【東京】原爆パネル展「ケイショウ −あの日と今日を繋いで」実行委員 亀井杏寿さんインタビュー

学生による原爆パネル展・有志で結成された実行委員会が2月10、11両日、原宿のギャラリーで原爆パネル展「ケイショウ −あの日と今日を繋いで」を開催しました。責任者の亀井杏寿さん(津田塾大学2年)にお話を伺いました。


お洒落やスタイルを大切に

――  なぜギャラリーで展示しようと思ったんですか?

亀井 最初は大学の教室とかを借りて、安くやろうかなと思っていたんですけど、やっぱり若者向けっていう風に考えたときにお洒落とかスタイルとか大事と思って、お洒落な貸しスペースを探していて。

広島・長崎で学んだことを伝えたい

――  なるほど。じゃあ、きっかけは何ですか?

亀井 東京学生ツアーで原水爆禁止2018年世界大会-広島の報告会をした時に、被爆の実相などを自分自身が学びきれていないし、一昨年は長崎に行ったんですけど、その2年間で自分が長崎や広島で学んだことを伝えなきゃという思いを持ったのに、どれくらい伝えられたのかなって振り返ってみると、全然できていないなぁと思って、一応ゼミとかで呼びかけて「ヒバクシャ国際署名」を集めたりしたんですけど、それぐらいしかできていなくて。

――  何人分ぐらい集めたんですか?

亀井 5人分ぐらいです。

――  署名用紙1枚は埋めたというのは、すごいです。

亀井 今回何かできたらいいな、みんなでやればできるかなって思って。

――  じゃあ東京学生ツアーに参加したメンバー有志でという感じですか。

亀井 はい。

同世代の若者の取り組みを伝えたい

――  なぜ「原爆の絵」だったんですか?

亀井 私は見られなかったのですが、メンバーの何人かが高校生の絵が飾られていたと報告会で発言していて、絵でも伝わってくるものがあって衝撃だったという話を聞いて、絵もいいなぁと思いました。今回の展示会のタイトルは「ケイショウ」なんですけど、二つの意味があって、一つが今の核兵器をめぐる実情に「警鐘」を鳴らすという意味で、もう一つが被爆者の方の高齢化が進む中で、自分たちの形でどう伝えていけるかということも大事だと思って、近い世代の高校生が描いた絵を使って若者が伝えているのを出せたらいいかなぁということで「継承」です。

展示する絵はみんなで話し合って選んだ

――  絵の枚数は結構ありますが、展示する絵はどういう判断で選んだんですか?

亀井 準備会を3回ぐらい開き、みんなで一通り見て、これを見せたいという絵をどんどん選んでいきました。

――  それぞれが出し合った結果ということですか?

亀井 これは展示したいねという絵がわりとみんな重なるんですよ。でも、最後に飾ってある「再会」もなんですけど、悲惨な現状ばかりじゃなくて、戦争が終わった後にふと感じる平和の良さ、「安心さ」みたいな心情も伝えられるんじゃないかとか、「エッ!お父さん」という黒焦げになってしまったお父さんの絵とかは、やっぱり親族が出てくると想像しやすいから、自分のお父さんがそうなったらとか自分の姉がそうなったらということでより感じてくれるんじゃないかなとか、結構そういう意味を込めて選んだのかなぁと思います。

――  悲惨なシーンから入っていって最後は「再会」という一筋の希望みたいなところで終わっている風な感じなんですかねぇ。

亀井 並び順もみんなですごく相談して、こっちにしたほうがいいとか、けっこう並べ替えたりもして。色合いとか、群衆か一人かとかを考えながら並び順を考えましたね。一応時系列的にも並べてもいます。

――  その「再会」という絵がチラシに使われているじゃないですか、それもすごく意味があるわけですよね?

亀井 そうですね。1枚だけしか使えないから、これだ!みたいな。

――  いやー、すごく良い絵だなと思います。

亀井 私も好きな絵ですね。

核兵器で作ろうとしているような世界の「平和」って何だろう

――  杏寿さんの中で一番印象深い絵を1枚選ぶとしたら、どれですか?

亀井 「再会」が一番いいなと思ったりもするんですけど、最初の方の「朝一緒に遊んでいた友達」という絵ですね。当たり前だけど原爆が落ちることを、当時の人はわからなかったわけじゃないですか、その日常が一瞬にして変わったということがすごく伝わってくるので想像もしやすいし、原爆って何だろうと思うし、核兵器で平和を作ろうとしているような世界の「平和」って何だろうみたいなことも思います。

 私は昨年の原水爆禁止世界大会で「一瞬にして何万人、何十万人という人々を殺せる兵器で作られた平和が本当に平和と言えるのでしょうか?」と海外代表が言っていたのが凄く印象に残っていて、「核抑止力」って確かによく言うけど、殺す部分が見えていないじゃないですか。守るということばかり強調されていますもんね。誰も死なないような感じをすごく受けていて。でもその人の発言で、殺すことを武器に平和を守っているんだよなぁと思ったときに、殺すという犠牲があるのを再認識して、そういう考え方は終わってるなと思いました。

初めて広島・長崎に行って受けた衝撃

――  確かに一瞬にして人生を変えてしまうという原爆の恐ろしさがよくわかる絵です。この「朝一緒に遊んでいた友達」が、もし自分の友達だったらという風に置き換えやすいですもんね。ちなみに杏寿さんのご出身はどちらですか?

亀井 東京です。

――  じゃああんまり広島とか長崎とかとは縁がないんですか。

亀井 長崎も広島も原水爆禁止世界大会で初めて行きました。

――  なるほど。じゃあ、1年生の時に長崎、2年生の時に広島にそれぞれ初めて行ってどうでした?

亀井 衝撃的でしたね。本当に私は漠然と「平和の方がいい」と思っているようなタイプだったので、特に核兵器のことや、原爆が落とされたことについて学んだことがなかったんですよ。証言とかも聞いたことがなくて。

――  小学校、中学校、高校通してですか?

亀井 はい。本当に原爆が落とされた日も曖昧でした。

――  原爆の投下日や投下時間をはっきり言える若い人はそんなに多くないというのはよく言われていますが、そうだっただけにガツンと来たということもあるんじゃないですか?

亀井 そうですね。知らないで18年間生きてきたのが何か驚きで。長崎の場合は、戦後もずっと被爆者健康手帳の差別みたいのが続いているじゃないですか、そういうことも初めて知りました。

核兵器禁止条約の成立に市民社会が果たした役割は希望

――  杏寿さんは大学では何学部なんですか?

亀井 総合政策学部です。私は来年からゼミに入るんですけど、国際社会学を専攻しようかなって。社会学って基本は国が単位でいろんな物事が起こるんですけど、核兵器禁止条約の成立過程で世界を動かすのが国家だけじゃなくて、国を超えた市民の運動、市民社会の影響みたいなことを知りたいなと思って。尊敬する先生が「人々の運動で社会は動くんだよ」って話してくれて、国境を超えた運動ってすごいなと思いました。

――  良い先生ですね。

亀井 そうですね、昨年の原水爆禁止世界大会はすごく楽しくて、広島で行われたRing! Link! Zeroは、これこそが外交の場というか、みんなで平和、共存に向けて努力して話し合っている、それでそういう動きと気持ちを持っている人がいろんな国にいて、今ここに集まって一緒に頑張ろうと言っているのがすごいなぁと思って。そこでもすごく影響を受けてそういうのが学びたいなぁと思いました。これからさらに深めたいと思っているのは日韓の歴史問題ではあるんですけど、やっぱり核兵器禁止条約の採択を見て市民が動かせることがあるはずだと思って、その歴史とか日韓の問題も国家間の問題じゃなく、市民レベルで解決ができたらなぁという気持ちでどういったアプローチがあるのか考えたいなぁと思っています。

――  ありがとうございました。

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