【千葉】元兵士が描いた原爆水彩画展会場で原爆パネル展

旭市のJR飯岡駅併設「海上(うなかみ)ふれあい館」で8月1日から15日まで「原爆投下の瞬間を見た兵士が描いた3枚の絵展」が開かれ、期間中1000人を超える市民が来場、「3枚の水彩画」を鑑賞しました。来場者の中には『読売新聞』8月4日付京葉版の記事を見て訪れた柏市や成田市の方もいて、大きな反響を呼んだ企画展となりました。県原水協・平和委員会も協力して原爆パネルを貸し出し、会場に展示されました。

水彩画は、2006年に81歳で亡くなったKさんの息子さんが遺品を整理していた際に見つけたもので、息子さんら遺族の方も「いつ描いたのか知らなかった」といいます。絵に添えられた説明文には「原爆投下以後、50年の苦しみが始まった」というくだりがあることから、「1995年ごろに絵筆をとった」のではと推測されます。

Kさんは陸軍兵士として広島の舞台に配属され、1945年8月6日朝、広島市から約5kmのところを行軍中に原爆投下に遭遇しました。水彩画は、B29からパラシュートで投下されるのを兵士が見ている場面、火山の噴火のような強烈な爆発の場面、原爆被災地で大量の遺体を焼却処分している場面の3枚です。

Kさんの息子さんから相談を受けた元海上町教育長のSさんが、「8月は誰もが戦争の悲劇を思い出す付き、Kさんが猛烈な原爆雲を怒るように描いているメッセージを大勢の人たちに見てもらおう」と話をまとめ、「3枚の絵展」開催となりました。そこで県原水協にも要請があり、原爆パネル貸出となりました。

県原水協、平和委員会では、関係者ともよく相談しながら「3枚の絵」の取り扱いについては、Sさんらの協力も得て有効活用していきたいと話しています。

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