思わぬ災害によって苦難の生活を余儀なくされ、元の生活に一日も早く戻ろうと頑張っておられる被災者に日本原水協が「ちひろカレンダー」を贈呈しているキャンペーンで、私たち広島県・呉原水協では、12月18日、呉市会議員に同行してもらい、呉市で最も死者が多かった天応地区の被災地を訪問しました。
7月6日の西日本豪雨災害では、岡山・広島県で大きな被害をもたらしましたが、呉市は広島県での死者・行方不明114名のうち25名が亡くなりました。家屋の被害も全壊115戸など800戸以上に及んでいます。呉から広島への交通網も、土砂崩れなどでJR、自動車道、国道が不通となり、しばらくの間「陸の孤島」になっていました。5ヶ月以上経過した今、交通事情は元に戻っています。
今回訪問した天応地区は、呉市では西部に位置し、広島市に最も近い地域です。未曾有の災害となった日、地域の中心部を流れる大屋川の氾濫によって家屋が埋まったり、浸水して市内死者の約半数の12名が亡くなっています。災害後、40戸が建設された仮設住宅と、浸水被害が大きかった天応宮町の被災宅を訪ね「東日本大震災から、被災した人が少しでも元気になってほしいと、ちひろカレンダーを届けている。一日も早く元の生活を取り戻すように私たちも応援しています」と励まし、「ヒバクシャ国際署名」のお願いもしました。カレンダーを受け取った被災者からは「立派なカレンダーで嬉しい、喜んで使わせてもらいます」と感謝の言葉をもらいました。被災者には、広島県災対連の協力で「庄原米」1キロとトイレットペーパー2巻も一緒に渡しました。同行した呉市議は、災害直後から毎日欠かさず被災地を訪問して、要望の聞き取り・対話活動を続けていて「カレンダー贈呈は本当に良かったですね」と感激していました。災害に強い街づくり、「核兵器のない世界」を改めて決意した一日でした。
(呉原水協・森 芳郎)