日本の草の根運動の存在感アピール―IPB記念行事で高草木事務局長が発言

国際平和ビューロー(IPB)のノーベル平和賞受賞100周年記念行事「平和の気候」セミナーが、ノーベルゆかりの地、ノルウェーの首都オスロで9月23日から開催されました。IPBの加盟団体である日本原水協から高草木博事務局長、土田弥生事務局次長、IPBの副会長を務める日本被団協の田中熙巳事務局長が出席しました。

▲オープニングセレモニーであいさつするトマス・マグヌスンIPB会長

 

 23日夕刻のオープニングセレモニーに続き、24日は終日、「開発のための軍縮」「核軍縮」「ノルウェーは平和国家?」など、多様なテーマでパネル討論が行われました。

▲「核軍縮」パネル討論の様子

  

 「核軍縮」のパネルは、まず、新日本婦人の会作成のニューヨーク行動のDVD上映で始まりました。マンハッタンの行進や署名提出などの日本の草の根の生き生きした運動に、参加者はみな圧倒されていました。パネルの司会者も、「ノルウェーから20人しか参加できなかったが、1600人の参加、700万の署名の提出など、本当に日本の運動はすばらしかった」と賞賛のコメントをしていました。

▲発言する高草木事務局長(中央)

 

  田中氏は、自らの被爆体験に基づき、原爆の悲惨さと非人道性を告発し、「核兵器が使用されたとき、人間に何をもたらすのかを体験し目撃し、被爆に苦しんだ被爆者の声に耳を傾けて下さい」と核保有国と核の抑止に頼る同盟国に強いメッセージを発信しました。

  高草木氏は、IPBが冷戦の時代から「核兵器の違法性」を提唱するなどその先駆性を評価し、2010年のNPT(核不拡散条約)再検討会議の前進と国際政治の変化のうえに、次のステップとして、国際政治の場で「核兵器禁止」の合意=コンセンサスをつくることを呼びかけました。(全文別掲)

 討論では、核抑止力論の克服の課題において、核兵器を維持しようとする勢力が宣伝してきた「核兵器があるから守られている」という考えが、国民にもある程度定着している問題が指摘され、「イギリスのような国は、誰から核兵器で国を守るのか」との反問も出されました。この点で、高草木氏は、北朝鮮の脅威を利用した日本政府の核抑止力論依存を批判し、「北朝鮮問題を憲法9条、非核三原則にもとづいて外交で解決できない日本政府こそ脅威」であると発言しました。

高草木博日本原水協事務局長の発言は次の通りです。

草の根の行動は核兵器のない世界への扉を開ける

議長ならびに友人のみなさん

 最初に私は、IPBのノーベル平和賞受賞100年という歴史的な会議で発言の機会をいただいたことに心から感謝し、この機会をお借りして、ご列席の歴代の会長をはじめIPBの組織と運動を支えてこられたみなさんに、日本の運動を代表して心からの敬意と祝意を表明します。また、この行事を準備されたノルウェーの平和運動および、後援されている各方面のみなさんに感謝を表明します。

 本セッションのテーマである「核軍縮」は、IPBの活動にとって核心をなす分野です。1977年、被爆32年の広島と長崎で、なお多くの市民が原爆の影響に苦しんでいた当時、「被爆の実相と後遺」を国際シンポジウムの形で取り上げ、日本の運動とともに核兵器に対する人類生存のためのたたかいを呼びかけたのはIPBを中心とした世界のNGOでした。当時のショーン・マックブライド会長がそれ以来「核兵器の違法性」を主唱してきたことは、核兵器条約の実現をめざす今日の世界的な運動の先駆をなすものでした。

わずかな核保有国の決断で核兵器禁止はすぐにでも可能

 今年5月、ニューヨークで開催されたNPT再検討会議は、核兵器のない世界への重要な前進を記すものとなりました。

 会議の結論である最終文書は、「核兵器のない世界の平和と安全の達成」を第一の目的として確認しました。会議は、その上に核兵器のない世界の枠組みをつくる特別の努力をすべての国に求め、核兵器条約の交渉の必要性に留意しました。2012年の中東非核地帯化会議の開催、次回再検討会議にむけた核軍縮・廃絶のための一連の個別的目標でも一致がありました。このことは、核兵器独占の枠組みから核兵器廃絶へ、NPTをめぐるこの40年の世界世論と国際政治の変化をはっきりと示しています。

 同時に、会議は、「核兵器のない世界」を目標としながら、それを実現する期限も、手段や道筋についても合意に達するにいたりませんでした。なぜでしょうか?それはオバマ大統領の、「核兵器が存在する限り、強力で効果的な核抑止力を保持する」という言明にも端的に示されるように、なお、核大国やその同盟国が核兵器の役割を肯定しているからです。

 しかし、「核兵器のない世界」と「核抑止力」とは両立しません。「核兵器のない世界」は何よりも、核を持つ国や、「核の傘」に依存する国がそこからの脱却を決断しない限り実現しません。

 私は、2010年NPT再検討会議を経た次のステップとして、第一に、国際政治の場で「核兵器禁止」の合意=コンセンサスをつくることを呼びかけたいです。日本の運動は、1955年、第1回世界大会を開催して以来、一貫して「核兵器の禁止」を呼びかけてきました。NPT加盟190カ国のうち185の国々が第2条で、みずからに核兵器の開発も保有も禁じており、加えて、インドやパキスタン、さらには中国や北朝鮮も国連総会では、マレーシア案に賛成票を投じています。わずかな核保有国が決断すれば、核兵器の禁止は今日にでも可能なのです。

「核兵器のない世界」へ歴史動かす主人公は草の根運動

 第2に、21世紀の最初の10年は、あらためて「核兵器のない平和で公正な世界」へ、歴史を動かす主人公が、世界の人々が連帯した草の根の運動であることを示しました。今回の再検討会議で示された、「核兵器のない世界」への前進も、もし、イラク反戦の世界諸国民の動員とそれに続く、とりわけイラク攻撃の主力となった国々での政治的変化がなかったなら、実現できませんでした。

 IPBは、今度のニューヨーク行動の準備プロセスでも昨年11月、ワシントンで年次評議会を開催し、国際的準備の中心的役割の一部を担いました。世界の運動とアメリカの平和運動がそのために合流することを可能にしました。

 それに応え、私達も世界唯一の被爆国の運動として責任を果たすため、100人の被爆者を含め1800人の代表が日本からニューヨークへ向かいました。原水協からは1600人の人々が、「核兵器禁止、廃絶条約の交渉をすみやかに開始せよ」と求める署名691万筆をたずさえ、その先頭に立ちました。そのすべての人が、「核兵器のない世界」のためにみずからの時間と金と労力を使い、みずからの意思で行動した人たちでした。それは、幾百万の人々が街頭に出て、核戦争の準備に反対した1980年代の高揚の伝統を引く継ぐものです。私は、核兵器の廃絶と平和のために良心と知恵と草の根の運動を結集するIPBが、その役割を発展させるよう呼びかけたいです。

広島・長崎の被爆の実相と被爆者のメッセージの普及を

 第3に、私もまた、私の同僚の田中熙巳さんとともに、広島と長崎の被爆の実相と被爆者のメッセージの普及を呼びかけます。今年8月6日、原水爆禁止2010年世界大会の舞台で、カナダ在住の被爆者セツコ・サーローさんが、被爆者の証言を行いました。

 彼女は、多くの身内を原爆で失いました。彼女の叔父と叔母は、黒く溶けるように死んでいったといいます。皮膚も内臓も焼けただれた身体は、遺伝子が放射線で破壊されているため再生しません。文字通り、無辜の市民が黒く、溶けるように死んでいきました。核抑止の信奉者たちに聞きたいです。「抑止」のためなら、こういう死は許されるのでしょうか?10人も、あるいは100人も、1000人も、いや10万人も20万人も、こういう死に方を強いることが許されるのでしょうか?

 1995年12月、このオスロで、IPBの推薦によりノーベル平和賞を受賞したロートブラット博士が、核兵器の廃絶を呼びかける記念碑的な演説を行いました。そのタイトルは「リメンバー、ヒューマニティー」でした。その目標に、次回NPT再検討会議にむかってみんなで挑戦しましょう。

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