日本原水協の安井正和事務局長は6月12日、石川県を訪れ、同県原水協と被災地に在住する被爆者に能登半島地震被災へのお見舞金を届けました。
復旧にはほど遠い現状を目のあたりに
6月12日(水)午前10時46分に金沢駅に到着。改札口で石川県原水協代表理事の内藤晴一郎さんと事務局次長の佐々木均さんの出迎えを受け、佐々木さんの車で最初の訪問先であるかほく市在住の広島被爆者、筒井ユキエさん宅に向かいました。
金沢駅を出て約40分後、筒井ユキエさん宅に到着。98歳になるユキエさんは施設に入っているとのことで、息子さんの健也さんが出迎えてくれました。長年にわたって石川県の被爆者の会の事務局長を務めてきた西本多美子さんから事前に電話での連絡もされており、お見舞金を快く受け取ってくれました。
お見舞金は、西本さんが日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)から受け取った被災地域の被爆者への見舞金と日本原水協からの見舞金です。ユキエさんは遠距離被爆で、被爆者の会の手伝いもしていました。
ユキエさんは地震のあった元旦は自宅に戻っていたそうですが、大きな揺れはあったものの幸い被害はありませんでした。健也さんは「見舞金ありがとうございます。自宅は大きな被害はありませんでしたが、周りには液状化したところもあり今後が心配です」と不安を語りました。かほく市は能登半島地震の震央(珠洲市)から直線距離で90km離れています。
この後、復旧にはほど遠い地震の被害を目にすることになりました。
筒井さん宅を後にして、次の訪問先である宝達志水町在住の広島被爆者、岡崎由紀子さん宅に向かいました。宝達志水町はかほく市に隣接し、かほく市と同じく日本海に面しています。行く途中には、「危険」の張り紙がされた民家や壊れた屋根などをブルーシートで覆った家屋をたくさん目にしました。
さらに、能登町の手前にある穴水町では、4月に全線復旧再開した「のと鉄道」の穴水駅周辺の民家や神社の鳥居が崩壊したままの状態にあり、穴水町から能登町への道路も、ところどころに山崩れの後も残り、現在も復旧工事が続いています。能登町から金沢方面へは、海沿いのう回路である国道249号を使わざるをえない状況で、実際に往復で約5時間以上を要しました。
孫がかぶさって守ってくれた
岡崎由紀子さん(84歳)を訪ねると、笑顔で迎えてくれました。お見舞金はとても感謝されました。
由紀子さんは4歳のときに比治山の自宅で被爆。由紀子さんは倒壊した自宅の縁の下から発見されましたが左足を負傷しました。お母さんも五寸釘が頭に刺さるなど負傷をしたそうです。17歳の時に広島から上京。お姉さんが宝達志水町出身の男性と結婚し、たびたび訪ねた縁もあって結婚相手の弟さんと28歳で結ばれました。それ以来、半世紀以上にわたって近所同士で暮らしてきたそうです。
震災のあった元旦は、志賀町に住む娘家族をはじめ4人の孫、8人のひ孫と正月を迎えていました。幸い自宅が新築だったのでガラスにヒビが入った程度だったそうです。由紀子さんは「地震が起きたとき、孫が私にかぶさって守ってくれた。孫には本当に感謝です」と話してくれました。
実は、由紀子さんは妊娠したときに、周囲から「産んではだめ」と言われ、とても悩んだそうです。しかし、どうしても産むと決意して授かったのが一人娘でした。山登りが趣味の由紀子さんは、健康な体で過ごしており、被爆者検診で西本さんに会うのをとても楽しみにしていました。
由紀子さんには、お見舞金と一緒に持参した「いわさきちひろカレンダー」もプレゼント。「毎年西本さんからもらっているけど元旦の地震で今年はありませんでした。ありがとうございます」と喜んで受け取ってくれました。
40㎝の津波が自宅に
訪問の最後は、能登町在住の広島被爆者の湯元洋子(ゆもと ひろこ)さん80歳です。「のと里山海道」(能越道)を通って能登町に入るまでに2時間半を要しました。湯元さんの自宅は、港から約100メートルの距離にあり、地震の際には約40㎝の津波が寄せて、2階に避難。本棚などが倒れて本が散乱したりしましたが、洋子さんも家族も無事でした。洋子さんもお見舞金にとても感謝してくれました。
洋子さんは0歳で近距離被爆し、2人の姉は亡くなりました。洋子さんは幸い父親に抱かれていたため、父親が盾となって助かったそうです。その後、20代になってから従妹をたよって大阪に出て働くようになり、能登町から出稼ぎに来ていたおばさんに「能登はいいところだからぜひ来てほしい」と強く口説かれて能登に移りました。しばらくして知人の紹介で夫の捨吉さんと結婚。「言葉もわかからずに本当に苦労しました」と語ってくれました。
岡崎由紀子さんも湯元洋子さんも、西本多美子さんが城北病院の被爆者検診の際に声をかけて被爆者の会の会員になりました。2人とも口々に「西本さんには本当に世話になりました」「やさしくしてもらいました」と感謝の言葉を述べていました。
地域の原水協の再建へ
石川県の被爆者の会は、会長が亡くなり会員も高齢化するなかで2022年3月に閉会しました。今回訪問した被爆者のみなさんが、被爆者として生きていくためには、日常的な相談や今回のような訪問活動がますます重要です。
輪島をはじめ地域の原水協の再建が強く求められています。今回、日本原水協として石川県原水協に全国から寄せられた募金80万円を手渡しました。その一部は今回お見舞金として被爆者に届けました。残りは地域原水協の再建に役立ててもらうように佐々木事務局次長にお願いしました。
8月の世界大会には、石川県代表団の元気な姿を見せてくれることを願っています。