一昨年、人気コミック誌『漫画アクション』に被爆10年後の広島を舞台に被爆女性を描いた『夕凪の街』が掲載されました。そして昨年10月、『夕凪の街』と被爆二世を描いた『桜の国』(1、2)を合わせた単行本『夕凪の街 桜の国』が発行され、第8回文化庁メディア芸術祭漫画部門大賞を受賞するなど注目を集めました。作者で、広島出身の漫画家こうの史代さんにインタビューしました。(見出しは編集部)
被爆の問題を身近に感じてくれた
―『夕凪の街 桜の国』が注目を集めていますね。地元の広島をはじめ反響は?
こうの わりといい感じですね。広島の方が若干多いかなという気はするんですけど、そうではない方もけっこう多いんじゃないかと思います。広島以外のところに住んでいる方から「ぜんぜん知らなかった」などと反響がけっこうありました。広島の人間でも、身近に被爆者がいるということをほとんど知らずに過ごしているんですね。それは被爆者が言う機会がないからだし、言いたくないのもあるでしょうしね。
―『夕凪の街』の主人公は実在の方ですか?
こうの しいて挙げれば、単行本の参考資料にある、『原爆に生きて』という被爆体験集の「7年の記」が、主人公の家族のモデルといえばそうです。
「7年の記」は、ある母親が、夫と、疎開していた末っ子を除いた3人の子を、5年かけて原爆に奪われてゆくという手記です。それがすごい優しい悲しい文章で、涙なくしては読めません。
昔はよっぽどの勇気がないと原爆のことを書くことはできませんでした。アメリカの占領時代には言論統制もあったし、その後も周囲の認識不足などから被爆者差別がありましたからね。だから今の人があまり描かないのはちょっともったいないですよね。
実は、何でみんな描いてないんだろう、もしかしたら今も何か圧力がかかるのかなとか、最初はそう思っていたんですよ。また、軽々しく扱っちゃいけないし、知らない人が書くのはおこがましいという気はずっとしていました。
『黒い雨』『広島ノート』の空気と似たような作品
―「新しい視点」で原爆を描いたことが評価されていますね。
こうの 「新しい」とよく言われますが、『夕凪の街』にかんしてはあまりそうでもないかなと自分では思っています。やっぱり体験していない私は資料を調べないことには描けなかったので。両親も親戚も体験していないし、私もいま広島に住んでいるわけでもないので、結局図書館などで得られた資料をまとめたにすぎない、というところです。
頂いたご意見からは、私が『黒い雨』(井伏鱒二著)とか『ヒロシマ・ノート』(大江健三郎著)とかから感じたものに似た印象を受けることが多かったです。というか、ああいう空気を伝えようという気持ちで『夕凪の街』は描かせてもらったんです。漫画としては珍しいかったかもしれないけれど、文章としては先人がちゃんといるということですね。
―『桜の国』についてはどうですか?
こうの 今回、『桜の国』を描いたのは、自分ではちょっと頑張ったかなという気持ちでいます。というのは、漫画に限らず被爆二世を扱った作品というのがあんまりないんですよね。あっても古いものが多くて、遺伝で病気で死んでしまうとかそういう感じの伏線にしか使われないので、普通に元気な大部分の被爆二世は描いても普通すぎてあんまり意味がないということになって誰も描かないかもしれません。でも被爆二世に会ったことがない人も多いので、描いていたほうがいいかなと思いました。
アンドレ・ジッドのことば
―こうのさんの好きな言葉は、アンドレ・ジッド(ノーベル賞受賞者)の「私はいつも真の栄誉をかくし持つ人間を書きたいと思っている」とお聞きしていますが?
こうの 「一粒の麦もし死なずば」という自伝の中にこの言葉が入っていて、あぁいい言葉だなぁと。この人の話をいつも一生懸命読んでしまうのは、これがあるからなんだなと思ったんですよ。周りに認められるかどうかとは別のところに、誇りを持って生きたいという欲求はみんな持っていて、そういうところを描きたいなと思って。
昔つらいことがあったからといってグレて人を傷つけても平気、みたいな人は実際にいて、裁判になっても情状酌量になったりするんですけど、本当はその人だってそんな人生を望んでいないはずなんですよね。漫画だからこそ、そうならない強い人を見たいし、まだ簡単に描けるというのはあると思うんです。ジッドのは小説ですけど、漫画の世界ででも、ひどい目にあっても心に栄誉を隠し持ちつづけてまじめに生きている人に出会ったりすれば、こっちもそういう気持ちになれるかなと。そう思って頑張っています。
「核兵器はよくない」と上手に伝える地道な活動を
―ことしは被爆60年です。核兵器をなくそうと世界中で行動がはじまっています。
こうの 「核兵器はよくない」ということをまず、いろんな人に、普通の市民に上手に伝えることが必要ですよね。日本人でも知ってるつもりではいても、そうでもない人も結構いるんですよね。それに原爆っていうのは、やっぱり怖いというのがあるから。
原水協のみなさんが考えていらっしゃることは、たぶん日本ではみんなが考えていることのはずなので、だからこそ運動となると「わざわざどうして?」とみんな思ったりするかもしれません。それでもう自分とは違う人達として片付けてしまいがちです。人の気持ちを変えるということは本当に難しいことです。だから例えばアメリカという国の方針を変えさせるというのも、とっても難しいことですよね。いますぐ変えてやろうと焦らず、まずはこちらから気持ちを変えて、相手の事情をよく知るよう努力して、効果的に伝える方法を考えるべきではないかと思います。
まず、アメリカの中で核兵器というものがどんなものか、知られていないんじゃないかと思うんですね。だからしょうがないんじゃないかというふうになる。核兵器を支持している人たち一人一人はちゃんと事情を知れば、ちょっと良くないんじゃないかなというのはわかると思うんですよ。アメリカだけじゃなくて他のどの国もですけど。だからそういうことを知らせるために、もっと地味な活動が必要なのかもしれないですね。
漫画も含めて芸術というのはそのためにあるんじゃないかなと私は今回の作品を描いて一番思いました。それまで考えたこともなかったですけどね。私も原爆のことは勇気がなくて本当に知らずにきたけど、知ればみんな興味を持ってくれるし、いろいろ考えてくれることもわかりました。それこそ、もっといろんな人がいい感じに形にしてくれたらいいですね。
長い目で見れば可能性はありますよね。若者にそういう知識を広げていけば、そういう人たちが政治家になったときには、きっとそういう世の中になるはずです。
―どうもありがとうございました。
プロフィール
1968年9月、広島市生まれ。広島大学中退後、放送大学を卒業し、1995年「街角花だより」でデビューおもな著作は『ぴっぴら張』
(全2巻)。
趣味は図書館通いと、カナリヤの<たまのを>を腕にとめて夕焼けを見せてやること。