2010年NPT再検討会議を2年後に控え、第2回準備委員会がスイス・ジュネーブで4月28日から5月9日まで開かれました。日本原水協は、土田弥生事務局次長をはじめ東京、富山原水協からなる4名の代表団を派遣し、日本被団協の田中煕巳事務局長とともに活動しました。参加者の感想を紹介します。
「被爆展示組写真」青年NGOの中へ
内田 文子(東京・国分寺原水協)
今回も、「ヒロシマ・ナガサキ被爆展示組写真」(17枚組)を、各国代表やNGO代表に贈るために、東京原水協と国分寺から26組持って行きました。
組写真は、「百聞は一見にしかず」で、見た人に、原爆被害の凄まじさと「人類は核兵器と共存できない」という、被爆者のメッセージを衝撃的に実感させる優れた資料です。これを各国の平和教育や国連の軍縮教育のプログラムに組み入れて、核兵器廃絶を人類共通の課題として実現させ、核兵器のない世界実現を!と要請することが私の重点課題。中国代表にも初めて渡しました。
NGO青年達との交流会も充実し、青年たちの運動の広がりと2010年への決意を受け止めてきました。
今回の代表団は4人、一緒に参加した日本被団協の田中熙巳さん以外は女性という編成で、私以外は英語もOKと心強い。ホテルは広めのツイン。朝食のバイキングも、味・量・中身充実。国連の休日には観光も、というハードな行程ながらゆったりと充実。
各国代表部への要請以外に、NGOの青年たちがセットした田中さんの被爆体験を聞く会がもたれました。私たちもその場で、田中さんの話に合わせて組写真を紙芝居のように提示したり、何セットかを同時に回覧したりしてサポート。会の後、「組写真」をどこが貰うか相談する姿に、青年たちの打てば響く感性とその行動力に、次世代への広がりを確信しました。2010年へ向けて日本原水協など、日本の核兵器廃絶を願う運動の果たす役割の大きさを痛感しました。
オルダーマストン平和行進代表団から託された「ハート形のピースメッセージ」を集めることも独自の課題でした。こちらはメキシコ大使のメッセージと青年達の14のメッセージを貰いました。
NPT再検討会議第2回準備委員会の傍聴と要請に参加して
菊地 公子(武蔵野原水協・新婦人武蔵野支部)
初めて国連へ行き、会議の傍聴と9カ国の代表部への要請に参加しました。一般討論というものが、各国が自国の立場を表明するだけだったので、各国の政策をどう調整していくのかというところも知りたいと思いました。
各国代表部への要請は、どの国も誠実な対応と感じましたが、日本代表部では、何か軽くあしらわれたように感じられたのは残念なことでした。今回の行動で、草の根の運動を広げ、国の、世界の核兵器廃絶の流れを強く大きくしていくことが大切と改めて思いました。
日本こそが、アジアでの軍事的緊張を作り出している
中本伸子(富山県原水協)
長崎での原水爆禁止世界大会には、07年に初めて参加した。その直前頃にTVでイランの核査察の様子を放映しているのを見て、とても腹だたしかった。核保有国が核を放棄すれば核拡散など起こらないだろうにと。NPT条約についても同様だと思う。だからこそ2000年の約束があり、2005年にはその約束について何らかの成果が得られるはずだったのに!
今年の3・1ビキニデーに参加して、今回のジュネーブ要請行動のことを知り、申し込んだ。各国大使との交渉の中で、米軍基地がいたるところにあり、アメリカの核の傘に甘んじている日本こそが、アジアでの軍事的緊張を作り出しているのだということを、改めて強く感じた。しかも日本の軍縮大使は、直前には安保担当であり、軍拡を担当していたことになるという。その彼が今は軍縮大使!ノルウェーの大使が、「高校生のころに、東西の緊張関係の中で、軍拡が進むのに胸を痛めていた。今この仕事について、なんとか核軍縮のために働きたい」と言われたのと、なんという違いだろう!