今年はビキニ事件から53年になります。そして、第五福竜丸が建造されて60年です。そこで、第五福竜丸展示館の安田和也さんにお話をうかがいました。
第五福竜丸は、戦争直後の食料難の時代に遠洋漁船として造られ、活躍しました。当時は占領軍のマッカーサーの命令があり、また鉄もなく、木造船のみが造られました。
この4月1日から、第五福竜丸展示館では「木造船・船大工の技術とその道具」の歴史展を開催します。もう日本では、この様な木造船が造られることはありません。「木の船」を通じて原水爆のことを考えてもらいたいと思っています。
第五福竜丸展示館がつくられた経緯は次の通りです。まず、1967年2月末に東京都職員組合の港湾分会ニュースに、第五福竜丸が「はやぶさ丸」と名前を変えられて係留されているのが紹介されます。3月に廃船処分となり解体業者に払い下げられますが、6月、7月にはNHKニュースで第五福竜丸のことが報じられました。さらに、1968年3月には赤旗と朝日新聞が「第五福竜丸保存を」の声をあげ、地元・江東区、東京の原水爆反対運動をしていた人々が、沈みそうになった船から水を掻き出すなどを行いながら、保存運動を全国に呼びかけました。そして、1969年7月には保存委員会が発足。1970年に東京都が夢の島とすることを了解。その結果、1976年6月展示館が設立されたのです。
現在、展示館には年間12万5千人が見学に訪れます。その中の3万人が、400校を数える小学校から高等学校までの生徒です。見学者が一番多いときは、今の倍の25万人もありました。最近の子どもの
お父さんお母さんは「ビキニ事件」を知りません。学校の先生も、ビキニ事件後の生まれで知っていません。平和教育が、以前は取り組まれていましたが、今はやりにくくなっているようです。
労働組合や大学などから、「講演会」「セミナー」をして欲しいとの声がかかることもよくあります。そこで、第五福竜丸元乗組員の大石又七さんとセットで、大学の「平和学」で話すこともあります。
昨年は、「絵本『ここが家だ―ベン・シャーンの第五福竜丸』展覧会」を開催し、コンサートも行いました。このときは絵のファンも来館しました。
現在では、「歩こう会」「俳句の会」をはじめ、高齢者の見学が多くなっています。この人たちは、戦後の歴史の中で「第五福竜丸の時代」をともに生きた人たちで、原爆・水爆はだめだということを展示館に来て改めて感じているようです。
今望むことは、若い人に来て欲しい。東京で反核・平和運動をしている人たちは、ぜひ回りの人たちを誘って来て欲しい、ここの展示館を活用して欲しいということが私のねがいです。
第五福竜丸は1953年に被災し、「核兵器がなくなるまで、平和の港に錨を下ろすまで、いまも航海をしています」。みなさんもいっしょに、平和をめざす航海をしてください。
構成・石村和弘
■第五福竜丸■
総トン数140トン、全長約30メートル、高さ15メートル、幅6メートル
■第五福竜丸展示館■
館内には第五福竜丸船体実物、水爆実験被災の被害、乗組員の病状、まぐろ騒動、放射能雨、原水爆反対の運動、太平洋の核汚染状況、日米政府による事件の決着、マーシャル諸島の核被害、世界の核実験被害、核実験・核開発年表等の展示があります。
展示館前ひろばには久保山愛吉記念碑、福竜丸のエンジン、マグロ塚石碑があります。
URL=http://www.d5f.org/
開館時間:午前9時半~午後4時(月曜休館)、入館無料
JR京葉線・地下鉄有楽町線・りんかい線新木場駅下車、徒歩10分
■お花見平和のつどい2007■
【日 時】:4月7日(土)11:00~15:00
【会 場】:第五福竜丸展示館・展示館前広場(※雨天時は第五福竜丸展示館内)
【内 容】:特別報告「第五福竜丸船体とエンジンの今」、青年のピースミュージック、他
■歴史展『船大工の技と仕事』-木造船 第五福竜丸60年-■
【開催日時】:4月1日(日)~9月2日(日)
【会 場】:第五福竜丸展示館
【内 容】:ビキニで被ばくした木造漁船の第五福竜丸。大型木造漁船の建造技術と船大工たちの技、そして思いを紹介する企画展。船の構造や特殊な道具を模型と現物で展示します。