宮城県原水協は、このほど全国の原水協のご支援で寄せられた「ちひろカレンダー」を持って、大震災の被災地の仮設住宅を訪問・お話しを聞きながら贈らせていただいています。
塩釜市の4つの仮設住宅を訪問し、75軒の人たちとお話ができました。子どもと一緒にいた女性は、「ちひろの絵は大好きです。本当にいただいて良いのですか?」と喜ばれ、「今年はどこからもカレンダーが届かないの。被災も風化してゆくのですかね」と寂しそうに話していました。
南三陸町歌津の中心部伊里前には、津波で約300軒が流され、地盤沈下で今も家の土台が海の中に沈んでいる所ですが、17軒の人たちが声をかけ合い、助け合って仮設住宅で暮らしています。「被災当時は、あまりのことにただ呆然とするだけでどうしていいか分からなかったけれども、ボランティアの方々に支えられたことが生きる力になりました」と、皆さんが話しています。ここに住む2人の方は、「平和行進」に参加していた縁もあってちひろカレンダーの贈呈には感激していました。
その向かいの仮設には、役場に勤務していた人柄が良いと評判のお嫁さんを津波で亡くし、毎日閉じこもって泣き暮らしていたおばあさん、高校生と小学生の孫を残されて悲嘆にくれていたおばあさんに、まわりの人たちがいつも声をかけ見守り続けて来ましたが、この頃やっと笑って支援者にも顔を見せてくれるようになりました。
▲カレンダーを手に
50代の女性は、「また孫が生まれるので、可愛いちひろカレンダーをいただき嬉しい」と言っていました。この方は、夫婦で高台移転のために努力、「やっと2カ所の着工の見込みにこぎつけた」といいます。息子さんは、シンガーソングライターで、福島原発事故に思いを寄せて歌をつくり、歌津被災の歌を志津川高校生とともに作って「心和む歌声」と評判になっています。
仮設の「皆さんの面倒見がいい」と評判の女性は、「この山に(高台)移転することは決まっているが、まだ整地されていない状態ですよ」と話していました。ここの仮設32世帯にちひろカレンダーを配ってもらったら「ちひろの絵が好きな人が何人もいて『わぁーっ!!』と歓声を上げて喜ばれた」と報告がきました。
▲おじさんと2人で
どこでも「今年はカレンダーがないね」と言っていた矢先に「ちひろカレンダー」が届き大喜びされています。
贈っていただいた皆さんありがとうございました。
2012年12月28日 宮城県原水協事務局長・熊谷正治
【塩釜、南三陸町へのちひろカレンダー贈呈は以下の皆さんからの募金で贈られました】
日本医労連、奄美医療生協、出版労連、京都原水協、愛知県原水協、三重県原水協、広島県原水協、福岡県原水協、熊本県原水協、宮崎県原水協、理想科学工業、かんきょうムーブ、兵庫・兵頭さん、山梨・野口さん、名古屋・市丸さん、小林洋二さん、国会議員秘書