ちひろカレンダーと私

世界大会議長団の坪井俊二さんから寄せられたいわさきちひろカレンダー普及に対する思いを紹介します。

 古希を超えた頃から、私は『いわさきちひろカレンダー』を年齢の数だけ普及(売上)しよう、と目標を立てることにした。しかしいざやってみると、11月後半から大晦日までの間、ことは一人気負ってみたところで中々そうは運ばない。喜寿の年は目標に近いところまで行ったがダメだった。

2007年1月、アメリカの元国務長官キッシンジャー、シュルツ両氏らの「核兵器のない世界という目標を設定しよう」の呼びかけに対して、クリントンからG・ブッシュ第1期までの米政権の国務長官、国防長官ら多数の著名な政治家がこぞって支持を表明し、また「核兵器はいらない」をマニフェストに明記したというオバマ候補が次期大統領に当選した現実は、小さな一個人の私にも大きな勇気を与えてくれた。被爆者を先頭に日本の核兵器廃絶の運動があったからこその歴史的新展開だが、世界はいま大きく変わりつつある。

2008年、傘寿となった私はあらためて80本の「ちひろカレンダー」をやり抜こう、と決意した。しかし買っていただくのは一本々々。地域の各「九条の会」「革新懇」の会合は勿論だが、その辺は既に新婦人などライバルが入っており、中学校、高校など大昔の友人の同窓会や飲み会、遊び7分の年金者組合のお喋りとちょい一杯の集い、近所のキリスト教会の皆さんとの交わり、子どもと孫たち、親戚の法事、果ては自分の関わるすべての忘年会…等々、至る所にリュックサックに丸筒のカレンダーを背負って出現しお願いした。

12月9日、久しぶりに会った大阪の友人に一本買ってもらった気炎で、彼は関西中心の平和愛好の人たちに広く紹介してくれた。2008年大晦日までには150本余売れた。

今年初めの大学仲間の新年の集まりで10本は買って欲しい、と期待している。そうすると年齢の数の倍の課題をクリアしたことになる。

最後に「ちひろカレンダー」の普及でまずまず自分の満足できる結果を得たことのモチベーションに一言ふれたい。それは悪魔との千載一遇、すなわち広島のキノコ雲を目撃したこと、地獄の広島を通過して故郷に復員したことにある。原爆で亡くなられた方たちへの供養と「二度と許すまじ原爆」は私の終生の祈りとなっているのだ。云えばキリのない話もまだまだあるが長話は禁物。ただもう一言云わせて貰えるなら、核軍備、核軍拡の途方も無い無駄遣いと生活、雇用、医療、介護、福祉、貧困格差を結び付けて勇気を持って訴えること、いまほとんど多くの人々は良く分かってくれる、ということです。可憐な子どもたちの未来が幸せであれ、カレンダーはそれを見る人々をいつも和ませ、励ましているのです。

タイトルとURLをコピーしました