広島の原爆を生き抜いた植物”ハマユウ”をご存知ですか?

1945年8月6日、午前8時15分。日本の軍都であった広島市に住む35万人の頭上で、世界ではじめての原子力爆弾が炸裂し、その年の12月末までに約14万人が殺されたとされています。市街地の上空580mで破裂した原爆は、中心の温度が100万℃という火の玉となり、あたり一面に襲いかかりました。

1つめは熱線です。爆心の地上では3000℃から4000℃にもなり、600m離れた瓦は表面が泡状となり、2kmで衣服に火が付き、3kmでも樹木や電柱などが黒焦げになりました。

2つめが爆風です。爆発の瞬間に数十万気圧となり、まわりの空気が膨張して衝撃波となって四方に走り、その後を強烈な爆風が襲いました。この爆風による急激な気圧の変化で、目から眼球が、口からは舌が、そして肛門から内臓の飛び出た人も少なくありません。

3つめは放射能です。生物の奥深くまで入った放射能は細胞を破壊し、爆心から1km以内にいた人に致命的な影響を与え、また残留放射能は救援にかけつけた人たちの命と健康を奪いました。

こうした影響から被爆した広島では、「75年間は草木も生えぬ」とさえ言われたこともありました。

広島の原爆を生き抜いた植物“被爆ハマユウ”は現在、公的な場所としては、以下の場所に植わっています。
① 広島平和記念公園:広島平和記念資料館東館のすぐ前
② 東京都上野公園内の東照宮境内:広島と長崎の原爆の火を灯すモニュメントの横
③ 神奈川県の大船観音境内:被爆の慰霊碑の近く
④ 東京都立第五福竜丸展示館:水爆の恐ろしさを刻み込んだ第五福竜丸展示館の横
⑤ 東京大空襲・戦災資料センター:空襲で焼け野原となった地に建つセンターの一角
⑥ 沖縄県伊江島の「命宝(ぬちどうたから)の家」:反戦平和の資料館の一角

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