菅政和、牧山敬子、川尻瑠美の3氏は6月4日、長崎民医連現地企画として被爆者の山口仙二さんを訪ね、「長崎民医連現地企画 ヒバクシャ山口仙二さんをたずねて」という映像を作りました。
1945年8月9日、長崎に原爆が落とされた時、爆心地から1.4kmの屋外で防空壕を掘っていた山口仙二さんは、顔面から胸にかけて大やけどを負いました。
奇跡的に一命を取り留めた山口さんは、その後の人生を被爆者運動にささげました。
80歳になった山口さんは現在、雲仙市の施設で奥様と生活されています。
これまでの活動を評価され、ノーベル平和賞にもノミネートされ、昨年11月には長崎新聞文化賞を受けました。
日本の反核平和運動は国際的に認められている
映像の中で山口さんは「世界大会がひとつの大きな力になっている」と強調します。
世界大会があるというのは、国際的にも大きな力になっている。これをみんなが育ててね。私はこの力をね、世界にアピールしていくのが一番大事なことだと思います。がんばらんば…。
日本の反核平和運動というのは、国際的に認められてるんです。被爆国としてのね。そういう運動は、広がりますから。大事なことです。
東日本大震災の被災地に向けたメッセージ
長崎が、原爆にやられた時に、立ち上がってがんばったその経験をじゅうぶん生かして、あなたたちもがんばって下さい。ほんとにこれは難しい話ですけど、必ずね、よその国の国民と違って、私は日本の国民は、そういう意味では、大変努力家であると思います。立ち上がる!
被爆者の訴えを受け継ごう
映像の最後に、1982年ニューヨークの国連本部で開かれた第2回国連軍縮特別総会で渾身の力を振り絞って訴える山口さんの姿が映ります。
私たち被爆者は訴えます
命のある限り
私は訴え続けます
ノーモア ヒロシマ
ノーモア ナガサキ
ノーモア ウォー!
ノーモア ヒバクシャ!
Redigering och korrekturläsning av uppsatsen Uppsats.eu