原水爆禁止2016年世界大会・開会総会(8月4日・広島)で「夾竹桃イニシアチブ」についてスピーチしたアメリカのNGO・中東大学プロジェクト(中東地域の先生たちと一緒に、革新的な教育の方法や、異文化交流を進めるプロジェクト)のレイ・マツミヤ事務局長から、世界大会に参加した教師たちの帰国後の実践についての報告が送られてきています。以下、紹介します。(翻訳:日本原水協国際部)
チュニジアのレイラさんとモロッコのサミアさんは、2016年8月、日本の広島で行われた夾竹桃イニシアチブに参加しました。
広島で、サミアさんとレイラさんは「広島の教訓」を生徒たちに伝えることを目的とした教育プロジェクトを作成しました。
チュニジアのチュニスに戻ったレイラさんは、教室で折り鶴プロジェクトを実施。
レイラさんの生徒たちは、原爆が広島と長崎の人々に及ぼした影響と、紛争解決と平和教育の基本原則を学びました。
レイラさんの教案は、生徒をサダコと千羽鶴に関連した美術活動に参加させる内容でもありました。
モロッコのカサブランカでは、サミアさんが「平和は私から始まる」教育プロジェクトを実施しました。
サミアさんの活動は、生徒たちに、まず自分自身の中で、そして個々の生活の中、そして地域社会の中で、最終的には世界中で、平和を目に見える形で表現することを求めるものでした。
サミアさんの生徒たちは、折り紙でつくった風車に平和の概念を書き込んだもので教室を飾りました。夾竹桃プロジェクトに触発されたサミアさんの教育活動は、平和は自分自身から始めるもので、その後世界に広がる可能性があることを生徒が理解するのに役立ちました。
生徒たちからの圧倒的に肯定的なフィードバックに基づいて、サミアさんはモロッコ教育省に対して、夾竹桃イニシアチブからインスピレーションを得た教育プロジェクトをモロッコの他の教師と共有する提案を行いました。まもなく、カサブランカ学術研修センターの許可が出て、ワークショップのための大きな会議スペースが提供されました。広島の教訓と平和、紛争解決、軍縮教育を組み合わせたユニークな内容のこのワークショップには、カサブランカ地域全体から54人の教師が集まりました。
このワークショップの開会あいさつを行ったのは、カサブランカ・セタットアカデミーの英語地域コーディネーター、モハメド・ハムマニ氏、文学部・人間科学部副学長のアブデルマジド・ブザンネ氏、 中東大学プロジェクトのレイ・マツミヤ事務局長でした。
サミアさんとレイラさんも、それぞれが行ったトレーニングセッションについて報告しました。
カサブランカアカデミーの研修センターには50人を超える教師が集まりました。
レイラさんとサミアさんは、実際的で、教室で生徒たちが取り組むのに容易な活動を教師が提供することの重要さを強調しました。
このワークショップでは、佐々木禎子さんと千羽鶴の物語に基づいた活動にまず取り組みました。
この活動の中で、生徒たちはまず少人数のグループをつくり、これらの写真をつなげばどんな物語になるかを推測します。
その後、生徒たちは、段落ごとに切断され、順番を乱した短いストーリーの短冊を受け取ります。
これらを順序立てて再構成すると、以下の「サダコと千羽鶴」の物語が出来上がりました。
禎子と友人たち:平和の祈り
日本の広島の三篠橋付近にある自宅に原爆が投下されたとき、佐々木禎子はわずか2歳でした。禎子は窓から外に吹き飛ばされ、母親は死んだかもしれないと思いながら飛び出して彼女を探しましたが、娘は生きていました。禎子と両親、弟は安全なところに避難できましたが、多くの人々が殺されました。一瞬のうちに広島市のほぼ全体が破壊されたのです。
小学校6年生になった時、禎子は体育の時間に突然気を失いました。すぐに気がつきましたが、みんなが心配したので次の日禎子は医者に行き、たくさんの検査を受けました。禎子の父親は結果を聞くため医者のもとに行きました。悪い知らせでした。 医師は、禎子は原爆が原因のがんにかかっていると述べました。彼女はとても具合が悪くなり、入院しなければなりませんでした。あと一年しか生きられないかもしれません。禎子は混乱していました。原爆が炸裂してから10年が経っていたのです。禎子の両親は悲しみに打ちひしがれました。二人は禎子を失うかもしれないという考えに耐えられませんでした。でも禎子が病院に行くのを怖がらないように、母親は彼女のために日本の衣装である着物を縫いました。生地には桜の花の絵がちりばめられていて、禎子は友人や家族から離れて入院しても大丈夫だと思えるようになりました。
ある日、禎子の友だちの千鶴子がお見舞いに来ました。彼女は折り紙で作られた鳥を禎子に渡しました。「これは鶴よ」と千鶴子は言いました。「この鶴を千羽折れば、願い事がかなうという言い伝えがあるの」これを聞いたとたん、禎子は自分がしなければならないことを悟りました。「千羽の鶴を折るわ!そうすれば願い事がかなうかもしれない」。二人の女の子はわくわくして、すぐに折り鶴を折り始めました。禎子ははじめは手間取ったもののすぐに折り方を覚え、まもなく折り鶴の山ができました。禎子は新しい折り鶴を作るためにあらゆる紙を探し出しました。彼女の目標は病院中に広がり、他の患者は古い新聞や包装紙を、看護師は薬の包み紙を彼女のもとに届けました。
毎日、彼女はベッドに座って折り紙を折っていましたが、だんだん難しくなってきました。とうとう最後の一羽を折ったとき、折り鶴の数は644になっていました。禎子は家族に見守られながら病室で亡くなりました。がんに命を奪われたのです。禎子の体はもう痛みを感じることはありません。
禎子の葬儀で、両親は学友たちに折り鶴を渡しました。友人たちは嬉しかったものの、禎子の死に深い衝撃を受け、悲しみました。彼女の死はとても理不尽に思えました。彼らは、自分たちがどのように感じたかについてお互いに話し合い、禎子と原爆のために死んだすべての子どもたちについて人々に伝えるために、ある生徒は像を作ろうと提案しました。子どもたちはこの提案に賛成しました。ほどなくして、日本全国の子どもたちが寄付を寄せました。そしてついに十分な資金が集まり、禎子の記念像が設立されました。禎子の友人たちはその像の周りに立ち、禎子を誇りに思いました。禎子の像には次の言葉が書かれています:
これはぼくらの叫びです。これは私たちの祈りです。世界に平和を築くための。
物語の読み方を確認した後、サミアさんの生徒たちは以下の問いについて討論しました。
1.この物語についてどう思いますか?
2.あなたが禎子の立場だったとして、彼女が死ぬ直前の最後の時にどのように感じたかを記述できますか? 彼女は自分自身、家族、友人について、そして自分の死の原因となった人たちについてどう感じていたでしょうか?
3.彼女の友人たちはどのように感じていたでしょうか?
4.あなただったら、彼女の死後、彼女の友達と同じような行動をとったでしょうか?
5.彼女の家族はどのように感じていたでしょうか?
6.彼女の家族は折り鶴を彼女の友人たちに渡しました。これはどういう意味をもっていたでしょうか?
7.彼女を殺した者はどのように感じたでしょうか?
8.殺人者はどのような文章を口にしたでしょうか?
9.これはぼくらの叫びです、これは私たちの祈りです:世界に平和をきずくための」これは禎子の友人から世界へのメッセージです。あなたは禎子と彼女の友達にどんなメッセージを送りますか?
カサブランカの教師たちはまた、生徒むけに紛争解決の演習をステップごとに実施する方法を学び、生徒自身が仲介の役目を果たす時の基本についても訓練を受けました。
これらのコンセプトとモロッコの学校の教室への応用は、ワークショップ参加者に大きな刺激となり、討論が弾みました。
ワークショップで最も人気のあった活動は、サミアさんが作成した平和ゲームの「試験的実施」でした。
ワークショップ参加者は貴重なフィードバックを行い、自分の教室で実施するために教案のコピーを受け取りました。
軍縮教育において、参加者は、核兵器が人々と環境に長期的に及ぼす影響を時系列で説明した一覧表を受け取りました。
その後、参加者は少人数のグループで個々の影響を討論し、感想と核兵器の恐ろしい長期的影響についての考えを共有しました。
参加者は最後に、実り多く多くのことを考えた一日をしめくくり、終了証を受け取りました。
ワークショップに参加したモロッコ人の教師は各自平均250人の生徒を教えています。50人を超える教師が出席したカサブランカELT平和実施ワークショップは、13,500人を超える生徒に影響をあたえる可能性を持っています。