2016年原水爆禁止国民平和大行進・東京→広島コース
通し行進者 山内金久さん日誌(facebook投稿より抜粋)
5月6日(木)
原水爆禁止国民平和大行進・東京→広島コース初日。
夢の島出発集会。11時少し前に到着したら、すでに希望のエリアの有志のみなさんが激励ミニ集いの横断幕。記念写真、スピーチ、合唱を終えてから弁当をいただきつつ、松平晃さんとデュオの打ち合わせ。ソロでは度胸を決めて、覚えたての「ノーパサラン」「平和の暦」。デュオは「喜びの歌」。
通し行進者のひとこと決意は気分良くできた。街頭での行進団への反応良し、銀座はさすがに外人さんが多い、ビルの窓から、そして窓清掃労働者も、なんと客待ちタクシーに手を振ったら希望のエリアの仲間のIさんを見つけエールの交換、とても元気が出た。
5月7日(土)
原水爆禁止国民平和大行進・東京→広島コース2日目。
港区長代理の中島由美子総務課長から挨拶とペナントをいただき、青空のもと、「青い空は」を大熊さんのギターと一緒に伴奏し合唱して行進出発。
4列300人が六郷橋で神奈川県行進団と合流し、560人に膨れ上がる。
松平晃さんが恒例の出迎え演奏。
川崎市役所での引き継ぎ集会で私は挨拶と「原爆許すまじ」「青い空は」を伴奏し大合唱。スイス・ジュネーブで開催されていた国連核軍縮会議に出席し、昨日帰国したばかりの日本原水爆被害者団体協議会の和田征子事務局次長が報告。日本の国連大使の発言が核兵器廃絶の世界世論に対して後ろ向きで恥ずかしかったという。この話には、いよいよ安倍政権を取り換えるしかないと改めて思った。
5月8日(日)
原水爆禁止国民平和大行進・東京→広島コース3日目。
川崎市役所を出発。国際青年リレーのタスキは小学3年生の昇汰君が掛けてくれた。なので、午後の行進出発前に「アンパンマンマーチ」で元気に出発。4時の解散地点まで頑張ってくれた。日曜日でもあって沿道の子供達からの手振り反応も良く、彼のおかげだ。
5月9日(月)
原水爆禁止国民平和大行進・東京→広島コース4日目。
川崎市高津区役所の出発集会では副区長から激励、神奈川県の被爆者が挨拶したので、やはり「原爆を許すまじ」「青い空は」、午後の出発前には「アメイジング・グレイス」を奏でる。
休憩地で日本鋼管労組青年部の一員として1958年に西本あつしさんと一緒に第1回平和行進を歩いたという84歳の山田さんから声を掛けられ、記念のツーショット。松平晃さんが送り出しで「上を向いて歩こう」を奏でる。
この日の手作りデコレーションコンテスト入賞はにぎやかな横断幕でした。トランペット伴奏で合唱し元気に出発。
午後は小雨が降り出す。行進途中で折り鶴を預かり、ビルを見上げたら「戦争法安保法制は違憲!」の懸垂幕にビックリ。
5月10日(火)
原水爆禁止国民平和大行進・東京→広島コース5日目。
予報に反し青空のもと、「青い空は」を歌って相模原駅を出発。途中、相模総合補給廠西門前で抗議のコール。
相模原市役所では市長から激励を受け、出発前にお隣りの北区で活動していたアコーディオン奏者と合唱の伴奏。デコレーションコンテスト入賞は新婦人のみなさんでした。
キャンプ座間では宿舎から手を振る人がいた。そしてゲート前で抗議のコール、代表のスピーチに続き私は「ウィーシャルオーバーカム」を奏でる。
座間市役所では名水「ざまみず」をいただき、被爆者の会会長で広島被爆者の田村さんが被爆体験を話され改めて被爆者の呼びかけた署名運動に取り組む決意を固めた。「ウィー・シャル・オーバーカム」を吹く。
5月11日(水)
原水爆禁止国民平和大行進・東京→広島コース6日目。
海老名市役所を暴風のなか出発。綾瀬市役所では市長代理から挨拶を受ける。なんと定数20のうち14人の議員が勢揃いして出迎えて挨拶をされたのには驚いた。
厚木基地が近くなると軍用機の騒音がだんだんひどくなる。基地正門前は厳重な警備で立ち止まれず、抗議のコールをしながら通り過ぎる。「静かな空を返せ」のコールがピッタリだった。
この日のデコレーションコンテスト入賞は団扇でした。
5月12日(木)
原水爆禁止国民平和大行進・東京→広島コース7日目。
天王町駅前公園、旧東海道帷子橋跡で出発集会。新婦人手話サークルの「さんぽ」に伴奏で飛び入り。
全くの快晴のなか、横浜市役所に到着し松平晃さんの出迎え演奏と私とのデュオ「喜びの歌」。
県庁では日本共産党県議団と記念撮影。
この日の手作りデコレーションコンテスト入賞は新婦人南支部でした。
朝からビッグニュースのオバマ大統領の広島訪問決定については私もスピーチで触れ、59年続けてきた平和行進が被爆者の活動と相まって世界をここまで動かしてきたことに確信を持って今年の行進と広島世界大会を大きく成功させましょう!と訴えた。
5月13日(金)
原水爆禁止国民平和大行進・東京→広島コース8日目。
上大岡の出発集会では挨拶と「青い空は」を合唱。途中、休憩のコープでトイレ待ちの時に見かけた3年生のコープ見学の感想文のシール。しっかりした筆跡なのでつい同学年の孫のことを思い出した。
手作りデコレーションコンテスト入賞は風船80個、横断幕、アフロ・ヘアー。
移動中にきれいな海にヨット。太平洋で向こうは房総半島が近くに見える。マグロの本場で夕食には立派なマグロの兜でした。
5月14日(土)
原水爆禁止国民平和大行進・東京→広島コース9日目。
ビキニ水爆実験で三浦三崎も大きな被害を受けた。「核兵器廃絶平和都市宣言」碑、被爆アオギリ二世、若い市職労書記長が平和運動を引き継ぐ決意表明に感動。
三崎商店街を行進したが手振り多く元気が出る。
ビキニ水爆被害のマグロを埋めた場所に「塚」を立てようという話は住民の同意を得られなかったという。
今日は土曜日なのでヨットがたくさんいた。
米軍横須賀ゲート前では抗議のコール、ヴェルニー公園では解散集会で「アメイジング・グレイス」を演奏。その後、帰ったばかりの原子力空母「ロナルド・レーガン」、原子力潜水艦などを撮る。
5月15日(日)
原水爆禁止国民平和大行進・東京→広島コース10日目。
葉山町役場の出発集会では日曜日にもかかわらず町長、議長が直接激励され、私が代表してお受けする。お二人とも一緒に行進され、議長は隣の逗子市役所まで歩いてくれた。
米軍池子基地ゲート前では抗議のコール。
観光地鎌倉市内、八幡宮での行進では外国人が多く、たくさんの手振りをいただき、元気が出た。
大船観音では被爆者のお話をお聞きし、松平晃さんとデュオ。ふくよかな観音さんのショット。
5月16日(月)
原水爆禁止国民平和大行進・東京→広島コース11日目。
藤沢市を出発し、途中、恒例のひまわり園の園児達7人が行進に合流。「さんぽ」を歌いだしたのでトランペットで伴奏。隊列に子供たちがいると大人が元気になる。
1.2キロメートル先にある到着地点の神台公園では「大きなうた」「手の平を太陽にすかして見れば」をトランペット演奏。
茅ヶ崎市役所で激励いただき被爆者の会からお礼の挨拶。
国道1号線相模川馬入橋450メートルを渡って平塚市内、中央図書館で集結。
本日の手作りデコレーションコンテスト入賞が発表されパチリ。
5月17日(火)
原水爆禁止国民平和大行進・東京→広島コース12日目。
平塚市中央図書館の出発集会でいきなりダンシング・パフォーマンス。コープのダンスサークル30人が一糸乱れぬ見事さに慌てて撮る。
今日は朝から雨。ここでは2月のうたごえ新聞の辺野古座り込み合宿で一緒だった五十嵐さんが鍵盤ハーモニカを演奏、再会の記念写真。
二宮駅前で「ガラスのうさぎ」の説明を受ける。
二宮町役場で激励を受ける。驚いたのは「ガラスのうさぎ」の歌を町長と副議長さんがそれぞれマイクを持ち歌ったこと。歌もさることながら、感動した。
5月18日(水)
原水爆禁止国民平和大行進・東京→広島コース13日目。
鴨宮は「新幹線の発祥地」にビックリ。出発集会の前に姪と15年ぶりに再会。小田原駅までの午前中のコースを一緒に行進。積もる話ができた。富士山も青空の中くっきりと見えて気持ちいい行進。
小田原市役所で市の激励を受け、みんなで合唱。
真鶴町では町長が挨拶の後、先頭で横断幕を持って数百メートル行進。
下校時の子どもたちが一緒にコールしながらもらった風船をかざして行進。元気がいいので行進団もみんな励まされた。
5月19日(木)
原水爆禁止国民平和大行進・東京→広島コース14日目。
神奈川県最終日は湯河原観光会館を出発。途中、一昨年には平和大行進北海道コースの富良野市にも来てくれた国会前脱原発「希望のエリア」のHさん夫妻が合流。
広崎公園では松平晃さんが出迎え演奏。
Hさんが持参してくれた希望のエリアの仲間の寄せ書きを抱え記念写真。
17日に宿泊させていただいた箱根町議の山田さんともいい顔で。
そして千歳橋川端公園で静岡県への引き継ぎ集会。
13日間行進と寝食を共にした神奈川県のみなさんとの惜別、畑田重夫先生のスピーチに感動。
熱海ビーチラインを横目に平和大行進は続く。