でしたがとてもしっかり歩かれていました。お別れする前に,彼は私に気をつけてと言ってくれました。
行進の列の最後にはDJのトラックが続いていました。ここはメーデーで会った男性が仕切っていました。これはとっても格好良くて日本語の歌詞のレゲエ音楽が流されていました。こういう方法は沿道の若者にもアピールできるし、行進する私たちも元気になります。
港区の芝公園が1日目の最終地でした。到着する頃に雨が降り出したので閉会式は短めに行われました。平和行進の通し行進者は感想を一言ずつ求められました。
芝公園での式典の一番の注目は広島と長崎からの原爆の火でした。これは長崎と広島で昔大切な運動の一環として灯されました。それ以来、火は消される事なく様々な地域に分火されています。遠くはニューヨークまでこの火は分けられています。もう一度この消える事のない火についてはタカさんに教えてもらわなくては。
行進は長かったので足は疲れました。でもなんだか大勢の人と一緒に歩いて気持ちは元気です。前に毎日平均10キロは行進すると教えられました。初日からそれ以上歩いたと思います!愛ちゃんの携帯には万歩計が付いてるのだけれど、それでは20キロになっていました。でもそれは彼女の歩幅で計算されているけど、私の歩幅はもっと小さい。もしかしたら12キロぐらいと言っておいた方が良いのかな?
一日の終わりに地域の方が中華料理屋さんに連れて行ってくれました。辛い料理を食べました!ドバイで辛い料理に慣れてるので私は辛いのは平気です。日本の友人たちの多くが辛い料理が好きなのは面白いです。この夜は知っている人がたくさんいました。メーデーで会った人たちがほとんどでした。スゴイ!