6月16日(土)大垣市、垂井町、関ヶ原市行進後、滋賀県への引き継ぎ式、滋賀県米原市山東地域、長浜市行進。
激しい雨の中を8時前から行進参加者が集まる。8時20分、出発式後行進始まる。
10時、西濃食堂駐車場には数台の診療所の車に乗っている患者さん(老人)が待っている。雨の中、その年老いた患者さんから千羽鶴が渡邉さんと私に手渡される。
不破郡垂井町の旧道、松並木や宿場街の名残が残る中山道を行進する。垂井町長浜屋で行われた歓迎集会には、雨の中を広瀬文典議長が来てあいさつ。昼食中司会を務めた小林幸風さんの詩吟で憲法9条を唄われた録音テープが流れる。その録音テープ(1000円)を購入する。きたがわてつさんのフォークソングでの憲法9条の歌とともに普及することを願う。
かつての天下分け目の戦い古戦場であった関ヶ原町の登りの長いだらだら坂道を歩く。
岐阜県から滋賀県への引継式は、関ヶ原中央公民館の3階でおこなうとのこと。エレベーターもない。私は3階へ行くことを躊躇する。渡邉さんにおぶってあげると言われたが、姥捨て山へ連れられるような姿はイヤだと思い、一段ずつゆっくりと上がっていく。
式には関ヶ原町長のメッセージもない。町長とは裁判で争っているとのこと。(1、2審ではこちら側が勝利したが、現在最高裁で争っている)
引継式のあいさつでは、涙雨が降っているので涙ぐまないと思ったが、やはり泣いてしまった。自分の階段への訓練不足から筋肉痛、みなさんに心配と迷惑をかけたことを涙声で謝った。実行委員会のみなさん、行進参加者のみなさん、本当に申し訳ありませんでした。岐阜県もこれでクリアして1都4県が終わり、あと2府5県だ。
滋賀県での最初の行進、米原市山東地域は雨の中での行進となる。続いて長浜市へ。どちらも雨の中を出迎えを受け、メッセージをいただく。
長浜市内を行進中、老婦人が玄関から出てきて、おはぎと寿司を手渡してくださる。有難うございます。また、雨の中を盲人の女性、星野友輝さんが白い杖を手にして参加し歩き通す。本当に頭が下がる。行進終了後、握手し、一緒に記念写真を撮る。
5月15日(葉山、逗子、鎌倉コース)以来の二度目の一日中の雨の中の行進だった。
『歩く』DVDを5本普及。合計62本となる。普及目標50本を、2倍の100本とする。
6月17日(日)彦根市、豊郷町、愛荘町、東近江市を行進。
天気予報では雨だったが、雨は上がり、曇りだった。暑くなく行進日和。
彦根の城下町、7まがり道と書かれた道を行進。仏壇店が多いことに驚く。
愛荘町役場愛知川庁舎前での歓迎集会、宇野一雄副市長の激励あいさつが素晴らしかった。「福島原発事故の現状、野田首相の大飯原発再稼働宣言に対して批判し、地震のないドイツ等で脱原発を打ち出していること、被爆国として核兵器廃絶を願うメッセージがあらゆる国の指導者に届くことを願う」と読み上げられた。大変立派なあいさつだった。
6月18日(月)安土町、近江八幡市行進、近江八幡駅、野洲駅にて署名行動。
宿泊所のホテルは、夜カエルの鳴き声が聞こえてくる。都会に住む私にとって、久しぶりのカエルの鳴き声を耳にした。
集合地安土駅前には織田信長公の像が建立されてある。安土は信長が生まれたところ。
愛知県内通し行進者の岩田朝子さんが名古屋から来て突然の再会。安土町生まれとのこと。岩田さんから安土の名菓、もなか「まけずの鍔」と「でっち羊羹」(どちらも万吾楼)の差し入れ。どちらも美味しくいただく。淡白な甘味で名菓だ。
行進途中、円光寺にあるかくれキリシタンの地蔵を見る。お地蔵さんの足元裏に十字架が彫られてあるとのこと。だが見ることはできなかった。
日牟礼八幡宮前でろうあ者の観光客集団に遭う。横断幕を見せ、手で90日間80歳で歩いて行くと知らせると驚きの表情で拍手をしてくれた。わかってくれて嬉しくなる。映画『名もなく貧しく、美しく』の助監督をしていた頃を思い出す。
近江八幡駅と野洲駅で署名活動を行う。行進団で署名活動をするのは初めてだ。近江八幡駅で39人、野洲駅では74人、合計113人分の署名とカンパ1000円(500円2人)があった。野洲駅では下校中の高校生が次々と署名をしてくれた。私が東京から広島まで90日間歩いて行く、80歳だと言うと、驚きの顔から笑顔になり、手を振ってくれ、署名をしてくれる。渡邉さんはのぼり旗を背に客待ちのタクシー運転手さんに次々と署名をもらいに歩いている。さすが渡邉さんの立派な行動に感心する。
6月19日(火)野洲市、守山市、栗東市、草津市を行進。
今日は台風接近のため雨と風の中での行進となる。「雨にも負けず、風にも負けず、行進は進む」だ。
渡邉さんは高島市コース(基地・演習場のある市)への行進のためにいない。渡邉さんの声にはかなわないが、道行く人や車の運転手に、家々の人々に大声で平和行進を伝える。
栗東市役所での歓迎集会には職員のみなさんが15人も並んで出迎えてくれた。町役場では40人の出迎えがあったが、市役所では初めてだ。
栗東市内の街中を抜けて郊外へ。旧中山道、旧東海道の道幅が狭い道を行く。数カ所に旧家の標示が建てられてある。
行進終了後の「行進者を囲むつどい」はお店の2階であり、靴も脱がねばならない所。私は階段の上り下りには十分注意しなければとの思いと、ズボン、靴下はずぶ濡れのため申し訳ないが断って欠席。渡邉さんにお願いする。
今日で45日終了。行進日程の半分だ。あとの半分が明日から始まる。
6月20日(水)草津市、大津市を行進。
台風も通過したが、晴天とならず曇り空で行進日和。昨日に続いて道の狭い旧東海道を歩く。車が多く行き来する中、滋賀県では警察がつかずだったが無事に行進。昨年までは毎年行進に参加していた84歳の方が出迎えてくれた。今年は足を悪くして杖を持っていたが、行進に参加し、自宅前までゆっくり歩く。
瀬田大橋を渡ったところで、親友の島田耕さん(映画監督)、私の後輩で元映産労委員長が出迎えてくれた。東京で行われた私を励ます集いにも滋賀から来て参加し、あいさつもしてもらった。握手で再会を喜び合い、積もる話や京都、大阪で開かれた第10回原水爆禁止世界大会に一緒に参加した当時の思い出話に花を咲かせた(京都では夕立がありびしょ濡れになったこと、渡辺千恵子さんが抱かれて行進者に手を振っていたこと、扇町プールではベトナム支援のカンパがビア樽数個になったことなど)。昼食後、島田さんも行進に参加して一緒に歩く。滋賀県も明日で終わりだ。無事クリアした。
『歩く』DVDを1本普及。
6月21日(木)大津市行進後ラクト山科公園で引継ぎ集会、京都市行進。
大津市長、滋賀県知事はともに女性らしいメッセージだが、中身はちょっともの足りない感じ。ペナントはそれぞれ渡される。
滋賀県最後の行進は雨の中となる。旧東海道の道を歩き、国道1号線に出て京都山科に向かう。一段と激しい雨の中を峠を越える。人は一人も通らず逢うことはなかった。峠を降りたところで女性と外国人旅行者と出逢った。再び旧東海道を行く。ここは道の右側が滋賀県、左側は京都府とのこと。滋賀県もクリアした。
雨の中の引継ぎ集会所には映画人墓碑の会会員の片野さんと、静岡県行進の時、「ぜひ京都でお逢いしましょう」と約束した俊正さんとが出迎えてくれた。引継ぎ集会は、滋賀県側のあいさつは県内行進者が1人代表して行うのみだった。涙の別れも出来なかった。京都側は雨の中でも予定通りくまれたあいさつ等があり、私たちに折鶴を託すと手渡された後行進出発。いよいよ京都行進だ。
祇園石段下でピースパレード(生協関係)と合流し、大集団の行進となる。観光客でにぎわう四条河原町の目抜き通りを行進し、京都市役所に着く。まとめ集会では京都市から歓迎のあいさつがあった。
ピースパレード主催のピース交流会に出席。鳥取県の生協からも4人が参加していた。
私の原水爆禁止に関わる映画歴、作品紹介を語ったスピーチが12分だと渡邉さんから言われ、酔いが回り調子に乗りすぎたかなと反省。
『歩く』DVDを5本普及(合計67本となる)
6月22日(金)立命館大学国際平和ミュージアム見学と京都府庁、京都市役所へ要請行動。
今日は行進はなく、立命館大学国際平和ミュージアム見学。会館入口前には80万人突破と書かれた案内板が建っている。被爆者の花垣さんとともに、片山ひとみさんの案内説明で館内見学。山口勇子さんの著作本が並んでいる中で、『おこりじぞう』の本とともにビデオケース(翼プロ製作)が飾られてあった。嬉しかった。
6月23日(土)向日市、長岡京市、大山崎町、八幡市を行進
午前10時に向日市役所へ表敬訪問後、集合地には子ども連れの参加者が数人いる。それぞれの子どもに握手して回る。愛知県あま東部ニュースの記事「6年ぶりの再会」を思い出す。この子らが大きくなって、再び行進に参加してくれることを願う。
それぞれの市ごとに行進参加者が150人近く、隊列は長いが、京都府警の警官が車の整理を手際よくやってくれるので安心して行進ができた。
生協労組主催の歓迎会に出席。スピーチの時間を聞き話す。10分以内ですんだ。楽しい交流会だった。
今朝の「しんぶん赤旗」に「米兵犯罪国の責任認めず、東京高裁山崎さんの控訴棄却」の記事。山崎さんの奥さんが米兵に殴り殺された事件だ。こんな不当判決は許せない。山崎さんは最高裁までたたかうとのこと。頑張れ山崎さん。
私も山崎さんとの約束通りに「オオゴンの足」になるよう広島まで完歩するために頑張ります。
6月24日(日)久御山町、宇治市、城陽市、京田辺市を行進。
宇治市役所前には平和の鐘と広島、長崎、沖縄の石がそれぞれ並べられて置かれてある。沖縄の石が置かれてあるのはめずらしい。
9時の平和の鐘を聞いてから私は渡邊さんと別れて久御山町へ車で移動。
久御山町では集まった25人の参加者と行進。5分足らずで町は通過し、宇治市に入ると大久保自衛隊基地がある。基地内では網越しに訓練中の隊員が見える。新入隊員が日曜日にもかかわらず訓練をやらされているのか?
大久保で本隊、宇治市コースと合流し、城陽市へ向かう。早朝から豆をひいて作ったというアイスコーヒーの入った紙コップを渡される。200人近くの行進参加者に次々と手渡された。コーヒーの美味しかったこと。各地でこのような接待をしてくれることに感謝感激。
京田辺市では97歳になる入市被爆者の小野忠凞先生が道端で出迎えてメッセージ「国民平和大行進歓迎の詞」を手渡される。
山城大橋西詰の休憩所ではアイスクリーム、キューリ、ミニトマト等の接待、アイスクリームが最高に美味しかった。アイスコーヒーといい、アイスクリームといい、大変にありがたかった。本当にありがとうございました。
『歩く』DVDを1本普及(合計70本普及となる)
6月25日(月)南山城村、笠置町、和束町、宇治山田町、井手町に要請行動及び行進。
京都府ではただ一つの村、南山城村から始まる。車から降りるとお茶の香りがよいこと。さっそく役場を訪ねて手仲圓容村長に要請行動を行う。村長からはご自身の戦争体験、小学1年生の時、米軍機グラマンの機銃掃射を受けた時の怖かった話があり、原発問題では、本2冊が送られてきて読んだところ「安全神話」にだまされていたこと、核燃料廃棄物が何万年も残る恐ろしさが書かれていて、原発に対する考え方を変えていることなど話された。
笠置町の松本勇町長は要請後、府内通し行進者の俊正とし子さんの誘いに応えて行進に参加して歩いてくれた。
南山城村、笠置町、和束町では絵何と、署名もいただくが、宇治田原町、井手町では要請に応えてくれなかった。特に井手町では数年前から同じような反答とのこと。来年は改善するようにと要請する。
各地域で行われた行進では、茶畑のあるのどかな村、町の中を歩く。渡邉さんの大きな通る声がこだまする。
モリアオガエルのタマゴが木の枝にぶら下がっていた。中には100匹ぐらい入っていてオタマジャクシになると一つずつ木の下に落ちていくとのこと。
宇治田原町では平和の鐘があり、行進参加者がそれぞれ鳴らす。明日で京都も終わりだ。5日間がまたたく間に過ぎた。
『歩く』DVDを1本普及。
6月26日(火)精華町、木津川市行進後、奈良県への引継ぎ集会、奈良市行進。
今日で京都の最終日。精華町では8時45分からの出発集会に町長が来てあいさつしてくださる。愛知県内通し行進者の岩田朝子さんも再度参加して一緒に行進。
白バイが初めて参加して交通整理。京都府警の老警部補の方が走りながら車の整理、ありがたい。ご苦労さまでした。
奈良の般若寺での京都から奈良県への引継集会では、私はまたしても涙のあいさつとなってしまった。涙腺がこんなにもゆるいのが恥ずかしい。京都原水協の小杉事務局長は毎朝車で迎えて下さり、本当にありがとうございました。府内通し行進者の皆さんお世話になりました。皆さん広島でお会いしましょう。
和歌山コースを行進してきた竹田昭彦さんが合流し、通し行進者が3人となる。
奈良市内を行進。観光客や修学旅行の生徒が大勢行き来する中を進む。小学5年生4人が横断幕を持って行進に参加してくれた。ハイタッチで別れる。
奈良市役所では職員が30人並んで出迎えてくれる。ありがとうございます。奈良の一日目が終わる。
6月27日(水)奈良市、大和郡山市、斑鳩町を行進。
奈良市内から大和郡山市へ。予報では雨マークだったが雨は降らず、蒸し暑いなかを行進。民商の接待は大きなポリバケツに氷漬けにされた核種の飲み物やミニトマト等々が冷やされていた。その中に手を入れ、宝物を探すようにして自分の好きな物を撮りだす。氷水で手が冷たくなるが気持ちいい。各地での工夫を凝らした接待に感心する。
斑鳩町では宣伝カーのスピーカーから流れ出る声を聞き、玄関から出てきたおばあちゃんから諸栄と募金(300円)を手渡される。山崎昭子さん。年を聞くと83歳だという。私より年上、お礼を述べて握手して別れる。
法輪寺では斑鳩平和委員会の方がギターを弾いて出迎えてくれる。
法隆寺前で休憩。15分の時間だが、法隆寺を見学。日本最古の寺(国宝)だ。さすが山門両脇の仁王様はスゴイ。法起寺、法輪寺の三重塔、法隆寺の五重塔で三大重の塔。
斑鳩町役場では15人の職員が出迎えてくれる。集会の最後には、ときめき屋正平さんが自作の詩「ポカラ(ネパール)にて雪男幻想」を朗読された。
『歩く』DVDを1本普及。
6月28日(木)斑鳩町、平群町、三郷町、王寺町を行進。
古都奈良を思わせる家並や神社、寺が各町にあり、田園風景を見ながら行進する。
各町役場では職員が40人近く並んで出迎えてくれる。奈良では各地で大勢の職員が出迎えてくれるのにビックリする。誠にありがとうございます。
『歩く』DVDを3本普及(合計75本となる)。
6月29日(金)御所市、生駒市への要請行動と生駒市内の行進。
今日は午後1時30分から御所市へ要請行動を奈良県原水協の梅林事務局長、地元の方6人と通し行進者3人の計10人で行う。ペナント署名、協賛金をいただく。地元の女性が「今年も5000円ですが、1万円にしては」には、市長が苦笑いしながら「財政が厳しいのでね」の答えに参加者は大笑い。市長、ありがとうございます。
生駒市への要請行動は午後4時30分から約20人が参加して行う。副市長他3人が出席し応対。若い副市長だが、原爆被爆の平和行政を具体的にとりくんでいることをあいさつで述べる。他市に比べて良く行われていると思う。
市内の行進には約40人が参加し歩く。交差点の一角に立ち止まり、アコーディオンの伴奏で「青い空は」を全員で歌い、解散地点の生駒駅構内では3人の通し行進者のあいさつのあと、「原爆を許すまじ」「青い空は」「ふるさと」の3曲を合唱して終わる。改札口前の駅構内で行われるのにビックリ。参加者の方々が「これから暑くなるから体に気をつけて下さい」の言葉をかけながら、次々に握手を求めてくれる。ありがとうございました。
『歩く』DVDを2本普及。
6月30日(土)大阪柏原市役所前大和川河川敷にて大阪へ引継ぎ集会、柏原市、八尾市、東大阪市を行進。
奈良県最後の日。車で大阪柏原市役所へ引継ぎ集会に行く。奈良県もクリア―。あと1府3県だ。
柏原市役所前の大和川河川敷で行われた引継ぎ集会では、奈良県のあいさつは梅林事務局長のみで、大阪の出発集会となる。滋賀~京都の引継ぎ集会と同じで私たちの奈良へのお礼のあいさつなし(移動する車の中ではしたが)。
柏原市から行進を開始し、八尾市に入る。40年以上前に劇映画『みみずく説法』(今東光原作、久松静児、板谷紀之共同監督)森重久穪、乙羽信子、司葉子出演で、助監督時代にロケに来たことを思い出す。
行進途中から雨が降り出し、雨中行進となる。京都での引継ぎ集会以後8日ぶりの雨だ。東大阪市岩田公園まで行進。大阪での初日の行進が終わる。
6月26日に「しんぶん赤旗」学術・文化部の田中記者から依頼された原稿をFAXで送る。800字が1000字になる。
『歩く』DVDを4本普及(奈良県で10本普及となり、合計81本となる)。
7月1日(日)河内長野市、富田林市、羽曳野市、藤井寺市、松原市を行進。
激しい雨の中の行進となる。河内長野市、富田林市、羽曳野市、藤井寺市の各市長からはメッセージが代読ながらあったが、松原市長からはない。松原実行委員会責任者のあいさつで「こんな市長で申し訳ない。次の選挙では平和行進を支持する市長を」と述べられる。
行進終了。雨ガッパを着て行進したが、激しい雨で下着まで濡れている。それ程の激しさだった。
『歩く』DVDを1本普及(大阪原水協の岩田理事長が買ってくれる)。
7月2日(月)泉佐野市、貝塚市、岸和田市、忠岡町、和泉市を行進。
シュプレヒコールを大阪弁で「やめさせるで」「いらんで」「させへんで」等々。方言指導の大原穣子さんの指導をあおぐまでもなく。行進参加者と一緒に言う。
散歩する犬に向かって私が「ワンチャン、ヒロシマニイクヨ」「80サイダヨ」と呼びかけると犬が「ワン、ワン」と答えてくれた。後を歩く行進者から「山口さん、犬が応えているよ、頑張って」と言われる。
忠岡町では和田吉衛町長が行進団を出迎えてあいさつがある。集会終了後、役場前に平和の鐘があり、職員が差し出した木づちで打ち鳴らした。良い音が広場に響き渡った。次々に通し行進者が打ち鳴らす。
『歩く』DVD普及、大阪では進まず。
7月3日(火)和泉市、泉大津市、高石市、堺市を行進。
朝からドシャ降りの雨の中、和泉市役所前での出発集会を行い、行進出発。泉大津市に入った時、先頭を歩く総指揮者に警官が「大雨警報が出ているが続けるのか」と聞きに来る。岩田幸雄責任者と相談、注意しながら行進を続けると告げる。高石市に向かう中で激しい雨ではなくなるが、降り続いている。
坂口伸六高石市長が雨の中、行進団を出迎えてくれ、あいさつする。坂口市長は、昨年は行進に参加したが、今年は雨のためか参加しなかった。残念。
3時頃、雨はやむ。今日の最終地堺市内を行進。人形アニメーション『おかあちゃんごめんね』(早乙女勝元原作)昭和20年7月10日堺大空襲の時の実話を映画化。撮影に来たことを思い出す。堺市役所前での終結集会でのあいさつの中で、撮影時や普及に堺市教職員組合の皆さんにお世話になったことなどを話す。集会終了後、組合の方から毎年ビデオ上映され、傷が激しいとのこと。ビデオ、DVDの相談を受ける。
実行委員会と通し行進者の交流会がおこなわれ、それぞれ行進参加の想いが語られ、さすが大阪での運動発展に尽くされていることなどを知る。
岩田さんが『歩く』を観た感想で大絶賛してくれた。これで大阪での普及がすすむだろう。
明日で行進60日目。2ヶ月がすぎた。あと1ヶ月、30日だ。頑張るぞ。
『歩く』DVDを1本普及(東京から追加30本届く)。
7月4日(水)大阪市を行進。
住吉区役所前公園での出発集会で、被爆者の高木静子さんからのメッセージが紹介され読みあげられる。入院のため参加できないこと、自宅6階マンションテラスに「国民平和大行進」の横断幕も掲げられないこと、福島原発爆発、大飯の再稼働で、原爆放射能の被害者は忘れられたのでしょうか、被爆者は存在していても役に立たなかったのではないかと思われてなりませんとつづられている。政府、財界よ、この声を聞け。
市内を行進。大阪府庁前を通るが、通過。松井知事からのメッセージもない。『歩く』の37年前の黒田知事の歓迎のあいさつの場面を思い出す。こんな知事は早く変えなければ。市役所南、女神像前での集会では、橋下市長からのメッセージがやっと届き、代読されるが弱い拍手。
岩田さんが我々通し行進者3人にスーパーマン(渡邊)、テツジン(竹田)、カイブツ(山口)の3巨人と言われた。
その岩田さんが『歩く』 を絶賛したことが届いたのか、『歩く』DVDを4本普及(合計87本)となる。
7月5日(木)守口市、門真市、寝屋川市、枚方市を行進。
竹田さんは網の目行進(大東市、四条畷市、交野市コース)と分かれての行動。
守口市、門真市にまたがるパナソニックの工場街を行進。海外へ工場を移し、税金納入が減ったとのこと。敷地内に松下幸之助記念館もあった。
98歳のおばあちゃんがシルバー手押しで行進に参加。私より18歳も年上、頭が下がる思い。
今日の最終地、枚方市役所広場での集会は、市長のあいさつや日航争議団から支援の訴えがある。
『歩く』DVDを4本普及(合計91本)