【平和行進】北海道→東京(内陸)コース通し行進者 五十嵐成臣日誌2(5/12-5/17)

5/12

士幌町を訪問。町長出張中のため、総務課長と面会。「平和のために長いこと活動されていることに頭が下がります」と。この街は、明治時代に屯田兵が入植した極寒で最北の地で、他の屯田兵の部隊は、より条件のいい地に移って行ったが、この部隊は日露戦争に出兵したため移る機会を失ったとのこと。「冬は天井のすき間から雪が舞い込み、布団の上に雪が積もった」とか。

夕方に旭川に入り、引き継ぎの共産党事務所へ。


5/13

花咲スポーツ公園(陸上自衛隊旭川駐屯地の前)より平和行進が出発。バス停で待っている人や車の中から手を振る人も。国際青年リレー行進タスキは医労連の青年とそのお子さんが掛けてくれる。参加団体18、参加者約100人。

終了後、旭川駅前の買い物通りで署名行動。約40分間で28人分の「ヒバクシャ国際署名」が寄せられた。一本駅寄りの通りでは、新婦人などの「共同行動委」の人たちが「共謀罪」法案反対の署名を集めていた。


5/14

朝、深川市に行き、市役所前から行進。参加者約20人。「商店の人も店の前に出てきて手を振る人が増えた」そうだが、核兵器禁止条約ができることが関係しているのかな。

深川の周辺は、米の産地。田んぼには水が張られ、早いところは苗を植えられたところも少しあった。水が張られると、1〜2度気温が下がるとか。菜の花も産地。ここは油を取るための花。手入れが大変とか。あと1〜2で満開。

午後は共産党女性講演会のつどいに参加。講師は大阪の清水ただし衆議院議員。なにわ弁の大変面白い話に大笑い。

深川市内の平和行進で手を振る五十嵐さん(左から2人目=5月14日)


5/15

深川市役所を訪問、副市長が対応。「核兵器をなくすためのたゆみない運動が必要」とペナントに署名。市議会議長代理もペナントに署名。深川市内の7割の寺院が核兵器廃絶に理解し募金に応じているのは、「先輩たちの努力によるもの。これは守り続けなくては」と。

午後、妹背牛町へ。「モセウシ」とはアイヌ語のイラクサの茂ったところの意。「町長出張のため副町長が対応。この町は米の生産が中心。田んぼも大きい農家では5〜6町歩。作付けは大型の機械で大変なようだ!!菜の花の生産もしており、菜種油の生産も盛ん、菜の花は咲き始めていた。


5/16

午前中、滝川市役所で「ヒバクシャ国際署名」をおこなう。人通りの少ない場所で8人分あまり。募金は通りがかりと思われる人が1000円を。100円だけ募金の人も。

午後は市役所を訪問。市長、議長、教育長の3人とも不在。「ヒバクシャ国際署名」のみ後日送ることを約束。

夕方、砂川市内を行進(自動車パレード)。前住職で九条の会会長の西川壮一さん(88)の寺、西願寺までパレードの後、交流会。


5/17

午前中、砂川市役所を訪問後、砂川商工会議所を訪問し、専務理事に面会。ペナントと「ヒバクシャ国際署名」をお願いし、快諾を得た。

午後、奈井江町で町長と面会。「核兵器廃絶の運動は継続が大切。そしてぶれずに続けてきたこと」と激励を受ける。8年前に奈井江商業高校に訪問した時、来年閉校すると聞いていたが、「新しい制服になります」とのポスターが貼ってあった。運動で閉校はなくなったとのこと。町内を行進後、美唄市へ。

美唄市内を行進した後、交流会に参加。新日本婦人の会の活動が話され、市内のほとんどの保育園を回り、「ヒバクシャ国際署名」を頼み(消防署にも)これから回収にまわらなくてはと・・・。

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