福島の「てっちゃん」から、「マーシャル核被害者支援交流団」に参加した「ゆりっぺ」による報告会の様子が届いたので以下に転載します。
4月1日(土)、二本松市内にて開催された福島県原水協の総会の中で「マーシャル核被害者支援交流団」に参加した我らが『ゆりっぺ』からの報告がありました。
《ゆりっぺの手書き資料より》
『やっこえ!マーシャル!!』
~マーシャル核被害者支援交流団に参加して~
○主な日程・活動
2月26日 成田→グァム移動
27日 グァム→マーシャル移動
28日 アサンプトンスクールにて被爆写真展(マジュロ)
3月 1日 ビキニデー式典 ERUBビキニデー集会
2日 健康相談・被爆写真展・バザー
(ロンゲラップ環礁事務所にて)
3日 キリ島へ。被爆写真展・ビキニデー式典
4日 代表団交流会(アバッカ議員一家と交流会)
5日 アバッカ議員の夫の島へピクニック
6日 イバイ島へ。ネルソン・アンジャイン氏と再会
平和ミュージアム建設についての話し合い
7日 マーシャル→グァム移動
8日 グァム→成田→福島移動
「すみやかな核兵器の廃絶のために」署名も随時集められました。
○感じたマーシャルについて
飛行機の窓から眺めた環礁や海は、本当に美しかった。南の島らしく、人々はとても陽気でやさしい。しかし、いざ島に降り立ち島人の暮らしを知ると、私は違和感を感じてならなかった。南の小さな楽園はどこへ消えてしまったのか。コンクリのバラック小屋に住み、米と肉を食べ、アメリカンな服を着て、仕事もなくブラブラし、命に関わる核被害の実態も知らされず、自分が何者なのか、人間らしい幸せを彼らは知っているのか?
唯一、私がドキドキしたのは、彼らが大合唱する島の歌とヤシの木の繊維で作る手工芸品だった。
ビキニデーに於いて、アメリカ大使は「皆さんは冷戦の終結と世界の平和・民主主義に貢献した」と核実験について挨拶で述べます。それに対してマーシャル側は何も言いません。ロンゲラップ環礁の代表だけが抗議の言葉を口にします。被爆者たちは、そんな状況に怒っています。90年代、(原水爆禁止)世界大会に参加し、私たち日本の運動に学び、被害者組織エラブ(ERUB)が」つくられ、被害の実態を知らせ補償を求めて奮闘しています。
平和ミュージアムについても、彼らは決して諦めていません。国会議員のアバッカさんを中心に、「ミュージアムはマーシャルの教育にとっても、歴史を伝える上でも重要、必ず完成させる」と強い意志で頑張っています。
地図上でも点でしかない小さな国のマーシャルで起こった核実験とその被害、そこに生きる人々のたたかいが世界から忘れ去られないように、日本の、福島の私たちがこれからもマーシャルを見つめ、連帯を深め支援していくことが大切ではないでしょうか。
福島で、これまであたたかく見守り応援してくださった皆様へ、心から感謝申し上げます。 2006.3 ゆりっぺ
「ゆりっぺ」が福島人でホントに良かったと思いますわ。彼女がマーシャルで見たこと・聞いたこと・感じたことetc・・・は、今後の福島の平和運動の大きな力になることは間違いないね!これからも共に頑張っていぐべ!
転載ここまで。
マーシャル代表団の活動は、『原水協通信』4月号の10面にカラーで掲載してありますので、そちらも併せて読んでいただけると一層深まると思います。